第二十三章 ニューアリア・ラディカルズ⑥

 興奮した頭をクールダウンしておきたい。少し一人にしてくれ。

 仲間にそう断ることさえ、今の自分にとっては屈辱的だった。

 

 常に王道を切り開き、生きてきたつもりだった。

 物心ついた時から、自分が何か思いつくたびに、追従する者たちの影があった。

 やがて影の行進は、同年代の仲間内に止まらず、ニューアリア中を巻き込み始めた。


 まず、あれよあれよと葉が先に生い茂るのに続き、大地が惜しみなく根を育てる。

 自分はそんな、特権的法則の元に存在する、奇跡の大樹であったはずだ。

 

 なのに、何処で間違えた。

 

 シュリセはそう、追及する。

 だが、その矛先は、己では無かった。

 

 頭をクールダウンする、だと? 

 

 落ち着いた物の見方をしなければならないのは、街に蔓延る衆愚どもの方に決まっていた。

 異界の音楽は破滅を導くものにあらずとの意見が、悪性の疫病のように広まっている。

 滑稽極まり、忌々しい。

 伝統的なエルヴェリン族詩歌唱以外に心を奪われていること自体が主神への裏切りであると、何故理解しない。


 大事なのは、秩序ではなかったのか。

 慧眼を持たぬものであっても、騒乱と暴力の内にあれば、時代の醜さについて言葉を尽くし形容することが出来る。

 しかし、平和の中にあって、秩序を正確に賛美出来るものが、どれだけいるというのか。

 

 シュリセ・シールズは、ステラボウルズは、阿呆の目に映らぬ秩序に、美しさという輪郭を与え続けてきた。

 ニューアリアが発展を続け、居住希望者が後を絶たないのは、自分やシャンディーノのような人間が、自然発生的な階級を、人々が見惚れるほどの権威に日々仕立てあげているからこそだと言うのに。

 

 ニューアリアにおける近代的な価値観が他都市とはっきり異なるのは、それがまさに、芸術味を帯びているという点だ。

 一流のアートは、分析の余地を持たせず、見た者の感性を支配する。

 自覚しない人間が多いが、自らの属するコミュニティを支配する慣習に疑問を抱くことほど、小市民にとって苦痛となることは無い。

 だがそれも、ニューアリアには無縁の話だ。

 この街では誰もが、折り合いを付けるなどという無粋を行うことなく、ありのままで生きて行くことが出来るのだから。

 

 あのジャック・バステッドでさえ、長年にわたり、エルフに口応えの一つもしなかったではないか。

 ということはつまり、奴も己の扱われ方に安心を覚えていたということに他ならない。

 どんなに辛い境遇であったとしても、街を覆う倫理の庇護を離れるよりは数段マシであったと言うわけだ。

 あのオークは孤独でありながらしっかりと、ニューアリアという母体からの恵みを受けていたということではないか。

 

 これ以上の恩知らずがいるだろうか。

 

 奴は逆境に対し、何の正当性もない身勝手な怒りを訴え、自身の臆病を棚にあげた。

 自身と同じ、生まれつき劣る者、欠損を抱える者を偶像に仕立てあげ、人心の基盤に害を与えようとしている。

 自分自身で選んだルールにさえ従って生きられない意気地の無さを、歌に頼って補強した。

 

 芸術に対する冒涜以外のなにものでもない。

 ジャック・バステッドの所業は親殺しに等しく、これだけでも義憤に値する。

 

 加えて、唾棄すべき活動に、あろうことかシュリセのフィアンセまで巻き込んだ。

 シュリセは、フランケンズ・ディスト騒動がサン・ファルシアを台無しにしたことについて責任を感じていたが、ロズに関してはとりわけ、つくづく思慮が足りなかったと、珍しくも猛省していた。

 

 今にして思えば、予兆は幾らでもあったのだ。

 奇抜な服装、シュリセに対する無抵抗な態度。

 世間が、それぞれに対し全く真逆の評価を下していたせいで、今日になるまで気がつかなかったが、ジャック・バステッドとロズの行動は、瓜二つだ。

 

 エルフはこれまで、ジャックを責め続けてきた。

 その現場には常に、ロズの姿もあった。

 

 一言も交わすことなく、まるで紙の表裏に描かれた絵のごとく、背中あわせにお互いの姿を真似ていたのだ。

 どちらかを日に透かせば、もう片方の姿が鏡映しに浮かび上がる、同一化の運命。

 

 何が、あの二人に、酷似を選ばせた?

 

 シュリセの長く美しい左耳には、実は先端まで青黒い血管が伸びている。

 いつもは、鞘におさめられた刃の如く静かにしているのだが、怒り心頭に達すると、強い脈と共に浮かび上がるのだった。


 久しぶりに、『耳に』来た。

 

 このシュリセ・シールズが、何一つ不満を抱かせることなく愛してやっていたというのに。

 日当たりの悪い場所に咲いた裏切りの芽に、ロズは静かに辛抱強く、水をやり続けていたのだ。

 

 本当の意味で誠実だったはずの男に、婚約者は尊敬を返さなかった。

 浅はかにも、卑しいオークの手を取ったのだ。


 一日中記者に追いまわされ、これまでパフォーマーとして成し遂げたあらゆる偉業に対して向けられたものよりも、ずっと巨大な好奇心を浴びせられながら、君との仲を訊ねられ続けたスターの気持ちが分かるか!?

 

 容赦はもはや必要ない。

 

 シュリセは、スタッフ・ルームのドアを、ノックもせずに開けた。

 

 百人を超える者の視線が、何事かと、シュリセを見詰めている。

 視線に込められた好意の中に混じり物がないか探す自分を強く制し、左耳の静脈をなんとか納刀する。

 

 ステラボウルズの勝利を疑っているわけではない。

 それでも、ニューアリアの平和の為に、フランケンズ・ディストの破滅の確約だけは取っておかなければならないのだ。

 

 この部屋から協力者を得る為の材料は、二つあった。

 

 一つ目は、自分がシュリセ・シールズであるということ。

 二つ目は、シュリセの正しさを証明する、空の予兆。

 

 オークが夢など見なければよかったのだと、心の中で嘲笑った。

 エルフの空想は、弱者の希望の何倍も現実的なのだ。

 そのことを知らなかったのが、連中の敗因となるだろう。

 シュリセにとって、気に食わない者の敗北など、ありふれたビジョンだった。

 

 頭の中、声が響く。

 想像する必要などないはずの、奴の姿が、脳裏を過る。


『お前らを破滅させてやる!』

 

 ジャック・バステッドが、牙をむき出しにして叫んでいる。

 ふくらはぎの筋肉に跳躍のための力をみなぎらせながら、シュリセの左耳に、狙いを定めようとしていた。

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