第十九章 ナンバー7

第十九章 ナンバー7①

 サン・ファルシア。

 聖人の名。

 

 雨季を控え、空の果てが雲を溜めこんでいる間。

 ニューアリアでは、塵や霧の無い、澄んだ晴れの日が続く。

 一年の間で、最も荘厳な夜空が見られる時期だ。


 星々は、日に日に輝きを増していく。

 ニューアリアの住民たちにとっては、祭りの開催までを数える、星時計の役割を果たしていた。

 赤なら緑、黄色ならば紫。星々の色に対応した属色の星輪が広がり、それが最高潮になった日の翌日から二日間が、サン・ファルシア祭の期間だと、条例で定められている。

 

 星闇学塔の研究者たちは今年も優秀であった。

 サン・ファルシア祭は、星輪予報のズレを補正するための予備日を一日も費やすことなく、ニューアリア市民、ひいてはエルヴェリン中から見物に押しかける国民達の期待を僅かにも裏切ることなく、開催されようとしていた。

 

 祭りの数日前からは、前入りした観光客達ですら、街の飾り付けに駆り出される。

 

 伝説において、聖者ファルシアは、レイソルの恩寵を受けし者とされていた。

 星々を鼓舞し見守る使命を与えられており、遥か空の上、常人ならば目を潰されるほど満開の星界においても、欠片も濁ることのない眼を持つ聖者だと、伝えられている。

 

 ファルシアは、エルヴェリンにおける信仰においては非常に珍しい、「顔の無い聖者」であった。

 

 神に顔がないのは、必然だ。

 主神はおろか五柱神についてでさえ、特定の種族グループが「自分達と同じ姿を持つ神である」などと主張することは、不敬の極みとして、禁止されている。

 そんな事態がまかり通れば、信仰が容易く、種族間戦争の火種になることは明らかであるため、王都向神会、ならびにその権限の一部を預けられた各地方の神託課が、厳しく取り締まっている。

 

 だがそれは、ある種のイタチごっこであった。

 前時代、神が駄目ならばと、各種族の信心深い者らは、同族出身の英雄が、いかに神々に尽くしてきたかを語り継ぎ始めた。第二次神話創造運動である。

 

 物語とは、つまるところ空想だ。

 しかし、そのいくつかは長い歴史の中で、人が一生をかけたとしてもとても及ばぬ権威を手に入れる。

 物語はかつて、領地の占有権をめぐっての小競り合いや、法の下での権利の主張においてまで影響を及ぼすことすらあった。

 

 ファルシアも例外ではなく、その名の下に、由緒正しき利権を眠らせている。

 

 だが、ファルシアは、特定の種族の出身であるとされていないのだった。

 

 ファルシアは多相の聖者であり、一年に一度、その顔が決定される。

 

 サン・ファルシア祭、一日目。

 

 祭りのピークは、太陽が落ちてからだ。

 ニューアリア中央区に存在する、規模の大きな広場、公園など十カ所にそれぞれ、ステージ会場が出来上がっていた。

 ステージ間を繋ぐ限定路線図が描かれた、ケンタウロス馬車組合のパンフレットが、街中のそこかしこで配布されていた。

 屋根付きの会場は、一つとしてなかった。

 サン・ファルシア祭で行われるあらゆる歌唱は、星空への捧げものであり、歌と空の間を遮るものなど、あってはならないからだ。

 

 しかし、真に天界へ立ち昇るべき歌声は、歌唱祭優勝チームの物のみ。

 

 舞台の頂点を制したチームの歌だけが、敗者達の歌声も拾い集め、束ね、星々まで届けることが出来る―――。

 それが、祭りに纏わる神話であり、つまり、聖者ファルシアとは、最も美しい歌を披露した者達に贈られる称号のことなのであった。

 

 だが先に述べた通り、聖者の権威は、現代のニューアリアにおいてもなお、色濃い。

 にも拘わらず、数十年間にわたり、サン・ファルシアを名乗る権利、聖者の「顔」が歌唱祭のトロフィーにされ続けていることから、導かれる答えは一つ。

 

 音楽だけが、民族共通。

 

 種族入り乱れるエルヴェリンにおいて、ともすれば歌は、七番目の神なのかもしれなかった。

 

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