第十八章 少年は燃える剣を④

 かつて自己は、あらゆる場所に点在していた。

 

 世界を彷徨い続けた。

 一所に留まらなかったのは、最初は使命の為だった。

 しかし、幾星霜が過ぎ行くうち、自身でも気付かぬ程にゆっくりと、理由は変化していた。

 移ろいゆく時代の中で、己だけが形を保ち続けることに、いつしか疑問を抱いていた。

 

 時は、自身と他者との間で平等では無かった。

 

 鞠を蹴って遊ぶ少年達。

 こちらに飛んできた鞠を、拾って投げ返そうとする間に、全ての者は死に絶える。

 そんな生だった。

 

 思い出とも、はぐれていく。

 

 手を引いてくれた親の顔さえ、忘れて行く。

 

 ならばせめてと、やらなければならないことだけに、しがみついた。

 

 心の奥底に、焼ける故郷の風景だけを、鮮明に残した。

 

 一族の使命を果たせるのは、もはや自分だけなのだ。

 この世界を守るのに、『何のため』などと考えることは不要だった。

 

 自分という存在にとって、世界は、あらゆる音の無い場所だった。

 

 水のせせらぎ。

 耳を擦るそよ風。

 雑踏の喧騒も何もかも。


 この身は、安らぎや煩わしさとは無縁の命だった。

 

 いつだって、今のこの状況、目の前にある風景と本質的には相違ない。

 

 何一つ音を立てる物のない荒野で。


「子らに手出しはさせぬ」

 

 一人、立ち尽くしている。

 

 眼前にそびえる豪雲は、目の前の大地から星の頂点にまで立ち上り、拡散し、空の青さを完全に覆い隠そうとしていた。


「魔王よ」

 

 フウが言葉を投げかけると、豪雲はその姿を一変させた。

 根から逆巻き、黒い炎と煙の本性を現わし、フウの立つ大地に向けて、熱波を叩きつけ始める。

 あらゆる種族の皮膚を爛れさせるに足るその猛威は、しかし、フウの髪や服の端さえ焦がすことは無かった。

 対峙する二者の間ではこの程度、威嚇にもならないのだった。

 

 眉ひとつ動かすことのないフウを、黒の竜巻は、轟音でもって迎える。

 自身がどれだけの雷と風を内に秘めているかの誇示、ではなかった。

 

 耳を研ぎ澄ませば、分かる。

 竜巻の中に満ちているのは、吹き荒れる程に束となった幾億もの、嘲笑と怨嗟の声だ。

 

 分厚い竜巻の内に守られている者の姿が、次第に明らかになる。

 

 天高くまで聳える、黒の巨体だった。

 

 その全身を覆う、節くれの様な細かい隆起は、身を守るための鱗ではない。

 

 一つ一つが、人間の、顔だった。

 

 死してなお、爛れさせ続けられた魂の表情は、いずれも黒く歪みきっていた。 

 幾億もの屍体を繋ぎ合せて作られた、天をつく巨蛇。

 

 その中央に、「魔王」はいた。

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