第二十章 スタンバイ③

「何度も練習した、あの歌でいこう。振りをもう一度、見直そう」

 

 待機テントの中は、誰から見られずに振りつけの確認、歌唱の最終調整を済ますことのできる位の広さがあった。

 テントの外に漏れないよう細心の注意を払ったボリュームで、アディハード水晶から、異世界のメロディが再生され続ける。


 音響監督は、フランケンだった。

 ジャックから「いったん止めて」と指示が飛べば、水晶の上で跳ね、「サビ前からもう一回」とくれば、玉乗り芸人になって水晶を転がし、チームに貢献した。その、自分もフランケンズ・ディストの一員だと主張している仕事ぶりに、ジャックは大きく勇気づけられた。

 

 しかし、このままではリハの効かない要素が二つ残っていた。

 一つは、リンダとレイラのダンスパート。

 道具は、ペッパーのバッグに準備していたし、入念に整備がされてもいたのだが、さすがにテントの中で展開するわけにもいかなかった。

 だが、これに関しては、不安要素にならなかった。


「今更ミスるかよ」


 リンダが息巻いた。


「息が乱れるタイミングだって、一緒よ」


 レイラは不敵さに一層の磨きをかけていた。

 

 チームのため、これまで見たことがない位、度胸満点の二人だった。

 

 だが、もう一つの要素については、どう手を焼けばいいのかすら、誰にも掴めなかった。

 

 ロズについてだった。

 

 ロズは、テントの隅に座り込んでいる。

 

 リンダ、レイラ、ペッパーはいい加減、ジャックとロズの間に特別な関係があることに、気が付き始めているようだった。

 無理も無い。

 ジャックの『何度も練習したあの歌で行こう』という言い回しは、ロズだけに対して、どことなく排他的な含みがあるものだったし、ロズがその前に言った『何を演るの』という問いかけは、今にして思えば、他の三人にでなく、ジャックだけに投げかけられていたのだろう。

 

 ジャックは、ロズの加入について、何の意見も口にしないままだった。

 何の意見も、口にすることが出来なかった。

 ジャック・バステッドとしては勿論、一パフォーマーとしても。

 

 ロズは四人の練習を、ただ眺めているだけに見える。

 しかしその視線は、ジャックに畏怖を覚えさせた。

 あの美しい青色の瞳の下、つんと尖った耳の内側で、自分達のダンスが、歌声が、幾度となく繰り返され、焼きつけられているのだと思うと、自然と、緊張せずにはいられなかった。

 見て学ぶ、などという半端な次元の話ではなく、胃で消化し、身体の一部にするのと同じ、肉体的な営みが、ロズの中で行われているに違いなかったのだ。

 

 ロズにとっての「興味を抱く」ということ。

 一流のショウ・パフォーマーは、好奇心だけ取り出しても怪物的に常軌を逸していた。

 

 そんなロズが、ジャックだけは、まともに直視していない。

 さらにジャックの方も、頑なにロズを視界に入れていない。

 二人が強く、意識し合っていることは、周囲からも明らかだっただろう。

 ロズが、ステラボウルズを捨ててまでフランケンズ・ディストに味方した理由。

 その全てがジャックに在ることを、ペッパーと姉妹も、悟り始めていた。

 

 やがて、ロズはおもむろに立ち上がるとテントの外に出て行く。飲み物を買いに行ったと思ったものは、誰もいなかった。


 …     …     …

 

 ロズが去った後、十分な間を置いてから、リンダが言った。


「……信用できるのか?」

 

 この台詞は、リンダにとって折衷案だった。

 普段なら、ロズとの関係を遠慮なくジャックに洗いざらい吐かせていた所だが、今のジャックに踏み込むことは、リンダをして躊躇われたのだった。

 

 緑色の肌は、裂けば黒煙が上がるのではというほどに滾っていた。

 しかし、それは同時に、焦げ付く寸前であることも意味していた。


『他の生物らの赤子と違い、卵の中の我らの雛は殻を破るため、孤高に自ら、なけなしの気力を投げ打つ』。

 ハーピーの宗教における説法である。

 一人前に育った後も、あらゆる心的動きの基礎となる原初の生動、というやつだ。

 種族を違えど、今のジャックは、それを体現している。

 リンダとレイラは、殻の外からつついて協力してやるには未熟な自分達を恨んだ。


「そもそも、五人揃ってないと定員割れだぁ……腕利きだっていうなら、文句もない。だが……」

 

 ロズの為に嬉々としてアイスクリームを買いに走ったころに比べれば、ペッパーも随分と、物事を見る目がフラットになっていた。

 ペッパーは、ジャックに発言を求める流れにしたくはないようだった。

 

 意気軒昂であるにも拘らず、フランケンズ・ディスト内で、何かがずれていた。


 このままではまずいのではないか。

 剣呑さが立ち込め始めたテント内の空気が、一瞬、抜けた。


 ロズがテントの入り口を開け、戻ってきたのだった。

 元の場所に座り直すのかと思っていると、四人の元に歩み寄ってくる。


 リンダの背中に、嫌な汗が伝った。

 

 ロズは、後ろ手に抱えていたガラス製ケースを、四人の前に差し出しながら言った。


「メイク、してあげよっか」

 

 仮装用の化粧セットだった。

 どうやらロズは、夜店にこれを探しに行っていたらしい。

 

 ロズの発言に、ジャック以外の三人は、衝撃のあまり目を剥いた。

 これまでの彼女の印象から、てっきり、ソロとセンターを要求してくるものとばかり思っていたのだ。

 

 ニューアリア一の歌い手であり、羨望の的。

 あの傲慢なロズ・マロースピアーズが、自分達の為に、裏方仕事をすすんでやろうとしているのだ。

 

 ロズが、大通りを探しまわって持ち帰った物は、メイク道具だけではなかったようだ。

 ジャックとの間に横たわる物を直視する勇気を、人込みに探しに行っていたのかもしれなかった。

 ロズはジャックを、今はしっかりと、見詰めている。

 

 長い沈黙があった。

 

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