第十八章 少年は燃える剣を⑤
『伝承の勇者か』
声が、響く。
死の具現。
『憎悪喰い』と呼ばれた種族の末裔。
この世の裏側に刻まれた、有史以来の憎しみの全てを、身体の内側に保持するもの。
太古より、フウの一族は世の為に、かの者らを滅ぼす使命を、天の星から与えられている。
世の理に外れた場所から、幾百年かに一度この世界に現れる『憎悪喰い』達から、一族は世界を守り続けてきた。
しかし、この星が年を経るにつれ強大さを保てなっていくフウの一族とは対照的に、歴史を追うごとに『憎悪喰い』は、人々が生み出し続ける憎しみを糧に、その力を増していった。
そして今、その差は決定的なものとして、この荒野に示されている。
腐敗した巨蛇の中腹より更に、巨人の形状をした上体が、隆起している。
それこそが、憎悪喰いの末裔『魔王』の本体。
血濡れの牙に覆われた身体。
太陽を切り分けて盛ったかのような二つの瞳。
雷撃を編んで作られた六対の翼。
山すら抱きかかえる二本の豪腕。
『嗤わせるわ!』
大地を震わせる、声。
『かつてあれだけの隆盛を誇った、目障りな宿敵ども。その直系の力を引き継ぎし者は、いまや一人……何と哀れな。誰も信じる者がいなくなった伝承に未練がましく従い、ただ一人、我が前に立ち塞がるか!』
魔王の悦楽が、従える世界蛇の身体にも伝わっていく。
屍体の王国が、侮蔑と殺意の混声を奏でた。
『我らも、そして貴様らの種族も、余りにも長く生き過ぎる。だが、年月を経るごとに起源から遠ざかる貴様らとは違い、我らは起源を手に入れ続けることが出来る! 我の纏う死者たちの叫び、その重奏に酔うがよい! ここにいる者達は皆、かつて、この世界全ての命を巻き込んだ戦争にて死した者達。我と貴様と同く、この世の種族と種族も、争い、喰らい合うが宿命! だが死して初めて、盟友となる。さあ、死者どもよ! 復讐を叶えよ! 彼方に見えるあの街に犇めくは、汝らの子に剣を突き立て、親を焼いた者どもの末裔なるぞ! 望むがままに、殺戮の報いを!』
世界蛇の身体が、動き始める。
街の方角へ。
フウの存在を歯牙にも掛けることなく、轢き殺して通るつもりのようだった。
憎しみの核たる魔王から生まれた瘴気が、雲を貫く蛇の全身に満ちているのが分かった。
圧倒的な力の行進は、地形にさえ罅を入れ、歪めさせる程だった。もう何処にも、フウの退路はない。
このままでは、跡形もなく、死ぬしかない。
『貴様ら一族の非願であった「共栄の大地」など、この星が死に絶えるまで興りえぬ! ここで一人、歴史の闇に沈め!』
うねり迫る、世界蛇の身体。
魔王の哄笑。
それを主旋律とした、星の数ほどの屍体による、絶望の雄叫びの束。
先程浴びせられた熱波とは比べ物にならない音圧が、フウを押し潰そうとする。
濃い瘴気が続き、そして。
フウは完全に、取り込まれた。
… … …
魔王は歩みを止め、満面の笑みを浮かべた。
この星で生まれた、原初の種族対立。
それに終止符を打ったことが、誇らしくて堪らなかったのだ。
魔王は感覚を研ぎ澄まし、宿敵が、自分の身体のどの部分に取り込まれたのかを探る。
このまま楽に殺すと言うのも詰まらない。
守るべき街の崩壊を特等席で眺めさせた後、歴史に残るほどの手段で、弄り殺してやるつもりだった。
蛇の身体の尾、その末端に、屍体でない新鮮な肉の反応。
魔王は、尾の端を炎上させた。
黒炎は、あっという間に、山火事にも匹敵する大きさへと膨らんだ。
以前、魔王は、顕現が完全に終了する前に一度、街の像塔に向けて、天から火を降らせたことがあった。
その時の経験から、フウが炎からの加護を受けているのは分かっていた。
よって目的は、フウを火葬することでは無かった。
己の味方であるはずの炎に対処できないまま、閉じ込められ、街が焼き尽くされるのをただ見せつけられた時、伝承の勇者がどんな表情を浮かべるのか、見てみたかったのだった。
魔王は再び、ニューアリアを目指して、進軍を開始しようとした。
猛る黒炎を身に纏ったまま進撃を再開しようとした、瞬間。
屍体がかたまって構成された蛇の胴体、その、地面に接していた部分が、芯から砕け散った。
世界蛇の重心が揺らぐ。
状況を確認しようとした魔王は、予想だにしなかった光景を見た。
世界蛇の尾を覆っているのは、魔王自らが生みだした、黒炎では無かった。
透き通った輝きを放つ赤の炎が、黒炎を呑みこむようにして、火勢を上げていく。
爛れた屍体達が悲鳴をあげ、魔王に助けを求める。
荒野は、魔王の立つ場所を中心とし、気付けば、赤い光に染まっていた。
血と同種の色の渦でありながらも対極の性質を持った、生と情熱の炉。
荒野に、溶岩が湧いていた。
世界蛇の、ニューアリアに対する渇望は、完全に途絶えていた。
沈みゆく身体でのたうち、何とか逃れる。
光と熱の大河が、荒野に生み出され始める。
灼熱が荒野に、領土を拡大していく。
煌めく豪炎に溶けていく大地の上。
大河の源流は、静かにそこに立っていた。
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