第二十四章 ジャック・クレイジーエメラルド

第二十四章 ジャック・クレイジーエメラルド①


 フランケンズ・ディストの登場により、歌唱祭という催しに新たな彩が加えられた。

 ステラボウルズに並び立つチームが現れたことにより、あらゆる人間の頭蓋の内で、決勝戦の勝敗を予測する楽しみが、おおよそ数十年超しに爆発していた。

 

 夜が訪れ、アートホルン開場間近となる。


 あっという間に会場周辺は、街中から人を掃いて集めてきたとしか思えない程の騒ぎになった。

 押しかけて来た群衆達の半分近くが座席の抽選にあぶれ、予選の行われた会場に設置された巨大鏡板での中継視聴に、泣く泣く切り替えることとなった。

 

 満員御礼。

 しかし、本来ならさらなる人数を、アートホルンには収容できるはずだった。

 

 来場者数の予測を、実行委員会は臨機応変に立て直し、効果の見込める数々の対策を打ち出していた。

 一例としては、観客席の最外周に翼種用の客席として、高度のある人工樹を設置するなどだ。


 だが、それらは全て、急遽中止になってしまっていた。

 客席のキャパシティ問題が些事となる程の、可及的速やかに解決すべき事案が浮上していたのだ。

 

 空前の盛況に暗雲が立ち込めた、と評すれば、一言一句文字通りになる。

 

 雨だ。

 

 アートホルンは、屋根の無い円筒型建築。

 通常なら、大きく丸く切り取られた澄んだ夜空を、アリーナから見上げることが出来る。

 星々を祀るサン・ファルシアにおいて、これ以上の会場は無いと、誰もからずっと信じられてきた。

 

 昼ごろから空の青を潰し始めた厚い黒雲は、常識外のアクシデントだった。

 星の輝きの増すこの季節に雨天など、誰が予想できただろうか。

 もし予見していた者がいるとするなら、その人間は、活火山の火口に雪が積もるのだって、見たことがあるはずだった。

 

 客の会場入りの時間を後に押して、緊急工事が行われた。

 出場選手達が揃って不安げに見守る中、実行委員たちの叡知から何とか導き出された苦肉の策が、早急に形となっていった。


 街の一区画ごと覆ってしまえるような巨大さの、水を弾く透明なヴェールが、アートホルンの上から被せられ、即席の天井となった。

 円筒に為された、柔らかく薄い巨大な硝子の蓋。

 インフラ術者達が眼を血走らせながら会場内に描き上げた、六十八か所の魔陣により、柱に頼ることなく、ヴェールは自立して浮き漂っている。

 大粒の雨を表面に滑らせ、客席に一滴たりとも漏らすことはない。

 各中継会場にも、似たような工事が施された。

 

 サン・ファルシア実行委員会は、術者達を手放しで評価した。

 確かに、応急処置としてはこれ以上ないものではある。

 しかしそれでも、修正された開場時間きっかりになだれ込んで来た群衆達の不安を、静めることは出来なかった。

 人々は、黒雲に対する議論をひっきりなしに交わし、思い思いに自分達なりの理解を深めていた。


「これで、サン・ファルシアといえるのか?」


『屋根』を仰ぎながらの非難が、声高にそこかしこから上がる。

 

 空に広がる暑い雲は、どの季節のものと照らし合わせても得体が知れなかった。

 滑らかさとは対極の乱れた気流を表しつつ、その濃い黒だけが、日の落ちた後の空本来の闇と酷似していた。


「凶兆でないはずがない!」


 不当な、夜の代位。

 さらにその下には、絶え間ない雨に打たれ半不透明に濁り続ける硝子の防壁。

 星の海は、二重の隔たりの向こう。

 

 これで一体どうして、星々に何が届けられるというのか。

 このまま歌唱祭を開催することは、聖人への冒涜ではないか―――。


 そのような観点から、祭りの延期に賛成する意見も沸き起こる中。

 ステージの上に司会者が、いかにも満を持してと、自信を持って登場することが出来たのには、訳があった。

 祭りの開催を危険視する者達がマジョリティというわけでは、決して無かったからだ。


「ここにきて先延ばしは勘弁してくれよ! 時計塔にいた連中に一晩中自慢されてから、待ち遠しくて堪らなかったんだ!」


 フランケンズ・ディストが、歌唱祭の神事としての側面を抑え、単純な興行としての期待を人々の間に強く持たせていたのが、吉と出た。

 祭りの屋台骨としての役割を果たしたことにより、アートホルンを埋め尽くす者達の間で、より一層、フランケンズ・ディストは存在感を増すこととなった。

 

 だが同時に一部の、少なくない観客達からの強い不信も向けられることとなった。

 いつもと違うことが起これば、いつもと違った何かが原因だと考えられるのは、致し方の無い道理。

 夜空より降りてくる銀の糸、その内の一本だけが黒く、フランケンズ・ディストと繋がっているのではないか。

 そのような疑惑を抱いている人々も、存在していた。

 しかし、疑惑を火種にまですることができた者は、いなかった。

 

 司会者の弁舌に導かれ、砂礫教会ステージから予選を通過してきたチーム、『ストレイ・ホワイツ』が、舞台に入場してくる。

 白鬼の少女達の美しい、砂漠と同じ色をした白髪はくはつ

 そのつややかさの隙間からツーサイドアップに盛り上がる白角が、スポットライトを照り返す。

 

 ひとたび祭りの最終章が始まれば、歓声がヴェールを割るんじゃないかと遠慮する者はいなくなった。

 

 アートホルンのステージは、二つに分かれている。

 両袖に設置された階段からパフォーマー達が直接入場してくる、大きなメインステージ。

 メインステージからアリーナの中央付近まで伸びたランウェイの先に位置する、円形の小ステージ。

 

 ステージ設備そのものは例年通りだったが、観客席、スタンド最後列の辺りに、見慣れぬ物体があった。

 金の刺繍の這入った、矢も通らぬ程の厚さの布で覆われた大テント。

 メインステージの上に立ったパフォーマーから見れば、アートホルンの対極同士の重量を、互いに調整しているような気分にさせられることだろう。

 白金に輝くテントは、それ自体もかなりの客席スペースを占有していたが、さらにその周囲には兵士まで配備されており、一般客達から守られている。

 

 さる高貴な御方は、大衆に姿を晒すことなく、僅かに空いたテントの隙間から観賞する予定らしい。

 正真正銘のロイヤルボックス。


「王族の方もいらっしゃると言うのに」

 

 諦めの悪い誰かが言ったそんな台詞が、ひとまず、祭りへの最後の文句となった。

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