第十九章 ナンバー7④

「ちょうどいい。こいつらをつまみだせ」

 

 シュリセが、姉妹の後ろに向かって声をかけた。

 

 見慣れた、ずんぐりむっくりの姿があった。


 学生風紀のジャケットを羽織った、ペッパー・フランクが立っていた。


 …     …     …


 レイラは疑問に思った。


『シュリセは、フランケンズ・ディストの活動を把握しているようなことを示唆していたけれど、ペッパーの事は知らなかったのかしら』。


 レイラが疑問に思ったのも無理なかった。


 シュリセの人間性が常人のそれから乖離しているということを、レイラは知らなかったのだから。

 

 …     …     …


 シュリセがペッパーをただの警官だと判断した理由は、非常にシンプルだった。

 他国人の顔が皆同じに見えてしまう理屈と似ている。

 

 つまるところ、見慣れていないからの一言に尽きるが、シュリセというエルフにとって、醜い物に個性を見出すこと程、困難なことも無いのだった。


 ペッパーのふくよか過ぎる体型も、シュリセの認識の邪魔をしていた。

 ペッパーがジュース瓶を三本も抱えている理由に、疑問の余地を挟めなかったのだ。

 

 シュリセは、デブの蜘蛛人アラクニドが、周囲の景色の二倍の早さで動かなければ、職務怠慢を指摘してやる心算だった。


 …     …     …


 ペッパーは、わざとらしく緩慢に、ジャケットを地面に放り投げた。

 たった今から非番なんだと主張する態度は、あまりにも馴れ馴れしいそれだった。


 姉妹は、目を剥いた。

 親しくし始めてから数カ月。

 ペッパーが喧嘩において、気の利いた煽りを見せるのは、初めての事だった。


「やっと分かった」

 

 ペッパーは、照れたような、妙に余裕のあるはにかみを浮かべている。


「今日この日の為に、僕はデブだったんだ」

 

 姉妹とエルフ達の間に、ペッパーが巨体でもって割って入る。

 エルフ達から、リンダとレイラの身体が、完全に隠された形になった。

 

 シュリセが言った。


「こんな奴らを庇うのか? ……警官の端くれだろう?」


「僕が、こいつらの『お仲間』だ」

 

 シュリセの台詞を半ば無視して、ペッパーは言った。

 どよめきが、ステラボウルズ内に留まらず、テント内一杯にまで、一気に広がった。

 

 シュリセはそこで、ようやく目の前の巨漢も、そういえばフランケンズ・ディストの一人だったということを、思い出したようだ。


「……嘆かわしいな」

 

 シュリセは、地面に落ちたジャケットを一瞥しながら、言った。


「こんな女たちに目がくらんで職務放棄か。祭りの警備が仕事のはずだ。それが勤務時間内にステージを荒らすだと? 辛うじて喰らいついていた出世の道を棒にふり、分をわきまえず鏡も見ず、目立ちたがり屋にそそのかされて、恥をかく以外の何かが出来るとでも思っているのか? 警察の正義が疑われるだけだ」

 

 言葉は、彫刻刀だった。

 ペッパーの醜く太った身体と、エルフのしなやかな肢体。それぞれが味方につけている女のグレード。あらゆる差を、浮き彫りにしていく。

 シュリセは、自分と向き合った相手を惨めにしてやることなど造作も無いと、思っていたのだろう。

 

 だが、ペッパーは泰然としていた。

 確かな存在感を持って、エルフ達の前に立ちはだかっていた。

 

 喧嘩慣れしている姉妹は、シュリセの表情、眉の上の筋肉が僅かに震えたのを確かに見た。

 シュリセの心に、針で刺されたような感触が奔ったに違いない。

 傷痕は点に過ぎない。

 だがそれでいて無視できない焦りが、ステラボウルズのリーダーの心に生み落とされたのだ。


 エルフ達の道を塞ぐ、巨岩。

 言葉の彫刻刀も、膨らんだ腹からだけは、何一つそぎ落とすことが出来ていなかった。

 

 ペッパーが、口を開いた。


「正義っていうのは、もっと大きなものだ」

 

 力強く。

 この場で最も大きな物質の持つ質量に応じて、特別なエネルギーが、集まって来ているかのようだった。


「永遠に続く正義なんてない。人一人が一生を終える間にさえ、移ろって、変わっていく。本当はとても、不安定なものなんだ」

 

 硬い弦が、ゆっくり引かれるように。

 一つ一つの言葉は、どこまでも慎重であり、だからこそ、大胆でもあった。


「僕は、自分で決める。生まれる前から決まっていたものに、ただ従うだけじゃなく、僕が正しいと考えたものを、色んな人に訴えて行く。そのために、歌うつもりだ。彼女達と一緒に、ステージに立つつもりだ」

 

 気迫に対し、その表情は、どこまでも穏やかだった。

 ペッパーの姿から放たれる柔和さは、この場にいる者全てが身につけているあらゆる衣装、装飾、果ては技巧と比べても遜色ないほどの、目に見えない華美であった。

 

 指差され、滑稽だと嗤われるだけの、間抜けな警官のはずだった。

 シュリセの彫刻刀が、使い手の意に反し掘り上げたのは、藪蛇だった。

 テントの内側にいた者達の誰ひとりとして、他者からこんな風に惹きつけられた経験など無かったのだろう。

 

 ペッパーの内に、ステラボウルズすら体現したことの無い高潔が存在していることを、全ての者が悟らざるを得なかった。


「この場において、何の問題も起こしていない彼女らの正当な権利を侵害するなら、ニューアリア都市議会が二等風紀員に与える権限に基づき……お前ら全員、豚箱にぶち込んでやる」

 

 歌。

 

 エルヴェリンにおける、民族共通、番外の神。

 歌唱の王者たる、ステラボウルズ。

 

 七番目の現人神達に、今、真っ向から弓が引かれた。


 エルフ達の表情は、硬直していた。サン・ファルシアを日常の延長としか捉えていなかった者達のくるぶしまで、非日常が浸していた。

 

 対して、姉妹は、ぶん殴られたわけでもないのに、へたり込んでしまいそうになった。先程、時計塔広場を通り抜ける際に感じた喧騒が、遅れて耳に届いた気がした。

 

 姉妹と、ペッパー。

 ずっと追い追われる関係で、つい数カ月前までは、お互い以上に疎ましく思っていた相手も、いなかったはずなのに。

 

 ステラボウルズたちは、何かが変わる予兆に、慄いていた。

 

 姉妹だけが、もう全てが変わってしまったのだと、気付いていた。

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