エピローグ

エピローグ ルーザーキッドと呼ばれていたけど①

 ベッドの上。

 まどろみから起きあがり、床を見詰める。

 

 フランケンズ・ディスト・ホールの物置、もとい、家主の生活部屋。

 

 この部屋には、小さな窓が一つしかない。

 日当たり良好とは言い難いが、陽だまりの出来る位置で、自分が寝過ごしたかどうかぐらいは分かる。

 

 身体の表面が、うっすらと渇いている。

 ブランケットを抱きしめ、繊維の隙間に吸い取られた熱を、求めてみる。

 

 寒くもないのに、日差しの元へ引き寄せられていく。

 ベッドから降りて、床を這う。

 窓に背を向け、壁にもたれかかって座る。

 うなじに温かさを浴びながら、ゆっくりと目を閉じる。

 窓から黒い床に降りる、光で切りとられた空間の一部に同化する。

 漂う埃たちに混じり、自分の腕の産毛が淡い輝きを纏っているのを見た。

 

 ジョニーは、クローゼットのどこかに転がっているはずの、スマートフォンの事を思い出していた。

 アラームはいつも、数日ごとに、好きな曲に変え続けていた。

 勿論、とっくにバッテリーは切れているはずだったが、それでも今日、ジョニーの目を覚まさせたのは、音楽だった。

 

 聞いたことのない、くすぐるような音色。

 部屋のドアを一枚隔てた先、廊下から聞こえてくる。

 

 旋律もリズムも無い音色にジョニーは、不器用な愛撫を連想する。

 母親になりたての女の、子どもを寝かしつける指先のような。

 無際限に与えられ続ける接触は、赤ん坊に覚醒と混濁を反復させる堂々巡り。

 溌剌とも、深い眠りとも違った、境界線上の安らぎ。


 ジョニーは、ブランケットを抱く腕の力を強めた。

 しばらくそうしていた。

 十分に堪能した後、膝にゆっくり力を込めて立ち上がる。


 足音を忍ばせ、ドアへと近づいていく。

 名残惜しかったが、二つに一つ、というやつだった。

 このままずっとこうしていれば、そのうちドアの外の彼女は部屋に戻って来るだろうから、寝起きの感傷的な姿を見られてしまうことになる。

 ならば、こちらから覗きに行ってやるほか、無いではないか。

 

 ドアノブを回す。

 可愛らしい悲鳴とともに、ドアを背もたれにして座り込んでいたらしいリンダの身体が、支えを失って転がり込んでくる。

 ジョニーは、その軽い背中を両手で受け止めた後、優しく、床の上に仰向けに転がした。

 

 リンダの胸には、ジョニーのギターが抱かれていた。

 左手をネックに、右の翼をボディにかけたままだ。

 ストリングスが、白く柔らかい羽毛に埋まっているのが見える。


「……起こしちゃ悪いと、思ったから」

 

 リンダの言い訳は、謎めいていた。

 普段の遠慮の無さを通すなら、ジョニーが寝ていようがお構いなく、同じ部屋で掻き鳴らしていれば良かっただろうし、本気で気遣うなら、少し歩いてホールで練習していればよかったのだ。

 

 だが勿論、ジョニーはそんな指摘はしなかった。

 ドア一枚隔てた非合理的ジレンマに、つい先ほどまで自分も酔っていたばかりだからだ。

 

 リンダは、ネックで口元を隠す。

 ネジペグの陰から、悪戯を見つかった子どもの視線が、向けられている。

 

 みるみるジョニーからは、何のやる気も失せてしまう。

 完璧な時間に水を差すことを恐れ、黙って見詰めていることしか出来なくなる。

 

 最近、発作的にこんな状態に陥ることがある。

 

 勝ち得た物全てが、今、この部屋には存在している。

 

 不意に、ベッド脇から視線を感じる。

 振り返らなくても分かる。

 

 サン・ファルシア祭の優勝トロフィーが、ジョニーの背中を見ているはずだった。

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