第29話 決着

腹部に受けた衝撃のせいでユウキは身体の制御ができなくなっていた。

身体の各所は自分勝手な主張を始めて言うことを聞かなくなり、心臓は馬群の蹄の如く鳴り続け、肺がせわしく呼吸を繰り返すが苦しさは時間を追うごとに増している気がする。


タルタロス・サーキットを開いていれば痛みや苦しみに煩わされることはないが、だからと言って物理的な限界がなくなるわけではない。

痛みは感じなくとも体の内部では止むことなく警報が鳴り続けているのが分かる。

内臓破裂を起こしていても不思議はないダメージを受けた上にタルタロス・サーキットを使い続けたツケがここに来てユウキの身体を蝕み始めていた。


どうにか呼吸を戻すことはできたが動ける状態になるにはまだ時間が掛かる。

だがユウキの状態を見透かしたアグリオスがゆっくりと近づいてきていた。


「自分を捨てて仲間を助けるなど見上げたものだが身の程を知るべきだったな。随分手こずらされたがこれで終わりだ。」


今、剣を振り上げられても避ける事はできない。

何としてもあと少しの時間が必要だった。


「なぜ僕を殺そうとするんですか?」

「許せねぇんだよ!お前が光る爆弾を使った時に俺たちは何もできなかった。もしあれがエリグマの親父を殺すモノだったら・・・俺たちの目が見えない間に近づく奴がいたら・・・そう思うとお前を八つ裂きにしねぇと気が済まねえんだ。」


普段のアグリオスを知る者がいたらいつになく感情を露わにしている事に驚いただろう。

今まで家畜でもさばく様に淡々と人を壊す事はあっても標的相手に話しかけた事など聞いたことがない。

今回の事では(可能性の話であっても)エリグマの命を脅かしたユウキに対して、そして何もできなかった自分に対して膨れ上がる憎悪を押えられなくなっていた。

「もう終わりだ。二度と親父に手を出す奴が出ない様にこれ以上ないくらい惨くむごく壊してやる。」

「僕は・・・僕はエリアルを光らせただけでエリグマと言う人に危害を加えた覚えはない!」

「覚えがあろうがなかろうが関係ない。お前がやった事なんだよ!」


アグリオスのこの言葉はユウキの心に少なからぬ衝撃を与えた。

あの通りを逃げ出した後、ドールガーデンを通して倒れた人達の状況は一通り観ている。

泣き叫ぶ人、パニックを起こして暴れる人、転んでけがをする人・・・自分が引き起こした事だと言う自覚はあったがそれをすべて受け入れるにはユウキの心は幼く純粋だった。

だから“差し迫った危険”を言い訳に罪悪感をすべてタルタロス・サーキットに流して考える事を止めていた。


今も後ろめたい訳ではない。

タルタロス・サーキットはずっと開いたままなので余分な感情が頭をもたげる事はない。

ただ、アグリオスの言っている事が理解できただけだ。

そして、理解してしまえば自分が足掻く事が正しいのか分からなくなってしまう。

幾つものロジック・サーキットを使いこなし、タルタロス・サーキットで痛みも苦しみを避ける事ができたとしても基礎となるのは所詮子供の精神でしかない。

ユウキの中から生きようとする理由が急速に減少していった。


ユウキの変化をアグリオスは諦めと捉えた。

だから急ぐ事もなくゆっくりとユウキに近づいてゆく。

本来であればユウキが欲していた“あと少しの時間”をアグリオスが作ってくれているのだが、もはやユウキにとっては意味のない事だった。




その時、少女の声が響き渡るとアグリオスも歩みを止めて振り返った。

一瞬怪訝そうに目を細めたが直ぐに“取るに足りない事”と興味を失くして向き直る。

だがその直後、ゴルゾフ達が次々に打倒されるのを目にするといつもは抱くことのない嗜虐性しぎゃくせいが頭をもたげた。

「あの小娘は余程死にたいらしい。お前は後回しにしてやるから小娘の殺される所を見て自分のしたことを後悔しながら死ぬがいい。」

アグリオスはきびすを返すとマリーンに向かって走り出した。






ユウキは自分が生き残りたいとは思っていない。

だがそれは何かを守りたい気持ちを妨げるものではない。

マリーンの危機を目にして軋みを上げる身体に更なる力を込めて走り出した。


「マリーン、走って!全力で走れば逃げられるから、・・・走れ!」

だがマリーンは動かない。

先程のように恐怖で縛めいましめられている訳ではないのに何かをやり遂げた様に目を閉じて静かに立っている。


ユウキはアグリオスを追いかけているがアグリオスを止める方法がない。

囮になって時間を稼ぐ事はできても、動かないマリーンを守り続ける事などできるものではなかった。

だが後ろから聖者の盾のメンバーがこちらに駆けつけようとしているのを感じて考えを変える。

最初の一撃さえしのげればいい。

あの人たちがいるなら後は何とかしてくれるだろう。


覚悟はできたがユウキが追いつくより先にマリーンが剣の間合いに捉えられてしまった。

アグリオスが足を止めて腕を振り上げた時、ユウキは一つの決断をした。




走りながら水たまりを飛び越す様に飛び上がる。

直後、8つのロジックサーキットを解放すると腰の魔導具に8つのロジックサーキットからありったけのセレーマを注ぎ込んだ。


それはベルトに付いていたもう一つも仕掛け。

室内でマントを旗めかせるために取り付けられた微風を生み出す魔導具。

少し前にアグリオスの剣で突き上げられた時も5つのセレーマを重ね掛けした風の力で飛んでいた。

今回は更に多い8つの重ね掛けだ。

荒れ狂ったエリアルは暴風並みの威力となって猛然と風を吐き出し始め、ユウキの身体は砲弾の如く打ち出された。


如何ないかなアグリオスと言えどもこの速度でぶつかればただでは済まないだろう。

少なくとも、聖者の盾のメンバーが駆けつける時間ぐらいは稼ぐことが出来る筈だ。

ただし、打ち出されたユウキも無傷ではいられない。

身体の出来上がっていないユウキはアグリオス以上に深刻なダメージを負う事になるがそれで構わなかった。



フィーーーーと甲高い音が響くとユウキの身体が宙を舞い、瞬く間にアグリオスに迫る。

気休めにしかならないが膝を丸め、頭の前で腕を立てて力を込める。

緩やかに弧を描く軌道は先程使った感覚で分かっているのでやや上に向けてアグリオスの胸を狙う。

しかし、先程は5系統だったセレーマが今度は8系統に増やしていた。

吹き出す風は爆風に変わり、予想したものより軌道が上にズレてしまった為にアグリオスの頭上を通り過ぎてしまう。

だがユウキとって幸運な事に振り上げられたアグリオスの腕が目の前にあり、とっさに抱きつく様にぶつかることが出来た。

ドンと衝撃があり息が詰まったがアグリオスの腕がばねのように衝撃を吸収したおかげで予想していた程ではない。

その上、体に当たることはできなかったが腕を横に押された事でアグリオスの体勢を崩す事に成功した。

だがアグリオスはたたらを踏みはしたが驚いたことに砲弾にも匹敵する衝撃を耐えきるとユウキをまといつけたまま剣を振り降ろそうと更に力を込めた。



―――――――――――――――



ユウキの腰に付けられた魔導具は綿毛草のエリアルを中心にそよ風を生み出すものだ。

製作者の拘りでかなり頑丈な作りをしていたが所詮おもちゃの範疇でしかない。

生み出された風は筐体きょうたいに依存せずに噴出される造りになっているが強大な風の力を受け止めて全く影響を受けないはずはなかった。

剣の付属物の如く扱われようとしていたユウキの腰で負荷に耐えかねた魔導具はガタガタと振動したかと思うと突然破裂して砕け散った。

ばら撒かれた破片が至近距離でアグリオスの顔を襲い、そのうちの幾つかが片目に突き刺さる。


如何にアグリオスと言えども片目をつぶされて平気な訳はない。

血だらけの顔を押えて獣の様な声を上げた。

一方ユウキは推進力を失ってその場に落下した。

魔導具が破裂した所は痣になったが外に向かってぜたのでほとんど怪我はない。

壊れた魔導具からロジックサーキットを解放したユウキは呻くうめくアグリオスの脇を抜けてマリーンに駆け寄った。


「マリーン!怪我はない?」

「ユウキ?・・ユウキ!」

我に返ったマリーンはギュッと抱きついたかと思うと声を上げて泣き始めた。

「ユウキのバカ!何であんな無茶な事をするのよ。死んじゃったかもしれないんだよ。そしたら・・・そしたら私は・・・うぇーん。」

その後は嗚咽交じりでユウキには何を言っているのか分からなかったが心配をかけた事だけは理解できた。

赤ん坊をあやす様にポンポンと頭をたたいて

「心配をかけたね。ごめんね。」

と何度も何度も囁き続けた。



だが甘やかな時間は長く続かない。

戦闘はまだ終わった訳ではないのだ。


顔を押えて呻いていたアグリオスが突然雄叫びを上げた。

「ぐうぉーーーーーー!!小僧!てめぇは許さねえ。腕と足を斬り落としてイモムシにしてから鼻と耳を削ぎ落とし、目を潰し、殺してくれと言うまで壊してやる!」

落とした剣を左手で ―― 右手はユウキの体当たりで脱臼した為に動かなかった ―― 拾い、血だらけの顔でユウキを睨みつけた。

だが、エフィオテスを始めとした聖者の盾のメンバーが2人3人と駆けつけてアグリオスを取り囲む。

片手・片目になったとしてもアグリオスであれば2、3人を道連れにすることはできる。

更に捨て身で迫れば憎いユウキをその牙に捉える事ができるかもしれない。

手負いの猛獣は低く唸りながら殺気を漲らせていた。



「やめろアグリオス!もう終わりだ。」

意識を取り戻したゴルゾフの声が獣と化したアグリオスの理性を少しだけ呼び戻した。

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