最終章 ファイナル・ディスト

最終章 ファイナル・ディスト①

 気付いた人間は少なかった。

 

 アリーナの中央、小ステージまで続くランウェイ。

 ジャックとロズの足元を通り過ぎ、そこを何かが一目散に駆け抜けて行ったのだ。


 ステージ上に溜まった水を飛び散らせての疾走。

 観客の何人かは眼を向けたが、誰しもがすぐに見失った。

 

 フランケンの行方を、つかめた者はいなかった。

 

 全身を躍動させ這うその姿を目撃した者全員は、ランウェイを駆け抜ける透明な人間の影だけが、照明から逃れられなかったのだと、解釈した。

 数少ない目撃者たちですら、想像もしていなかった。

 この時すでに、祭りから暗雲を払うための爆薬が、人知れず投げ込まれつつあったのだということを。

 フランケンが、導火線を奔る黒い火花であったことを。

 

 …     …     …


 観客達はまず、それを、風の擦れる音として受け止めたようだった。

「天井の大穴は別として、隙間風が音を立てられるような場所がまだアートホルン内にあっただろうか」と、訝しんでいる。

 

 一音目から正確に、その音の正体を把握出来たのは、フランケンズ・ディストの面々だけだった。

 ジャック、リンダ、レイラ、ペッパーにとっては、聞きなれた音色。

 音楽に対する超越した洞察をもつロズにとっては、忘れるはずもない旋律。

 姉妹とペッパーが血相を変え最前へ駆けより、ジャックとロズの隣に並んだ。

 

 フランケンズ・ディスト内だけの共同幻聴では無かった。

 観客達も、自分達の生み出した静寂にいつの間にか溶け込んでいた、自然音以外の闖入者に気が付き、ざわつき始める。

 

 全スポットライトが一斉に、ランウェイ先の小ステージを照らし出す。

 

 男が、立っていた。

 

 服飾に明るいジャックをして、あんな仕立ての服は、二つとして見たことが無かった。黒のロングコートの、照明をはじく独特の光沢。シャツには、見たこともない呪形文字の群れが踊り、馴染のない建築様式の建物が、驚くほど精密に描かれている。

 どうやって縫製したのか―――問い質せる機会はもう二度と、こないと思っていたのに。

 五人は揃って、叫び声をあげた。


 正体見破られたりと開き直るかのように、その異界生まれの手にしたギターが、猛り狂った。

 血色のボディをバックに、ストリングスが掻きならされる。

 アリーナ中からスタンドの最後列に至るまで、そこかしこから悲鳴が上がる。

 ジョニーと向き合うフランケンズ・ディストの五人にも、その理由は分かった。

 確かに感じたのだ。

 足の先から喉の奥までこじ開けるような、空気の振動。

 たちどころに観客の心から、雨も雲も吹き飛ばされる。

 フランケンズ・ディストのパフォーマンス、異界の音楽に焦がれていた純粋な気持ちを、ジョニーのギターは力づくで、取り戻させていた。

 

 ジョニーの表情は、どこまでも余裕に溢れていた。

 コートの乱れはためく様まで計算尽くであるかのように、美麗。

 その長身の姿は、ジャックがこれまで見たことがないほど懸命だった。

 その音は、フランケンズ・ディスト・ホールでジョニーの披露したどんな『手本』よりも、威厳に満ちていた。

 この場にいる誰からも一生忘れられたくないと訴えているような、切実さがあった。


 さらに驚くべきは、ジョニーの頭の上だ。

 そこにいたのは、フランケンだった。

 

 遠目にも、疑いようがなかった。オール・ハンド・メイドなのだから。

 しかし、満身創痍の虫の息を、つい先刻、舞台袖の中で看取ってきたばかりなのである。リンダとレイラは、どんな手品だと疑っているかもしれなかったが、ジャックは見たままの光景をすぐに受け入れた。

 

 ジョニーの頭上、山高帽は全身のジッパーを限界まで裂き広げ、バックサウンドの全てを轟かせていた。

 ジョニーのリードに重ね、厚みを加えるギター。空気の余白を重厚に塗りつぶすベース。無知無感性の人間にさえ、身体を揺らさずにはいられなくさせる激しいドラム。

 フランケンの銀の裂傷、その一つ一つが、ジョニーの理想とする音の放出口だった。

 

 音は生き物と、かつてジョニーは言っていた。

 その理由が分かった。

 ジャック達も初めて聞く、ジョニーの本気。

 本物の異界の音楽。

 何万人もの人間と同時に口をきいているような、壮大な気分にさせられた。

「エルヴェリン・ミックス」に、ジョニーが納得するわけもなかったのだ。

 

 ジョニーとの出会いが、随分遠い昔の出来事のように思い起こされる。

 トリックよりも超常が似合ってしまう人間というのが、この世にはいるのだ。


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