カウカソスの騒乱

第6話 家族の絆 1

「エリス、ユウキは来ていないか?」

ゴーザ:フェンネルの大きな声が玄関から屋敷の奥まった部屋にいるエリス・フェネルの所まで響きわたった。


ゴーザとエリスはもう40年来の夫婦なのだが、名乗る家名が異なるのは訳がある。

この一族は少々変わった風習があり、一族の中で固有の能力を有する者だけが”フェネル”を名乗り、ほかの者は”フェネル”と名乗る事になっているのだ。

能力の発現率はそれ程高くないので名乗る者がいない時期が何度もあるのだが公式の家名は”フェンネル”となっている。


この屋敷の主人、ゴーザは60歳になるが気力・体力ともに衰える兆しはなく、今でもよく通る大きな声は例え屋敷の端からであっても隅々にまで響いた。

昔を知る者であれば20年以上前に赤翼金色せきよくこんじきの巨竜が王都を襲撃した際、竦み上がった男たちを鼓舞した時の事を思い出したかもしれない。


ゴーザは忙しい遠征の合間にユウキの指導をしていたが、どう見ても10歳の子どもが受ける限度を超えている所為でユウキには怪我が絶えなかった。

以前、剣(もちろん木剣を使っていたが)の訓練中に腕を折るけがをした事があったのだが、『怪我で片腕が使えない場合の戦い方を教える』と言って、ユウキを訓練に連れ出そうとした事さえある。

その時はさすがに家人総出で止めたのだが、ユウキが行き過ぎた訓練を有難迷惑に感じる様になったのはこの頃からだった。

その結果、普段は懸命にゴーザの訓練を受けていても勝手に休みを作っては遊びに出かける様になっていた。

今日も、ゴーザは訓練をするつもりだったのに肝心のユウキが現れないので探していたのだった。


エリスは大きなため息をつくと作り掛けの編み物を置いて、夫のいる玄関へ向かっていった。


「こちらには来ていませんよ。」

「そうか。後は裏庭あたりか・・・」

そう言うと玄関を出て行こうと淡々と踵を返したのだがエリスが呼び止める。

「あなた・・・ずっとユウキを探していたの。もうお昼にもなると言うのに」

エリスの声に呆れた感じが混じる。

フェンネル邸は塀に囲まれた中に大きな庭と小規模な林に続く裏庭がある。

城壁に囲まれたカウカソスの街中でこれ程贅沢な場所の使い方をしている家は多くはなく、フェンネル家がかなり裕福な事がよく分かるだろう。

ゴーザは朝、ユウキの部屋を出てから庭や物置を隈なく探し回り、今屋敷に戻って来たところだった。


「お茶でも飲んで少し休んではどう?」

妻の提案に苦笑いを浮かべながら了承して、連れ立って一つの部屋に入って行く。

「それにしても、英雄ゴーザともあろう人がこんな狭い所で随分苦労しているのね。」

「まあな。コルドランとは勝手が違うようだな。」

笑い合いながらお茶を飲む夫婦は、お互いの考えていることを何となく察していた。


ユウキは捕まったら殺されるとでも言う様に割と本気で逃げており、ドールガーデンを懸命に使ってゴーザの追跡を躱していた。

対してゴーザがドールガーデンを使えば例え街中であっても人の居場所程度は認識可能であり、屋敷の中に限定すればユウキが逃げていられる場所などない。

だが、あえて経験と推理力のみで探し回る事を課してユウキとのバランスを取っていた。

『塀の外まで出られればユウキの勝ち、痕跡をたどり見つければゴーザの勝ち』

二人の間でそんなルールのゲームをしているかの様だった。


実際、ゴーザは楽しんでいた。

孫との追いかけっこは童心に帰った様でワクワクさせてくれる。

最初の内こそ他愛無く見つけられていたユウキだが、最近は意表を突いた隠れ方をする様になってきたので中々に気が抜けない。

それに、追われる事・隠れる事・思考をフル活用して戦略を立てる事・逃げ隠れする為に身体能力の使い方を憶える事、全てがユウキにとって有益な訓練だと言えた。

エリスはそんなゴーザの思考を読んではさりげなくユウキを逃がす手伝いをしており、今日ユウキがいるのはゴーザとエリスの部屋だった。

ゴーザもそのことは予想しているのだが、自分のルールとして根拠もなく踏み込むような無粋をするつもりはない。

お茶に付き合いながらエリスの話から糸口を聞き出し、その上で動くつもりでいる。

しばらくは夫婦の他愛無い話を続けながら、ゴーザはユウキの居場所につながる情報を喋らせようとし、エリスは追及をかわしつつ別の場所が関係する様な話を振って行く。

何気なく高度な情報戦を続けながらお互いに楽しんでいる辺り似たモノ夫婦なのだろう。


「少し焦りすぎではありませんか?」

少し間が開いた後、話を変えてエリスが問いかけて来た。

瞼を薄く閉じて軽く俯き、紅茶を味わっている様にも、何かを悲しんでいる様にも見える。

「やりすぎてユウキが潰れては元も子もないでしょう。今のユウキには心を癒してくれる親はいないのですし・・・むしろ私たちが愛情を与えてあげなければ、あの子は人の情を知らない魔物の様になってしまいますよ。」


「焦っているか・・・ある意味では確かにそうなのかもしれん。」

そう言うとゴーザは自分の中の何かを見つめる様に目を閉じた。


「2年前のあの事件の時、わしはあの子を護ってやることができなかった。奇跡的に駆けつける事は出来たが、あの血まみれで横たわった姿を思い出すと今でも胸を掻き毟って心臓を掴み出したくなる。」

語るゴーザにはいつもの覇気はなく、『女神の怒りに触れて少年から老人に変えられた猟師タウロの童話』の様に一瞬で本来の年齢になった様に思えた。

「そんなに自分を責めないで・・・。あの時、ユウキの危機をあなただけが気づいてあげたではないですか。」

「しかし、わしが助けられたのは命だけで、あの子の心は守ってやれなかった。”母親が喜々として自分を殺しに来る”などと言う状況を防いでやる事が出来なかったのだから・・・。本心を言えば、あの時、ユウキが高熱にうなされている時に『このまま心が壊れてしまった方が幸せなのではないか』とさえ思っていた。何も解らなくなって、何も考えなければ苦しむ事もないのだと・・・。しかし、あの子は見事に立ち直った。親への思慕の念を捨て去り、男として一人で生きる事を選んだ。お前にこの嬉しさが判るか?あれから天稟てんびんが一気に開花したように、どんどん強くなっていくのを見ているとワクワクする。どこまで行くのかを考えると、逸るはやる気持ちを抑えきれんのだ。だから、つい・・・な。」


”老人の顔”から”遊びに行きたくてウズウズしている子どもの顔”に戻るのを見て、

『ああ、やっぱりこの人はこの人だ。』と心配していた自分がばからしくなってきた。

それに、夫と孫が二人だけで遊んでいる様で、何となく腹が立つ。

「つい・・・じゃありません!現にユウキは逃げ回っているんですよ。嬉しいのは解りますがやり過ぎて元に戻ってしまったら取り返しがつかないと言っているんです。」


「あれは潰れんよ。」

そう言ってエリスから目を逸らすと、窓の外に目を向けた。

柔らかな日差しを受けた庭木が、微風を受けてサワサワと揺れている。


「わしもフェンネルだから解る。あれの心には相変らず闇がある。ロジックサーキットの一つを飲み込んで辛うじて止まっているが、いつかあの闇が再び広がった時にはもう一度押し止める事ができるかどうか。」

「それなら・・・!」

「しかしな、心の闇など誰にだってある。ユウキの闇が人より深くて暗いとしても、それに負けないくらい心の光も強く輝いている。儂は『家族を守りたい』と言ったユウキの強さを信じているよ。」


こんな時エリスは「自分がかよわい女に過ぎない」と尽く々々つくづく思わずにはいられなくなる。

ユウキが心に闇を抱えている事は感じていたが、だからと言って自分では何かをする事も、ましてや何かを決めて変える事も出来なかったのだ。

この頼もしい夫が『信じる』と言ってくれた事で自分もユウキの光を信じる事ができる。

『いつも、一言で私の悩みを消し去ってくれるのね。』

この夫が傍に居てくれることが嬉しかった・・・・


この後の”言い草”を聞かされるまでは。


「お前は気づいていないだろうが、ユウキが勝手に休みを作っているのはな・・・あれはわしの訓練が嫌で逃げている訳ではないぞ。リューイといる時間を作ろうとしているのだが普通にしていてはアラドーネに警戒されてしまうので、逃げ回っている事にしているだけだ。『お前の所に隠れたら偶々リューイもいた』と見せかけているだけで、お前が慕われている訳ではないからな。勘違いするな。」


「なッ・・・!」

これもいつもの夫だった。

子供の様に無邪気に喋ったことが無性に人の心を逆なでする。

「なにか『自分の方がユウキの事を理解している』と自慢されている気がしますが!」

「そりゃあ、男同士だからな!・・・」

ニヤっと笑っているが冗談ではない!女をバカにしている。

「孫への愛情に男も女も関係ありません。今日は偶々リューイ一緒ですが、一人でも私の所に来ています・・・。そんな言い方をされたら仲間外れにされている様で不愉快です。」

子供の様にプイっと口を引き結んで横を向いたエリスだが、腹を立ててつい余分な事まで言ってしまったようだ。

それがゴーザの作戦だと気が付かずに・・・。


「だから、混ざりたいんだろ。今もユウキを匿っているみたいに・・・。」


「!」


してやられた事に気づいたがもう遅かった。

今度こそニヤニヤとバカにしたように笑ってエリスを見つめている。


「それに、そろそろリューイを置いておくのも限界だろう?アラドーネが騒いでいるからな。ユウキが見つかってわしに無理やり連れだされるにはいい頃合いだと思うぞ。さて、口を滑らせたおばあちゃんのおかげでサボり癖のある弟子の居場所が分かったからな。迎えに行って来よう。」

してやったりと言いそうな顔で席を立つとドアに向かって歩き出した。


しかしドアノブに手を掛けた時、動きを止めたゴーザの背中がまた小さくなっていく様な気がした。

「まあ、あいつの事は気にかけておいてくれ、それはわし一人では荷が重すぎるからな。ユウキは心の闇と上手く折り合いをつけている。むしろ利用さえしている。あいつは『巨人族をタルタロスに投げ入れたエフィメート様の話』の様に、痛みや空腹や乾き、恐怖や焦りや嫉妬など自分に都合の悪いものを壊れたロジックサーキットに放り込んでいる。それで心の平安を得ているのは間違いないが、その所為で闇が勢いを増すかもしれん。あいつが右目を閉じるとき、心のタルタロスが入り口を開き、闇が近くにいる。だから・・・」


ゴーザは振り向きもせず、そのままドアから出て行ってしまった。




夫は今、どんな顔をしているのだろうか。


泣きそうなのか


怒っているのか


常に夫を支え続けてきたエリスにも想像ができなかった。


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