最終章 ファイナル・ディスト⑤

 炎は、ステージの上を、両袖にまで流れ込む勢いで広がっていった。

 観客の誰の目から見ても、温度を調節された演出用魔炎には、とても思えないほど、強力に揺らめいていた。

 あんなものに飲みこまれてしまえば、一呼吸する間もなく、全身が爛れてしまうに決まっていた。

 陽炎による光の屈折の中で、水蒸気が歪なダンスを見せる。

 

 これまでのライブの興奮が、観客達を、悲劇に対して鈍感にさせていた。

 ジャックとロズによる歌唱から、ジョニーの登場まで。

 最初にヴェールが落とされ、雨が吹き込み始めた時、これ程までに絢爛な一連の演出が為される事を予測できた者が、いただろうか。

 この期に及んで、つまらぬアクシデントや、誰かの陰謀が介在する余地があると信じられる者など、いるわけも無かった。

 

 しかしながら実際問題、このタイミングでフランケンズ・ディストをまとめて害そうと企んだ者達がいたとしても、何も不思議ではないのだった。

 瞬く間に予選を駆けあがり、何十年かぶりに、「優勝候補」などという言葉を歌唱祭に蘇らせた、フランケンズ・ディスト。

 他の参加チームをあたれば、彼らのことを快く思っていない人間など、それだけで一つのチームを組める位に、出てきてしまうのではないか―――。

 

 観客達が、ステージ外を取り巻く事情に頭を巡らせ始める。

『最初から最後まで、フランケンズ・ディストに関する不条理であった』

 今年の歌唱祭は、このまま、そんなことだけが語り継がれるだけのものに成り下がってしまうのだろうかと、誰もが不安を抱いた。

 

 だが、事は観客の頭上で、斜め上の様相を見せ始めていた。


 雨が、ゆっくりと止んでいく。

 

 気付いた者から、天を差し、声を上げる。

 首を上に向けるまでは誰しもが、まさか晴れたのかと期待する。

 続いて、目にした者は、雨雲が斑に色づき始めたのかと錯覚する。

 そして最後には、分析を放棄し、ありのままの事態を受け入れることしか、出来なくなる。

 

 ヴェールの再生が、進行していた。

 だがそれは、以前の透明な屋根とは、全くの別物だった。

 

 初めは、アートホルンの丸く切り取られた空に点々と浮かぶ無数の―――小さな宝石であった。

 次第に、上空に浮遊する輝く結晶達は、枝を伸ばしあうように絡み合い、広がっていき、間隔を余すところなく埋め合うと、隙間の無い新たな屋根となった。


 どのような金持ちも、権力者も、決して見たことが無いだろう、宝石で出来た広大なツギハギが、アートホルンに被せられた。

 背景に夜を僅かに透かしながら、あらゆる箇所が異なった輝きを放っている。

 

 アートホルンにいた全ての者が半ば強制的に、しばしの放心を味わわされていた。

 まるで、雨季の雲の上にあり決して人が目にすることかなわぬという、色とりどりの光に満ちた聖人の領域が、降りて来たかのようだった。

 

 アートホルンに満ちていた悲劇の予感は、払拭されていた。

 ステージから炎が払われ、変貌を遂げたパフォーマーたちの姿が、露わになる。

 

 …     …     …


 炎は肌を優しく撫でつけ、服に染みた雨水だけを蒸気に変え、去っていった。

 爪の先程も焦がされることは無かった。

 微塵も憂いを残すことなく、舞台の上は払い清められた。

 

 ステージに、フランケンズ・ディストが立っていた。

 お互いを指差しながら、自分達の身に何が起きたか、問い質しあっていた。

 そこにいたのは、炎に隠れる前の、雨によれた統一感のない姿達では無かった。

 

 ジャックが元々着ていたシャツの上に、黄金の粒が紋様を描き並んで、肌の緑を引き立てている。

 ロズの、ピアスを空けていないほうの耳元に、深いブルーのサファイア・リングが取り付けられている。

 自分の瞳と同じ色の宝石などこの世にないと信じ込んでいたロズを、大きく驚かせていた。

 リンダの右翼、レイラの左翼が、それぞれオレンジと紫に色づき、煌めいている。

 ガーネットとアメシストを砕いて粉末にした、粗めの宝石塗料だった。

 羽が揺れる度、光沢のある美しい靄が舞った。

 流石の姉妹も、切り落として売ろうなどとは切り出せないようである。

 ペッパーは八つの足首に、スモーキークォーツのアンクレット。

 ジョニーは胸元に、銀の薔薇。

 フランケン―――すっかり元の大きさに戻り、ジョニーの頭の上に落ち着いている―――の中腹にあるのはなんと、クリスタルで出来た自身のミニチュアだった。

 

 与えられた宝玉達が有無を言わせず、フランケンズ・ディストの外観に統一された美しさ、すなわち衣装としての最低条件を、繕っていた。

 

 衣装の効果がどれほど絶大であったかと言えば、舞台が炎上する前に比べ人数が一人多くなっていることを、観客に中々気がつかせない程であった。


「すまぬ、遅くなった。……我が一番、手こずったわ」

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