第二十章 スタンバイ⑤

 

 テントの外では、もうとっくに歌唱祭が開幕している。

 

 ジャック達のエントリーナンバーは、当然、最後尾であるため、本番までにはまだ時間が残っていたが、練習は一旦、打ち止めになった。

 

 ロズから衣装に対する提案があって初めて、ジャックは、自分達の私服に、まるで統一感が無いことに気がついたのだ。


「ひとっ飛びして、適当に見繕ってこようか」


 申し出た姉妹を、ロズは制止した。


「それを言うなら私ら、種族だってばらばらじゃん」


 ステラボウルズを初め、出場チーム内の種族を揃えるのが、歌唱祭のスタンダードである。

 ロズが四人を見詰める目線は、愛おしげだった。

 折角ステラボウルズから抜け出してきたのだから、とことん古巣が生んだ慣習を破ってやらないと気が済まないらしい。

 

 ロズから、ある提案がなされた。

 そのアイデアを聞いた四人はすぐに沸き立ち、ステージまでの残り時間を、衣装制作に費やすべきだと決断した。

 道具は、今テントの中にあるものだけで、十分過ぎた。

 

 そうして、慌ただしく作業している間に時は経過し、次で、ジャック達の番になった。


 今、ステージでパフォーマンスを披露しているのは、ステラボウルズ芸術院所属の人魚マーメイドチームのようだった。

 時計塔ステージにおける、本戦出場の最有力候補と言われている。

 ステージを水槽式に変える際、海水の濃度に随分と拘っていたようで、時間がかなり圧していた。

 

 人魚らの歌声は、ジャック達のいるテントの中にまで聞こえてきていたが、五人は誰も、コーラスのバックに流れる泡音の多重奏に酔いしれてなどいなかった。

 このころになると流石に、観客の前に出るのが初めての四人は、大なり小なり緊張していたし、ロズにとっては聞き飽きた前座だった。

 

 そしてとうとう、水槽を解体する音が、聞こえ始める。

 いよいよだった。

 

 メイクと衣装に身を包んだメンバー達が全員、いつの間にかジャックを見ていた。

 ステージに上がる前の最後の鼓舞を、皆が求めていた。

 ジャックは椅子から立ち上がると、一旦、肺の空気を吐ききった後に、言った。


「戦いだ」

 

 仲間たちの顔が、ジャックの声に落ちつきと力強さを与えていた。


「僕は、何としても勝ちたい……ジョニーの事、全部聞いた。ジョニーは確かに嘘をついてた。けど、今街に溢れてる噂だって、ほとんどが本当の事じゃない。ジョニーは僕らが、ジョニーの名誉のために戦うって信じているはずだ。ジョニーだって、僕らの誰かが同じ事になったら、助けてくれるはずだから。街が束になったって馬鹿に出来る男じゃなかった。だろう?」

 

 喧騒、興奮、灯りの流れる街並み。

 ジャックの背後。

 テントの入り口に切りとられている風景は、めまぐるしく様相を変え、フランケンズ・ディストを待ち構えている。まるで、怪物の口の中にうごめく、八つに裂けた舌のように。


「お祭りだ。……こんなものに怯えてたなんて、今じゃ信じられない。いつも通りなんだ。僕らにとってステージも、人生も同じ。酷いことを言われたり、物を投げられたりするかもしれない。それでも」

 

 忘れてしまいたいことだけが増え続けて行く。

 それが人生だと、ずっと思っていたけれど。

 否、だからこそ、だ。


「楽しい思い出に、しようね」

 

 仲間達が、頷きを返してくる。

 ジャックは自分の口元が、自然と微笑んでいることに気がついた。

 

 揃って立ち上がり、テントの出口に向かう。

 

 微笑は、勇気の表れ。

 そしてさらに、その勇気の根拠にまで辿り着いた時、ジャックは、置き去りにしていたものを思い出した。

 

 どうしても伝えておくべきだった気持ちを、伝えていなかった。

 決定的な不義理を抱えたままステージに上がる寸前だったということに気付いた。


 うち震えながら、立ち止まり、チームメイト達に向けて振り返る。

 

 ジャックは嗚咽混じりに、それでもはっきりと、言った。


「心配、かけて、ごめん……!」


 左手首を、握りしめる。

 生々しい傷跡に、もう包帯は巻かれていなかった。

 ジャックの目から、涙がこぼれる。


 …     …     …


 リンダ、レイラ、ペッパーはジャックに駆け寄り、肩を抱き、共に泣き始めた。


 チーム登録の際の、テントでの事。

ジャックが駆けつけて来た時、三人は、夢ではないかと疑った。

 だが同時に、蘇ったジャックは憎悪と衝動に満ちており、以前のジャックとは、どこかが違っていた。

 

 今、自分達のよく知るジャックが返ってきた。

 

 ジャックが、生き返ったという実感が一気に、溢れてきたのだった。

 

 …     …     …


 ロズはそっと一人、テントの外へと出て行った。


 この場において、彼らのメイクが落ちないかどうかを、何とか気にすることが出来るのは、自分だけだと思ったから。

 

 予測通り、ステージの整備も、もう終わっている。

 

 フランケンズ・ディストを呼びに来たスタッフの影があった。

 

 ウィンク一つで追い払われたスタッフは、ともすれば、このサン・ファルシアで一番の幸せ者だったかもしれない。

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