第十九章 ナンバー7⑦
「よくも……よくも、ジョニーの名誉を傷つけたな!」
ジャックは、テントの最奥にある責任者席、そのカウンターに平手を打ちつけ、訴えた。
「全部、僕らの思い通りにさせろ……! そうじゃなきゃ」
「ジョニー?」
テント内の耳ざとい誰かが、声をあげた。
「それって、偽物の異界生まれの?」
純粋な疑問だった。
ジャックは、声のした方に視線を向けた。
声の主は、自分の発言がどれだけ命知らずなものであったか、思い知っただろう。しかしジャックの視線が追いつく前に、発言主は逃げおおせた。周囲に、まぎれてしまったのだ。
ジョニーの名は、今のジャックの迫力でもってしても蓋が出来ないほどに、市民達の不安を煽る起爆剤となっていた。
「これはまずい!」
シュリセが大仰に叫んだ。
愉快でたまらないといった内心を隠しもせず、ジャックの掘った墓穴に、つけこんできた。
「かの詐欺者の音楽は、耳にした者達の命をただちに奪い、この優しい街の地を一瞬で崩落させるほど邪悪だと聞いている。皆も知っての通り」
知っての通りも何も。
シュリセ自身が広めた流言飛語だというのに。
「邪教の使徒だ。そんな者達の歌を、ニューアリア外部からも大勢の人間が訪れている歌唱祭で披露させるわけにはいかない! そうだろう!?」
シュリセは賛同を求め、ゆっくりと周囲を見やった。誰もが、我先にと頷きを返していた。
腸の煮えくり返ったジャックが、飛びかかる体勢をとったものの、
「決まりだ」
その前に、シャンディーノが、立ち塞がった。
刺すような視線というが、ジャックにはシャンディーノのそれが、いっそ自分の皮を剥いでいくように感じられた。
「いかにも、貴様らオークのやりそうな、卑劣極まりない企みだ。やはり、何代かけようと、血の汚れが落とされることは無いのだな。邪教と手を組み、この美しい街に害を為そうとは。己が欲望の為にケンタウロスを厩舎に繋ぎ、スプラウトを摘みエルフを汚し、森を焼くことに歴史の大半を費やした種族の末裔め。覚えておけ。ニューアリアの持つあらゆる美しさは、何一つ貴様に理解できるものでは無く、無関係なものだ。大いなる価値を、根性の無い連中と群れて汚すことだけは、この私が絶対に許さん。その時は……『破滅させてやる』とは、こちらの台詞だ」
ジャックが火花を散らそうとて、シャンディーノはさながら太陽だった。
死の縁から復活したジャックの中では、明らかに今までと違う何かが覚醒していた。
だがそれでも、この世界がジャックに叩きつける絶大な無力さを前にして、心は、竦まざるを得ない。
ジャックは読書家だ。
そのジャックをして、今この瞬間に一体、歴史に何の意味があるのだと思わずにはいられなかった。
しかし、ジャックは、弱小種族であることを度外視した所で、それでも、ちっぽけな人間の一人だった。
燃え盛ったところで、時に対する激情を放つには、余りにも、矮小な存在だった。
根を張る大木を、片手の一掬いで返そうとするかのような試みを前にして。
記憶が、ちらつく。
初めて転ばされて泣いた日に、何もかもを学ばされた。
判を押されたのだ。
これから長い時間、貴方が辿るのは今日と同じような未来ですよという、運命との契約だった。
自分は今、本当に革命を起こしに来たのだろうか。
もしかすると、「契約」の更新手続きをさせられているだけではないのか。
ジャックにとってこの街は、人で出来た荒野だった。
今も、昔も。
そして今、未来にまで、荒廃は広がろうとしていた。
ジャックを、絶望が包もうとしていた。
福音の予兆など、どこにもなかった。
しかし、この場にいる誰も、知らなかっただけなのだ。
予兆が、正確には姿を隠していただけだったということに。
その音は、リアルだった。
誰かの手を叩く音。
ジャックは周囲と自分との間に、隔絶を感じた。
不意に、優しく。
歴史からすら、己と言う存在が、切り離された感覚。
自分が、ジャック・バステッドという一個人であるという実感が、戻ってきた。
テントの中。
誰一人として、その方向を見ていない者はいなかった。
強い風が、細木の森を一方へと傾けるのに似ていた。
そこにいたのは、シャンディーノに次ぐ、森の支配者だった。
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