第十九章 ナンバー7③
「何をしている」
シュリセ・シールズだった。
姉妹達の纏う剣呑な空気に怯えていた、歌唱祭の他の参加者達が、一斉に一息ついた。
「神聖な歌唱祭に何の用事がある……君たちのような淑女が」
シュリセが係員の手から、申込用紙を華麗にひったくる。
その後ろには、ステラボウルズのメンバー達も控えていた。
この場に彼らがいることは、姉妹にとって誤算だった。
ステラボウルズに、今夜のパフォーマンスの予定は無かったはずだからだ。
ステラボウルズは、初日の予選を唯一免除されているチームであり、明日の本戦の準備に掛かりきりだろうと、勝手に思い込んでいたのである。
この場で、舞台衣装を来ていないのは、ステラボウルズと、姉妹達だけだった。
それでも、二十人近くのエルフ達が、すぐにでも舞台に上がれるほどの輝きを有しているのに対し、同じように普段着を纏えど、リンダとレイラは、茶化しに来ただけとしか周囲に思われていないことは明白だった。
「悪い冗談だ。そうでなければ、良からぬことを企んでいると思われても仕方がない。ここは君たちがいていい場所じゃない」
「私らは新聞社じゃないわ。誰もがあなたの私見を聞きたがると思わないことね。勘違いしているようだから教えてあげる。あなたの顔も見たくない人間なんて、この世にはありふれてるのよ」
レイラが口喧嘩の切り込みを入れたのも束の間。
リンダが、二十人相手に大立ち回りの算段を付けるよりも早く。
シュリセが、手にした用紙を縦に裂き、放り捨てた。
係員は唖然としながら、空に舞う二分された用紙を見詰めていることしか出来なかった。
用紙が裂かれた際の軽く薄い音が、リンダとレイラの中でリフレインしていた。だがそれは、すぐに掻き消されることとなった。彼女達の堪忍袋は、ぶち切れる際に、雑誌を束にして裂くより激しい音を立てるのだった。
「勘違いをしているのは君らだ。僕は私見を述べたわけじゃない。周囲の意見を代言したまでだ」
テント内にひしめく、他の出場者達が、今この瞬間だけは観客と化していた。
シュリセの身体に万が一、かすり傷でもつこうものならと、過敏に案じているようだった。。
「ステージが汚されることは、許されない。この日の為に、ここにいる誰もが、必死に研鑽を重ねてきたのだから」
「それは私らだって!」
「良いだろう。とにかく、仮に君らが、僕らの及びもつかない所で、不良から改心していたとしよう。歌は……空から降ってきた男にでも、仕込んでもらったとして」
姉妹は、息を飲んだ。
ジョニーの事を暗に言われているのだと、分かったからだ。
シュリセは、ジョニーから音楽を教授された者達の存在を知っていたのだ。
揶揄は、氷を当てるように、姉妹の白熱した内面を冷まして行った。
「だが、誰が君たちを信じる? これまで散々悪事を働いてきた人間が、急に華やかな場で受け入れられるような事を、誰が許す? それに、見たところ君ら二人しかいないようだが? チームの最低人数は、片手でだって数えられる。お仲間はどこだ? まさかまだ、ベッドで眠りこけているだなんて言うつもりじゃないだろうな」
リンダとレイラは、同時に拳を握りながら、かつてジャックに言われたことを、思い出していた。
『君たちは自分より強そうな奴らには立ち向かえない』
無論、リンダとレイラは、目の前の屑の鼻っ面を叩き潰して、間抜けに口を半開きにしたままでしか生きていけないようにしてやりたくて、堪らなかった。
しかし、暴力という名のマスターキーは姉妹の手から、とうに離れていたのだ。
歌を覚えた日から。
あるいは、ジョニーやジャックと、知り合った日から。
二人はもう、二人だけではなくなっていた。
そして、寂しくないということは、こんなにも苦しく不自由なことなのかと、今、思い知った。
力ずくで暴れまわることは、もう出来なかった。
この場にいないフランケンズ・ディストの男たちによって、知らないうちに淑女らしさを教育され続けていたのだと、姉妹はようやく、気付いたのだった。
皮肉だった。
ここで問題を起こせば、ここ数カ月積み上げてきた時間が無駄になる。
いまだベッドに伏すジャックに、顔向け出来なくなる。
それは、目の前の敵を野放しにしておくことより、よほど堪えられないことだった。
リンダとレイラは手を繋がずとも、お互いの身体の中に流れる気持ちを、はっきり共有していた。
この場で、暴れないこと。
それこそが、この数カ月で新しく自分達の手のした矜持を、証明してくれるはずだと信じた。
だが周囲は、シュリセの毅然さが、姉妹を抑え込んでいると思ったようだった。
そのことが悔しくて堪らなく、リンダとレイラの目頭が、熱を持ち始める。
これもまた、初めての経験だった。
このままいけば、先に痺れを切らすのは自分達になるだろうと二人が予感した、その時だった。
「ちょうどいい。こいつらをつまみだせ」
シュリセが、姉妹の後ろに向かって声をかけた。
見慣れた、ずんぐりむっくりの姿があった。
学生風紀のジャケットを羽織った、ペッパー・フランクが立っていた。
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