第十八章 少年は燃える剣を⑥

大河の源流は、静かにそこに立っていた。


『馬鹿な……!』

 

 魔王の力、憎悪を束にした体を持ってしてなお、こうして向き合うのがやっとだった。


『我と対極の性質を持つ貴様らの一族は、選ばれし盟友の助けがなければ、もはや何の力も発する事が出来ぬ程、弱り果てていたはず! 我は天より、全てを見ていた! 絆は砕け、供に選んだ者達を救えず、貴様は一人でここに来たはずだ! 有り得ぬ! 「共栄」を力とするしかない、運命に見捨てられた存在が、誰の手も借りずに起源に辿り着いたというのか!』

 

 …     …     …


 立ち塞がるは、一人の、勇者。

 

 かの者が纏うは、白銀の鎧。

 右の頬から胸板までを覆う、紅玉石の鱗。

 背には、王者の両翼。

 かつて、その羽ばたきは、昼夜問わず空を夕照色に変えてしまうとまで謳われた。

 

 

 魔王が憎悪の巨木であるのなら。

 

 その姿は、戦士の原木。


 あらゆる英雄像の原形。


『簡単だよ。花開いただけさ』

 

 発する声は、足元から赤の波を立たせる。

 声は荒野に轟き、魔王を威迫する。

 しかし、地を沈めんとするかのごとき魔王の威声とは対極に、フウの声は、口調に象徴されるように、何処までも軽いものだった。

 どんなささやかな空気の揺れにも応じるが故に、全てに染みわたっていく。


 今までフウを覆っていた張りぼての荘厳は完全に取り去られ、その下からは、品格が溢れ出していた。

 荒れ地と溶岩の上に位置してなお、万物に、礼を柔らかく強いている。

 恐るべきことに魔王さえ、フウの権勢の外では無いのだった。


『ねえ魔王。命なんて虚しいと思わないかい? 誰もが、少しばかり長く生きるために「今を感じる力」をすり減らして、生活している。僕らはその中でも、まさしく最たる者だね。そう考えると、まるで馬鹿じゃないか。誰よりも人間らしくあるせいで、人間らしく生きられないなんて。そんな僕らが、まるで自分達だけが普通じゃないって思いこみながら何千年も生きている時点で、何もかもが茶番だと思うけれど……それでも、観客席にいる誰もかもが、自分の舞台を最後まで見届けることなく去っていくのは、悲しいものだね。悲しい……そう、悲しいんだ。僕はなんて愚かな役者だったんだろう。ずっと、即興劇の幕をなるべく早く降ろそうと躍起になってた。それなのに、自分がそもそもそんなことをしてる理由を、ずっと見失っていたんだから。僕がこうして、君に轢かれても生きているのは、一つの事に気がついたからだよ』

 

 フウは、自分の口元が自然に歪むのを感じる。長い年月の果てに辿り着いたニヒルを、フウは静かに噛みしめて、言った。


『感情のこもっていない芝居が、終わらせて貰えるはずはないのさ』

 

 鎧に包まれた身体。

 フウは己の肉体に、注意深く感性を傾ける。

 

 心だけでなく肉体も、最早少年のそれでは無かった。

 フウの精神に堆積した永遠にも等しい時間が、溶岩に包まれる中で、ようやく栄養として機能した結果だった。

 

 双眸はより鋭く。

 焦点の合わなかった知性は、ついに今という時代に適応し、瞳の奥に湛えられている。

 筋肉の芯から幼児性は排除され、いつだって切先の鋭い、真の勇気というものの方向性を、取扱に間違うことなく発揮することが出来そうだった。

 

 体躯の伸びは、魔王の巨躯からしてみれば微々たるものだろうが、その変化はあくまで、フウの内在から目に見える世界に表出した、力の先端の発露に過ぎない。

 

 フウの肉体は、少年から青年へと成長していた。

 

 悠久にも等しき少年期を乗り越えたフウの覇気は、今、灼熱と共に荒野を満たし、魔王の機先を挫こうとしていた。


『僕は永く生きる。だから何もかも、置き去りにしなきゃならないと思ってた。僕には、君を倒すという使命しか残っていないんだと思ってた。でも、違った。本当は何一つ、僕を過ぎ去って行きはしなかったんだ』

 

 フウは背後、陽炎の彼方に揺らめくニューアリアを、僅かに振り返る。


『……あの街で、友達が出来た。冗談みたいに聞こえるかもしれないけど、二人で初めて歌を口ずさんだ時、まるでずっと、一緒に戦ってきた仲間みたいに、彼のことを思ったんだ。孤独に時間は無縁だって、気付かされた。一人一人の中で伸び縮みするから、生まれたようにも無くなったようにも錯覚するけれど……本当はそうじゃない。孤独とは、人の中にただ無為に在るもの。人の本質だ。長い時を生き、そしてあの街でいくばくかの時間を過ごした後に……僕はようやく見つけられたと言うわけさ。伝承の謎なんて、そんなものだよ。どんな真理も、蓋を開けてみれば、ありふれたものだ』


 痛烈な揶揄が、魔王に向けられる。

 長い時を生きるからこそ、生を徒労と告げられた際の痛痒は、凄まじいものとなる。

 フウは、敵意無き笑みで、魔王の困惑を受け入れている。


『僕は負けないだろう。君のように、生まれ持った力だけに従う獣じゃないから。生まれ落ちた後に積み重ねたものが全て、僕の中に留まり力を与えてくれる。友達が自分の身体を傷つけた時、僕は、君に故郷を焼かれた時の悲しみを、数千年ぶりに思い出した。覚えていることと、思い出すことの違いが、わかるかい? 覚えているというのは、いわばただの知識。そして、思い出すということの真実の意味は、遠い過去の感情を今ここに、意味のあるものとして感じ直すということ。こうして、起源は結びついた。……まあ、偉そうに講釈を垂れた所で、君に追い詰められてようやく、こうして開花出来たわけだけども。結果オーライ、というところかな。可能性は五分と踏んでたから、ドキドキだったよ』


『起源に辿り着ける確信も無いまま、貴様は我の前に現れたと言うのか……?』


『僕の友達は今日、あの街で、必ず舞台に立つだろう。人間は誰でも、自分にとっての魔王と闘いながら生きている。そして、僕には今が、決戦の時だ』


『我ら以外の種族など、瞬きの間に消えゆく塵芥に過ぎぬではないか。泡沫のように儚い者達が、貴様に、何を与えられたと言うのだ?』


『分からない?』


 フウは大仰な仕草で、両手を広げる。


『自然な会話のやり方だよ』

 

 焦熱の荒野に、異変が表れ始めた。


 大地を覆い、力強く流動していた溶岩が一挙に払われる。

 

 その下から現れたのは、焦土では無かった。

 

 荒野は、世界で最も美しい豊穣へと、姿を変えた。

 黄金と銀が溶け合い、絡み合いながら固まって出来た一面の輝きが、大地に広がっていた。

 

 赤石ビー大地サファエメルドイヤ結晶モンドガーネット純混濁オニキス大精ソーダライト

 

 この世に存在する、ありとあらゆる宝玉の結晶達が、フウを中心として巻き起こった竜巻の中で、暴れ回った。

 

 宝石達から、無数の光が、フウに向けて放たれる。

 

 フウは、己に向けて収束する輝きを、余すところなく、その手に掴んだ。

 

 握り込まれた光が、大剣を形作る。


 絶剣にして宝剣。

 

 透き通った輝石の刀身は、絶えず色を変えながら、羅熱を放つ。


『来いよ、僕の魔王』

 

 かくして、伝承の全ては受け継がれる。


『龍王ガルマモンドが子、鍛冶と鉱山の継承者、フランケンズ・ディスト、ナンバー5。フューシャ・スライが相手になる』

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