第2話 魔王様は誤解をとく

 なんてこった、俺は頭をフル回転させていた。

 マルバスの悩ましい体つきは、可愛らしい子猫になっていた。

 眼鏡が落ちていることからすると、召喚に失敗したのか。


 しかも、俺自身もいきなり召喚者の女に殺されそうになってる。

 反射的に避けたものの、こんなケースは初めてだ。


「ちょっと落ち着けや、オイ―――」

「儀式を知られたからには、生かしておけません!」


 きっぱりと女が言い放つ。


「そんな秘密の儀式だったのかよ……」


 そのまま女は胸のあたりでナイフを握りしめ、突きを放つ。

 俺の体が子どもになっているうえ、女の身長はかなり高い。

 思いっ切り、致命傷コースだぞ。


 だが、俺は慌てない―――その必要はない。

 スキル<風魔法>、衝撃波ッ!


 爆風が俺と女たちの間に生まれ、空気の波が弾ける。


「きゃああああ!?」


 リーダーだけでなく、他の女もまとめてふっ飛ばす。

 加減しているとはいえ、20mは吹き飛んだ。受け身も取れず、石の床をごろごろと転がっていく。


 舐めるなよ、俺は魔王だぞ。力は全然出ないが、それでもレベル二桁のやつらなぞ、蟻みたいなものだ。


「ううう……いったい、何が……?」


 女達は地面から起き上がれもしない。

 リーダーの女だけは、顔を上げこちらを見上げているものの、他は完全にダウンしていた。そのリーダーも、半泣きだ。


「少しは落ち着いたか? 落ち着かないなら、何度でもふっ飛ばすぞ」


 ゆっくりと、諭すように女に告げる。

 鞭と飴というやつだ。キツいことをしたあとには、ちょっとした優しさでも効果が大きい。


「最初にはっきり言っておく。俺はリュシアーンとかいう奴じゃない」

「は、はい……」


 一歩ずつゆっくりと女達に近づく。言い聞かせるように。


「俺の名は魔王ベルゼブブ―――ベルと呼べ。おまえの名は?」

「エ、エリーンと申します」

「よし、エリーン。状況を整理するぞ。この儀式はリュシアーン復活のためで、別に誰かを召喚したわけじゃないんだな?」


 こくりと、エリーンは頷く。


 俺自身もちらりと魔法陣を見て、<分析>する

 確かにこの魔法陣は召喚のためのものじゃない。高次存在の封印を解く儀式だ。儀式の基礎難易度はざっとLv5000ほどか。

 エリーン達が構築できる代物じゃない。多分、先祖から引き継いだとかだろうな。

 問い詰めても、この顛末の説明は期待できない。


「残念だが、儀式は失敗だ。かわりに俺達が―――この黒猫と俺が召喚されてしまった」


 言いながら、黒猫のマルバスに視線を送る。毛並みはふさふさだ。完全に猫。

 マルバスはつぶらな瞳をこちらに向ける。


 可愛いことは可愛いが、知性の欠片も感じられない。<分析>しても猫だ。

 ヤベぇ、存在が書き換わった……ぽいな。


 召喚の際、不慮の事故が起きるとこういうことが起きる。

 力が発揮できないばかりか、強制的に「他の何か」になってしまうのだ。俺の体が子どもサイズになっているのもそうだろう。だが、ここまで完全に他のものになるなんて、聞いたことがない。

 しかも、この世界から「離脱」しようとしても何も起きない。正直言って、この世界から一旦脱出して態勢を整えたいのだが、それもできそうにない。


 つまり盟友のマルバスは猫になり、俺自身も大幅なレベルダウンを受けている。

 そのうえ、この世界に閉じ込められているのだ。


 俺は心の中でため息をつく。


「エリーン、さっきお前はこう言ったな。忠義を尽くすので、人間共を滅ぼしてくださいと」

「……はい」


 ごくり、とエリーンが喉を鳴らす。俺の出方が恐ろしいんだろう。

 俺が人間の味方なら、ここでおしまいだもんな。


 エリーンのかたわらにきて、その肩に手をポンと置く。


「安心しろ―――俺がリュシアーン役をやってやる。お前たちは俺に忠誠を誓う。俺は人間共を滅ぼす。いいよな、それで?」

「は、はい……!?」

「任せておけ、俺は魔王として三万年の超ベテランだ。うまくやれるぞ」

「ちょ、ちょっと――それは」

「人間を滅ぼすんだろ? 小さいことは気にせず、結果を追い求めるべきじゃないのか?」

「小さくはありません! いえ、とても大きなことです!」

「だから気にするなって。滅ぼせないよ、人間? お前達だけで完遂できるなら、この儀式もしてないよな?」


 うぐ、とエリーンが言葉に詰まる。

 よしよし、どうやら見込み通りのようだ。高次存在に助けを求める連中は、自力では不可能なことを求める。


 魔人再興のためとか言っていたが、逆に言えば再興したいほどの状況ということだ。

 おおかた人間に追い詰められ、一発逆転狙いの儀式なのだろう。


「エリーン、よく考えろ。俺の力を見ただろ? これはチャンスなんだぞ。お前達の同胞は助けがいるんじゃないのか? 俺には、その力も意志もある。こんな機会はめったにない」


 しかしエリーンはもごもごと、いや…でも……とか言っている。

 もうひと押しだ。


「断るなら、人間共のところに行く。お前達を手土産にしてな」


 エリーンも他の女も凍りついた。


 これは嘘だ。そのつもりはまだない。

 それは、人間には「勇者」という連中がいるからだ。そう、ファンタジーでおなじみの神に選ばれし者たちだ。勇者は地上にあっては超絶の力をもつ存在だ。高レベルの勇者ともなれば、物質世界では天使どもより厄介だ。

 なにせ通常の力に加えて、俺達の力に非常に有利なように「できている」

 これは幻想宇宙に例外なく、決まりきってるお約束なのだ。

 しかも勇者は本能的に俺達――魔なるものを嫌う。力が万全でない今、考えなしに人間どもの中に飛び込むのは危険すぎる。


 対して魔人というのはどうもこの世界オリジナルっぽい存在だが、ぱっと見た感じ、魔法で人間に手を加えた存在だ。いや、見た目は人間と変わらないが、魔力の気配が違う。


 体内にひとつ、握りこぶし大の魔力増幅器官がある……ように見える。


 人間に手をくわえた存在、魔に連なるものから勇者が生まれることはない。

 つまり魔人達の中にいれば、当面は勇者と対面することはないのだ。


 軽い脅しのつもりだったが、効果は抜群だった。


「それは―――おやめください。命は惜しくはありませんが、あなた様が人間に味方すれば、魔人は終わりです……」


 エリーンは声を震わせ、明らかに恐怖していた。


「よし、なら話は決まりだな。今日から俺が魔王として、お前たちの事業を遂行してやる。お前達は、俺の手足となって働くのだ」

「……はい」


 思いっ切り、涙声だ。しかもこちらに伝わるほど震えている。

 他の女もすごく不安そうな視線だ。


 そんなに嫌なのかよ。ちょっと傷つくなぁ。

 でもまぁ、一歩前進だ。さて何からやるか―――


「あなた様のお世継ぎ、お産みします……」

「はぁ……?」

「リュシアーン様には、乙女を捧げるのが習わし。あなた様も同じなのでは――」

「そんな決まりはねぇぞ!?」

「そうなのですか!?」


 エリーンはきょとんとする。

 ……リュシアーンめ、相当エロいやつだな。弱みに付け込んで、色々やってたのかよ。

 だからエリーンはうなだれてたのか。

 そりゃそうだ、赤の他人と子作りなんざしたくないだろう。


 ごほん、と俺は咳払いする。

 俺にも初対面の女と子作りする趣味なぞない。


「そういうことはしなくていい。あくまで魔人再興とやらを成し遂げるだけだ。わかったな」


 エリーンの顔がぱぁっと明るくなる。

 おお、笑うと印象が違う。朝顔のような、気持ちのいい笑顔だ。


 声の調子も、いままでと全く違った。元気良く、前向きだ。


「はい、承知しました。魔王様!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る