第十九章 ナンバー7⑤

 常人であれば、「何の騒ぎだ」と割って入ることなど出来ないはずだった。

 かといって、「何を静まりかえっている」と、口に出せる雰囲気でもなかったはずだ。

 

 だが闖入者は、その両方をいとも容易く、同時にやってのけた。

 

 たった今テントの入り口をくぐってきた男…………シャンディーノ・マロースピアーズ自身は、愛娘の婚約者の元へ歩み寄るまでに、一言も発さなかった。

 だが、風自身が音を立てず、大地を優雅に滑るのと一緒だった。

 いつだって、騒ぐのは森の枝葉達。

 シャンディーノが通りすがった端から、徐々にざわめきが生まれた。

 

 真の美に年齢は関係ないのだろうか。

 状況が証明している。

 シャンディーノの威厳は、舞台から引退し、指導に専念している今なお、若人を引き離して進化し続けているのだ。

 シャンディーノに道を譲る女たちは黄色い声をあげ、男たちは羨望の眼差しを向けていた。

 

 五十を過ぎてなお、それこそ上質な弓の如きしなりを持つ背骨。ひいてはそれが生み出すシルエット、渇きや脂とは無縁の、耳の先まで潤った肌が、一気に場を飲んだ。

 華奢とも筋肉質とも、円熟とも違った容姿は、ともすれば先程ペッパーのみせた「正義」とも同種の魅力だった。

 

 独特、ということ。

 

 しかし、年季が違う。

 かたや一歩を踏み出したばかりの若人、かたや生きている間に偉人と呼ばれた男。

 

 天秤がどちらに傾くかなど、分かりきっていた。

 

 シャンディーノはまず、係員に事情を尋ねていた。

 

 リンダとレイラは、ペッパーと背中をあわせる。

 フランケンズ・ディストの残党たちは、シャンディーノとステラボウルズに、挟まれる形となった。

 シャンディーノが、シュリセ達に一瞥をくれた。

 鼠すら追い払えない教え子たちに、不甲斐なさを抱いているのが、見てとれた。

 

 だがそれでも、シャンディーノはシュリセ達にとって、リンダとレイラにとってのペッパーとは比べ物にならない程の守護者だった。

 

 シャンディーノが、言い放つ。


「私は、認めない」

 

 神が勝者を作り出すのではない。

 神は、勝者の元へ訪れるだけなのだ。

 カリスマは、価値観を統率する。

 

 ニューアリア舞台演劇の文化においては、締め切りに追われた脚本家が物語に収拾を付ける為、都合よくラストシーンに六神を登場させることがある。神ならば、ストーリーを不条理なものにすることなく唐突に出現させることが出来る、というわけだが、今のテント内の状況はまさしくそれだ。

 

 固まっていた歌唱祭実行委員達が連携を取り戻し、目で合図をとりながら、三人を包囲し始める。


 レイラが、靴の裏を地面に擦り付けた。

 そうすることで、この場に自分を、未練がましく接着させようとしているかのようだった。


 それが、シャンディーノには不快だったらしい。

 理屈の通じない獣の駄々に痺れを切らしたシャンディーノが、レイラの肩を掴もうとした。

 

 それが、排除の皮切りになる。

 

 はずだった。


「汚い手で、触るな!」


 怒号というよりは、咆哮。

 

 戦端を一人で開こうとするものが、大軍に向けて響かせる雄叫び。

 

 獣にも、神がいるだろうか。

 

 もしくは、神が現れた後でも、物語の筋書きを変えるために舞台にあがることを許される人間が、この世に存在するだろうか。

 

 そこにいたのは見慣れた、緑色の―――

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