見捨てられた子
第3話 壊れた心 1
ユウキが5歳の時に妹が生まれた。
リューイ:フェンネルと名付けられた女の子は風にも当てない様に注意深く両親に育てられている。
リューイが生まれた時、一つの事件があった。
ユウキと同じようにオプティの瞳を触れさせた時、数えきれない程の光条が現れ部屋中を染めたのだ。
ゴーザも母親のアラドーネも父親のカイルも呆然とその状況を眺め、次いで歓喜した。
計り知れない才能と可能性、神の予言した子はこの娘だったのだと思うのも無理ない事であった。
アラドーネとカイルは娘リューイの事を、それはそれは大切に育て、その挙動に細心の注意を払い・・・
そして
もう一人の子どもが顧みられることはなくなった。
カン、カン、カン
小さな体が振るう木剣がいとも簡単に打ち払われ、そのたびに体勢を崩されまいと堪えながら次の打ち込みを続けている。
軽くあしらわれているとは言え、少年の攻撃が止まらない事を見れば”諦めない心の強さ”と”予想外の事態に対処する技術”がしっかり根付いている事が判る。
妹リューイが生まれて三年が過ぎ、ユウキは八歳になっていた。
何かしら思う所があったのだろうか、ゴーザはリューイが生まれて間もなく、ユウキの訓練をすると言いはじめた。
幼い子供が受けるには過激すぎる扱いに周囲の者は何度も注意をしているがゴーザが聞き入れる事は一度もない。
「腕だけで剣を扱うな。全身の動きは常に結びついている、足の動きで腕を振り出せ。」
ゴーザは矢継ぎ早に注意点を挙げながらもユウキの剣を払い、足を叩き、腕を打ち、体を躱して空いている手でユウキを投げ飛ばす。
ユウキにしてみれば剣を振り上げ・振り下ろす間に何度も叩かれ、視界が流れたと思う間もなく景色が変わって横たわっている。
それでも諦めることなく直ぐに起き上がりまた剣を振るう。
切りかかってはまた投げ飛ばされる。
まだ朝も早く肌寒くさえあるのにユウキの服は汗に濡れて湯気が立ち登っていた。
「まだ足さばきがいい加減になっているぞ!何のために幾つもロジックサーキットを持っている。足運び、腕の動作、体さばき、全身の連動、目標の認識・観察、周囲の警戒、状況の分析と戦略立案、7つそれぞれにロジックサーキットを割り当て、常に最大の意識を向けろ。」
ロジックサーキットは思考と行動を制御する論理の流れの事で”Aという状況に対して認識・判断をしてBという決断をする”意識の論理回路の事だ。
通常、認識・判断・決断を繰り返していると情報が混濁したり遅くなって、所謂”パニック”になるのだがユウキやゴーザは幾つかの思考回路を分ける事で混濁も遅延もなく最高の状態を維持することができる。
これはフェンネルの家系に稀に現れる才能でゴーザは3系統、ユウキは10系統、リューイに至っては一応千とされているが実際には数えきれてない。
ゴーザが7系統のロジックサーキットを使えと言っている事は判るしユウキも実行しようとしているのだが何事にも修練による習熟は必要となる。
ロジックサーキットを使って個々の動作をコントロールする事は出来るのだがそれぞれを連動させることが上手く行かず、結果的にはぎこちない動きしかできなかった。
何度も打たれ、何度も投げられた末に朝の訓練は終了した。
「直ぐに食事になる。家に戻るぞ。」
そういってゴーザは歩き出していく。
ユウキの身体は痣だらけになっており歩くのもつらいのだが顔を歪めながらも懸命にゴーザの後を追う。
先程の訓練中、足捌きが直らず何度も叩かれていたので脈打つ様に痛み上手く力が入らない。
ズキン・・・ズキン・・・
一歩ごとに頭に突き抜けるような痛みが伝わり、思わず
それでも顔だけは真っ直ぐ前を向いて先を行く大きな背中を追いかける。
泣き言を言っても祖父が心配することも、ましてや歩みを遅くすることもないのは判っている。
むしろ「だらしない事を言うな!」と怒鳴られるだろう。
だから黙って足を動かす。
「もうすぐ家だ。」
しばらく歩いた後で振り返りもせずにゴーザが声をかけた。
労わりも励ましもなく、ただ現状を伝えただけの言葉だったがユウキにはゴーザのやさしさの様な気がして涙がにじんでしまう。
『ここで泣き出したらきっとお爺ちゃんに軽蔑されてしまう。』
だからユウキは誤魔化す為に話しかけた。
「訓練を続けたら僕もお爺ちゃんみたいに強くなれるかな?」
なるべく普段の声を意識して声を掛ける。
「強くなっておじいちゃみたいな”英雄”になれたらきっとお母さんも笑いかけてくれるよね。」
ユウキにとっては既に何度も考えて来た事を言っただけなのだが意外にもゴーザが歩みを止めて振り返った。
そして、しばらくユウキの顔を
気まずい雰囲気にユウキにはそれ以上話しかける事は出来なかった。
その夜、身体の痛みでユウキは眠る事ができなかった。
この世界には治癒を促してキズを直したり、痛みを和らげる魔導具があるのだが訓練の怪我を癒す事はゴーザに禁じられている。
痛みを知る事、痛みに耐える事を学ぶ為だと言われ一応納得はしているが、だからと言って平気な訳でも泣きたい気持ちが落ち着く訳でもない。
それでも言い返すこともせずに約束を守っているのは祖父に対して”認められたい”、”見捨てられたくない”という気持ちが強いからだ。
しかし、痛みが一向に治まらないばかりか夜半を過ぎるころに熱まで出てきては不安は益々大きくなる。
「だれか・・・だれか助けてよぅ。」
まだ八歳の子供なのだ。
母親の愛情に包まれ、父親に護られている事が当たり前であって、一人暗い部屋で不安に耐えて泣いている事が異常なのだ
そして、そんな時に誰かに傍にいてほしい、優しくしてほしいと願ったとして誰が責められるだろうか。
灯りの消えた廊下を着飾った女が音もなく移動する。
この暗がりでは慣れた者でも足元が気になる筈だが女にはそんな素ぶりは微塵も見られない。
やがてユウキの部屋の前で立ち止まると静かにノックをして入って行った。
「ユウキ、苦しそうだったけど大丈夫?」
それは、普段ユウキの事など見向きもしない母親のアラドーネだった。
「お母さん!どうして・・・」
「いつもあなたの事は見ていたわ。お爺ちゃんに邪魔されてお話しする事ができなかったけど、今なら二人きりになれるから。どこか痛いの?」
答える代りに一番会いたかった人に・・・優しくしてほしかった人に抱き着く。
声は唇を噛んで押し殺す事ができても茫々とあふれる涙を止める事は出来なかった。
「こんなに熱があるなんて、辛かったね。でも、もう大丈夫よ。もうお爺ちゃんに邪魔はさせないわ。お母さんが居れば何も心配しなくていいから、だから・・・」
とん
アラドーネの手がユウキの腹部に優しく添えられた途端、そこから生暖かい感触が広がって行く。
次いで焼ける様な痛み・・・・
ごふっ!
込み上げてきた物を思わず吐き出すと母親のキレイな服が真っ赤に染まる。
「お母さん、ごめんなさい・・・お洋服汚しちゃって・・・」
身体の違和感から下を向くと鍔元まで埋まったナイフの柄が自分の腹部から枝の様に生えていた。
「なに・・・これ・・・」
ガチガチと鳴る歯の隙間から辛うじて問いかけるとアラドーネの口元が二ィーと吊り上り、嬉しそうに見開かれた目がユウキを見下ろしていた。
「リューイはね、すごいのよ。何しろ神々と並び立つ様になる子ですもの。でも、あなたがいるとあの子はこの家を継げないの。あの血が、才能が受け継がれないなんて勿体ないと思わない?・・・だからね、ユウキはいない方がいいの。」
庭師を相手に”この枝は邪魔だから切りましょう”と言う様な、何の気負いもない軽い言葉。
ユウキにとっては刺された事より母親の言葉が辛かった。
「そんな・・・お母さん・・・僕は・・・」
ユウキは朦朧とする意識の中、フラフラと後ずさると糸が切れた操り人形の様に崩れ落ちた。
机に置いてあった小さな花瓶が音を立てて床に破片をまき散らした。
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