第二十二章 ギフテッド②

「私もこの仕事は長いが、君みたいな人間は、初めてだよ」

 

 頭の中が真っ白になっていた高城に、プロデューサーが零した。

 年寄り特有の、自分語りを始める前に自ら巻く呼び水だった。

 

 高木たかぎ騎士ナイトを含む、長机に並ぶ審査員たちが眉をひそめる。

 確かに、名残惜しさから高城を引き止めようとしているように見えた。

 何のつもりで、そんなことをするのか。

 誰もプロデューサの心中を推し量ることが出来なかった。


「誰しもが、何かを変えたくて、やってくる。ここでは無いどこかへと考えて、オーディションに挑戦する。芸能『界』だ。現実を生きる我々にとって唯一、身近かつ確かな別世界だ。それを求める人間は絶えない」

 

 この場で最も権力を持つ者の言葉であるにも拘わらず、曖昧な相槌すら返す者はいなかった。

 ほんの一言でさえ、何かしら話す権利を持っているのは、プロデューサーだけのようだった。

 

 不思議と、誰も、止めることはなかった。

 

 精力に溢れる苗木が、周囲の樹から養分を吸い取り、森を代表する大木となるように。

 プロデューサの話は狭い会議室の中で膨らんでいく。


「だが残念なことに、殆どの人間は、真の意味で、現実と違う世界を求めているわけではないのだよ。彼らが本当に求めているのは、実のところ、『自己の不在』なんだ。……分かるかい? 隣の芝は青いなどという、安穏とした次元の話ではないよ。これは極めて、残酷なことだ。まず、己の存在しない世界を、よりリアルに感じたいという欲求から始まる。そして、その手段として、自分の存在しない世界に対して自分を投げ込むしかなくなるところまで、追い詰められる。だが、自分という観測体を存在させてしまえば、途端に世界は色あせる。自分自身が一滴の泥水となり、世界を濁らせてしまう。『自己の不在』こそが、究極の自由の条件なんだ。そしてそれは、永遠に満たされることは無い。我々は常に『自己の不在』という理想と、『観測体』としてしか欲求を満たせないという性質の板挟みにあっているんだ。人間が根源的に抱える、異世界衝動のジレンマだね」

 

 高城たかじょうは面食らった。

 こんな調子で話をする人間に、これまで会ったことが無かったからだった。

 

 プロデューサーの弁舌は留まる事を知らない。

 あまりに淀みなく話すので、一区切りつくまで、自分の理解がおいついていないことにすら気付かなかった。

 

 整理しようとするたびに、頭の中でこじれて行く。

 消化に悪い言葉を喰わされたと言うより、石を舌の上で転がしているような、口の渇く徒労だった。


 気付けば高城は、何故かプロデューサーの言葉に、真剣に耳を傾けている。

 エルヴェリンにて、何もかもをやり残してきた自分にとって、この部屋で、意味のあることなど起こり得るはずもなかったと言うのに。

 いつの間にか、集中を強いられている。

 

 プロデューサーは、コーヒーを一口含む。

 部屋には、豆の匂いが漂っていた。


「夢の後先、という言葉の、違った側面だよ。夢が先か、現実が先か。現実の否定が先か、別世界を望む心が先なのか、というお話さ。そして大抵の人間には、現実が先んじる。ありふれた不満や、疑問が、夢や大義といったものの予兆となるが、逆はなり得ない。これは当然さ。人間はその出生から、母体という肉体が存在するからこそ、赤ん坊に精神の芽が宿るメカニズムを採用している。信念などという、いわば空想を育て上げるためには、現実に対する感想が胎盤の役目を負うのが、摂理だろう。そしてここからは人の病だがね、誰しもがこれを隠したがるんだ。晴れて別世界の住人になった、あるいは、移住を志し始めるとしよう。県を跨いで引越しするようにはいかないね。長い時間がかかる。誰だって初めは、本心から言うものさ。他人に夢を与えたい、他人を自分の力で元気づけたい、と。しかしこれはあくまで、空想上の本心なんだ。証拠なんてありふれてる。長い時間がかかると言ったがね、具体的には、事務所に所属するのにも、舞台一つ上がるのにも、何年っていう時間がかかる。これは現代において、天才だって例外じゃない。覆せるのは、コネだけだ。その間に、親は叱りながらも、仕送りを送ってくれる。友人は、社会の中で立場を得ていき、自分を省みれば、恋人一人の暮らしすら、守ってやることが出来ない。日銭を得る為のどんなに下らない仕事だって、芸事にうつつを抜かしている自分よりも、若い人間の方がもてはやされる。どれもこれも、考えつく限りの、やるせない現実だ。そして、そんな現実に嫌というほど浸かった人間は、より強く、空想を語るようになる。『夢の為だ、勇気の為だ』……一見、一歩を踏み出し始めた時から、何も変わっていないように思える。しかしね、明確に違うんだ。その人間の中では、現実も別世界も、より一層濃さを増している。それに加え、比重が空想から、現実へと傾いていく。より強く異世界を称えるようになるのは、異世界の価値が上昇したからではなく、現実の辛さとのコントラストのせいで、オアシスに見えてしまうからなんだ。だがそれは蜃気楼。こんな仕事をしていると、誰かの夢や希望という言葉がね、命乞いにしか聞こえないときがある。そこに私は、本心が空想上にあることの証明を見る。自分にとっての異世界を虚飾にしてしまったということに、とうの本人だけが、いつまでも気がついていないんだ。これは殆どオートマチックに処理される恥の一種……有体な言い方をすれば、恥の無意識化……いや、無意識下の恥ということになるのかな」


「なんとなく、わかるっす。俺も一時期、シースルーにホットパンツだったもんな。そう言うの、いいとこ取りって言わねーだろ、って」

 

 声にならない驚きが、高城の中に湧いた。

 

 プロデューサーに初めて口を挟んだのは、なんとアイドル高木だった。

 

 発言の内容に反し、高木に過去を恥じている様子はない。

 胸騒ぎに似た敗北感を覚えるのは、高木が、現実と空想にまつわるギャップについて余りにもあっけらかんと語るから、というだけではないだろう。

 やけっぱちになって芸能界に喧嘩を売りに来た高城とは比べるべくもない資質。

 エルヴェリンで、ゴブリンのルタが言っていたことを思い出す。

 高木は本来、高城の代わりに召喚されていたはずの男なのだ。


「私はね。若者の、世界を変えたいという気持ちを見るのが、好きなんだよ。だからどうか、現実を恥じないでほしい。それこそが何もかもを変えて行くと、私は信じているんだ」

 

 その点において、高木を信頼しているとでも言いたげだった。

 

 高城は俄然やる気を出して話に聞き入ろうとしたが、困惑してしまう。

 プロデューサーは、高木に向けたのと同じ微笑みを、高城にも向けるのだった。


「君が変えたかったものは本当に世界だったのかね。もしそうだったとしたなら……君にとって、世界とは何だ」

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