第二十四章 ジャック・クレイジーエメラルド④

 観客達の怨嗟の声が聞こえる。


 ジャックは、ショックを受けずにいられなかった。

 時計塔広場の予選に立つ前のジャックであれば、こうも見事にうろたえることは無かったはずだった。

 

 たった一日。

 降って湧いたような、ニューアリア中からの受容。

 都合よく手の平を返してきた人間たちなど、相手にしていなかったつもりだった。

 しかし、自分でも知らないうちに、負け犬根性は去勢されていたのだ。

 つい先程まで、自分達は祭りのホープとしてステージに迎えられるものだとばかり思っていた。

 思い上がっていた。

 いまや、何万人もの観衆は、フランケンズ・ディストが袖から姿を表した途端に罵声を浴びせんと待ち構えているのだ。

 降り注ぐ雨は、雨季ならば恵みとして歓迎されただろう。

 だが、この時期における雲の発生は、聖人の昇天を妨げるまぎれもない凶事。

 神聖なる歌唱祭の会場に穢れを招き入れたフランケンズ・ディストに対し、神への冒涜だと、厳しい追及の声が会場中で巻き起こっていた。


「嵌められたんだ……」

 

 ジャックの脳裏に、シュリセとミノタウロス達の思わせぶりな目線のやりとりが蘇った。


「畜生!」


「抗議しなきゃ!」


 リンダとレイラは、シュリセと係員達の視線の交錯を直接見ていたわけでは無かっただろう。

 だが、どのみち思いつける心辺りは、一つしか無かったようだった。


 二人は、階段を下り、通路へ向かって駆けだそうとした。

 ともかく、妨害と備品破損に対する抗議を委員会側に訴えるのが先決だと、判断したのだろう。

 

 だが、出来なかった。

 筋肉の鎧をまとったミノタウロス達が、舞台袖からの出口に立ち塞がっていた。


「サン・ファルシアは、全て予定通りだ。スケジュールを乱すことはゆるさん」


「どけよ! ぶち殺されてーのか!」

 

 姉妹は、拳を握るにとどまった。

 そこにいたのは、触れるもの皆傷つけねば済まなかった頃のジンハウス姉妹ではなく、友の為にひたすら賢明な、ただの少女達だった。

 ここで暴力を振るえば、それこそおじゃんだということを、十分に理解していた。

 

 姉妹の正しい態度に、ジャックの目が眩む。

 全ては無意味だったのかと、心が萎んでいく。

 シュリセ・シールズ。

 ステラボウルズと手を組み、フランケンズ・ディストを破滅させようとする者達。

 力ある者の身勝手な正当性と、そのおこぼれに恥ずかしげも無く預かり続ける人間達。

 悪逆が蔓延る世界で、自分に、何が出来ると言うのか。

 

 別れを告げたはずの「幻想」と同じ質感を持ち、かつ、それよりもずっと強固な現実の繭に、ジャックは為す術なく閉じ込められた。

 清らかさが羽化する余地など、この世の何処にも無いではないかと、自身の肩を抱き、爪を立てる。

 

 どうすればいい。

 向かいの袖にいる残りのメンバー二人も、今、同じ状況に立たされているのか。


 何を考えればいい。


「誰か……」


 ここには舞台経験豊富なジョニーも、あっけらかんと迷いなく行動するフウもいない。

 

 二人なら、この状況にどう対応する―――


「こんな雨の中で歌えるか! 最低の笑いもんだ!」

 

 リンダの言葉。

 

 不意に、自分の置かれている状況がぶれて霞み、ジャックはニューアリアで経験したあらゆる「いつか」に引き戻された。

 

 光景は、多様にして単一。

 膝をつく自分だけが変わらず、流れゆく人波の中で、張り裂けそうになりながら、石畳の上で静止している。

 見慣れぬ黒いコートの背中を探す。

 何もない所から奇天烈な風貌の少年が飛び出してこないかと期待をかける。

 叶わぬと知り、目線を下げ、そして。

 

 大貝のチェーンなんて馬鹿げたアイテムを腰からぶら下げている、自分の姿だけが、残った。


「…………ジャック?」

 

 レイラが、敏感に悟った。

 

 ジャックは一人、歩き始めた。

 階段を、上っていく。

 

 ステージへ。

 

 リンダとレイラがとめる間もなく、ジャックは観客からの攻撃の的となりに、真っ直ぐ、向かっていった。

 

 一人、雨を迎えるように、両手を広げて。

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