第二十四章 ジャック・クレイジーエメラルド③

 ジャックに最大の衝撃を与えたのは、唯一の生存者だった。

 

 靴跡にまみれ、もはや頭に乗るどころか、首に巻きつくことさえ出来ないだろう。

 銀色の輝きを放っていたジッパーは全て千切れ飛び散り、老人の歯にも劣るほどに虚弱な様を呈していた。

 辛うじて、一枚の布であった。

 鈍重に這い、ジャックの足元にすり寄ってくる。


 ジャックは膝をつき、震える手でそっと、彼を撫で迎えた。

 その繊維の隙間には、仲間の一人としてこの場所を守れなかったことに対する悔しさが、満ちていた。

 

 ジャックは、自分のせいだと、自戒する。

 何故、片時も頭の上から離すべきでは無かったことに、気がつかなかった。

 舞台袖で起きた惨劇に、たった一人で挑ませてしまった。

 果敢に闘わなかったわけがない。

 その結果、修復の効かない傷を負わせてしまった。

 ジャックは呆然と、自分に出来ることの全てが、目の前から足音を立てて遠ざかるのを感じていた。


「道具を運び入れるまでが、我々の仕事だ。その後の管理に関しては、知ったことではない」

 

 打ちひしがれるジャックの後方で、気付けばリンダとレイラが、スタッフ二人に、事情の説明を求めていた。

 吠える姉妹に対し、ミノタウロスの受け答えは、いたって冷やかだ。

 

 予選を勝ち抜いた自分達は世界を一変させたのだと、今の今まで、疑っていなかった。

 だが、そんな風に感じられていたのは、あくまで主観に立っていたからなのだと言うことを、思い知らされた。

 ロズを迎えたとはいえ、元は、はぐれ者の集まり。

 フランケンズ・ディストの成り上がりを快く思わない者だって、いないわけがなかったのだ。

 この陰謀を企てた者にとって、協力者を見つけ出すのは容易いことだったはずだ。

 

 ここにきてフランケンズ・ディストは、それぞれが孤独だった時と全く変わらない他者からの嫌悪に、足を絡め取られることになってしまった。

 

 ステージの上にも、異変が起こっているようだった。


 ずっと聞こえてきていた観客の悲鳴が、歓喜からはっきりと色を変えていた。


 ジャックは、すぐに事態を察した。

 赤い階段を降りてくる冷たさは決して、ジャックの心象風景などでは無かった。


 ヴェールで、守られていたはずなのに。

 大粒の滴が、ステージへ続く階段から舞台袖へ、風に煽られ、飛沫に姿を変えながら、吹き込んできている。

 

 レイラがいち早く、状況を確かめようと、羽で身体を庇いながら階段を上って行った。

 ジャックとリンダも後に続く。

 そして、舞台袖ぎりぎりの所から、三人揃って何が起こっているのかを目撃し、言葉を失った。

 

 激しい雨が、ステージを襲っていた。

 メインステージの頭上の部分だけ、何故か雨避けのヴェールが消失している。

 観客席は変わらず守られているようだったが、それでもアリーナの最前列付近の者達だけは飛沫から逃れられていない。

 交わされる怒声。

 最も熱心だった客たちの起こしたパニックは最後列にまで伝わり、席を離れる者まで出ている始末のようだった。

 

 急遽駆り出されたのだろう、ロズとペッパーがいるはずの反対側の袖からステージの中央まで、司会者が傘を差しながら、走って登場した。


「落ち着いてください! ああー……これは、フランケンズ・ディストによる演出だということで、どうしてもと……」


 一気にまくしたて、帰っていった。

 片手のメモを読まされるためだけに雨の下に晒された不満を、隠そうともしていない。


「んなわけあるか! 何が、どーなって……!」

 

 リンダの怒りは、矛先を見つけられず、すぐに動揺へと変わっていった。

 

 雨は風と絡んで、猛りを増していく。

 いまやかろうじて、観客席の最前列の様相を視認できる位だった。

 反対側の舞台袖さえ、遠く霞んだ向こうである。

 

 天から降りしきる雨は、いまや世界でもっとも高さのある城壁と化し、ジャックの行く手を阻んでいる。

 叩きつけられた雨粒は霧になり漂って、ステージに侵入する者を惑わせんと待ち構えている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る