第十九章 ナンバー7⑨


 リンダとレイラ、ペッパーも、何が起こっているのか、分からなかった。

 もし、三人の内誰かがジャックに目をやっていたなら、オークとエルフの特別な関係に、気付くことがあったかもしれない。

 

 ロズの姿を目に留めた時から、ジャックの顔には血色が戻っていた。

 だが、包帯を巻いた左手が、哀切を心臓から掻きだそうとするかのように胸を抑え込んでいたため、発作を起こしている風にも見えていた。


 …     …     …


「大会前にまで、冗談はよすんだ。チームが不安がる」

 

 シュリセがロズに、冷徹を向けた。

 

 表向きは、義理の父となる人の前で婚約者を諌めないわけにもいかない、という使命感を装っていた。

 その裏に、今日一番の狼狽が隠れていることは、誰から見ても一目瞭然だった。

 

 シュリセはロズの肩に手を回し、耳元でささやいた。


「撤回するんだ……今ならまだ、僕が何とかしてやれる」

 

 シュリセは、同胞のエルフ達に振りかえった。

 

 ステラボウルズ達は、互いに目を見合わせている。

 ロズの言葉の真意について議論したいのは山々だっただろうが、指導者の娘の名誉に傷がつくようなことを言った後で、それが後から見当違いだったとなった際のことを、全員が打算していた為に、揃って黙ったまま、不安がっていることしか出来ていなかった。

 

 もし、ロズの言った通りなのだとしたらそれは、チームへの、許されざる背信である。

 他のメンバーが同じことをしたなら、ステラボウルズ芸術院からの即時追放は免れないだろう。


 しかしそれが、チームのエースだった場合なら?


 チームの誰も、こんな事態を予期していなかった。

 強固な大黒柱はまず、折れるかもしれないなどとは予想させないものだ。

 

 折れかけの、柱。

 

 ロズの爆弾発言に隠れていたが、実はこの時、シュリセの立場も危うくなっていたのだった。

 シュリセは、ロズがフランケンズ・ディストに関わっていると思い込んでいたが、そのことについて、誰にも相談していなかったのである。


「いつもの気まぐれだ。ロズの発言は、恋人として彼女の事を見てやれてなかった僕に責任がある。……お義父さん、僕が保証します。チームメイトと、この場にいる全ての皆さんにも。決して、皆が頭の中で考えているような事態になっているわけじゃない。ロズは決して、ニューアリアの文化を導いていくべき、由緒正しき歴史を持つ種族としての誇りを失ったわけでは」


「そんなのはわたしの誇りじゃ無い!」

 

 シュリセを押し退け、ロズは腰まで届く金髪を振り乱し、叫んだ。

 巻いた毛が緩んだだけで、ロズの印象が大分変わるのだということに、多くの者が初めて気づいた。


 ロズの表情には、疲労が見えた。

 それも、肩で息をするような若々しい性質のものでなく、年老いた者の心に、長い時間をかけて一滴ずつ溜められていった何かが、初めて器の淵から垂れ落ちようとする際の、やるせなさの一種だった。

 

 ロズは、泣いていた。

 

 見ている人間全てに、息をするのも控えさせた。

 ロズがこれまで全ての人間達に抱かせ続けていた、美しい女は老婆にならないのだという少年じみた幻想は、粉々に砕け散った。

 歌い疲れた彼女すら、これまで誰も目にしたことが無かったというのに。

 

 ロズは、父親に近づいていく。

 チームメイトには、とっくに背を向けていた。

 もはやロズにとって、別れを告げたい相手は、父親しか残っていないようだった。


「パパのこと、大好き。尊敬してる。他の人には出来ないこと、たくさんやってきたんだもんね。でも」

 

 先程の、ジャックに対するシャンディーノの態度が、無慈悲な処刑人だったとすれば。


 ロズの、シャンディーノに対する言葉遣いは、末後を看取る看護婦のそれだった。

 優しさに満ちているのと同時に、残酷だった。


 私は見守っただけ。

 なのに貴方はひとりでに死にゆくのね。


 無常に揺れる娘に対し、シャンディーノは最後まで無抵抗でいることしか、出来なかった。


「パパは……自分をダンディだって勘違いするために、今まで頑張ってきたの?」

 

 …     …     …


 ロズは、父親がテントの中に入ってきた時の事を思い出していた。

 

 父が差別主義者であることは知っていた。

 それでも、父親が近づいて来るのを見た時、ロズは心の底から安心したのだ。

 全ての問題を、誰しもが幸せになれるやり方で解決してくれるものと、希望を抱かずにはいられなかった。

 

 だが、そんな幻想も、もはや過去のこと。


 ロズが自身と、父親に突きつけたのは、子離れ、親離れなどという、生易しい痛みでなはなかった。

 

 シャンディーノは、完全に打ちのめされ、沈黙していた。

 

 ロズは、自身の犯した不孝に苛まれながらも、こうするしかなかったのだと、歯を食いしばって耐えていた。

 父親が父親で、自分が自分である限り、いつかこうなる日が来るのは分かりきっていたのだから、と。

 

 申込用紙は地面の上に、引き裂かれたまま、まだ残っていた。

 ロズに拾われ、係員に突き出される。


「リーダーは私。これで五人」


『これ以上文句があるか』。

 ロズは、軽く首を傾げて係員を威嚇する。

 長い耳は、首から上のどんな些細な動きにも、役者めいた大仰さを持たせる。

 この世の誰にも、逆らえるはずがなかった。

 

 係員が、用紙とロズの間で視線を彷徨わせながら、質問した。


「チーム、名は……?」

 

 ロズは、新たなチームメイトとなった四人を一瞥した後、答えた。


「フランケンズ・ディスト」

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