第十八章 少年は燃える剣を③

 地下街の天井の穴に、赤錆階段は吸い込まれて行く。

 

 周囲の景色が、暗闇に変わった。

 廃筒の中は、灯りが機能していなかった。

 

 ジャックは、自分がなぜこんな場所までやってきてしまったのか、ようやく分かった。

 誰一人として他人がいなさそうな場所へと、自分は流されているのだ。

 

 重力に逆らい、赤い渦巻は上方へと続いていた。

 ジャックは身を任せる。

 初めは点のようにしか見えていなかった上から差し込む明かりが、次第に大きくなっていく。

 

 地表に、辿り着いた。

 想像とは、違った光景が広がっていた。

 

 錆の気など微塵もない、緑一色の世界だった。

 足の親指程の背丈もない草が、地面を覆っている。

 朝露を吸った柔らかさが、どこまでも続いているように見えた。


 後ろを振り返ると、随分遠くに、街並みが見えた。

 地下街から、ニューアリアの外れに出ることが出来るなんて、知らなかった。

 祭りの支度に励む音は、ここまで聞こえてこなかった。

 

 ジャックはそっと、歩きだした。

 

 目立つ丘に登ると、地平線に近いところで緑が途切れ、その先に荒野が広がっているのが見えた。

 荒野の果ては不穏な天候で、巨大な黒い雲が塔のようにそびえ立っている。

 

 背後にニューアリア、前方に雷雲。

 その二つの中間に、ジャックは今、立っている。

 昏睡していた間、自分を包んでいたのはあんな雷雲だっただろうか。

 

 ジャックの喉が詰まる。

 胸筋が締め付けられたように硬直する。

 荒野へ、雷雲の元へと駆けだそうとする二本の足に力を込め、何とか落ち着かせる。

 巨大な雷雲は、ここからだと丁度、どんな巨種よりも大きな、二手二足の人間が立っているように見えた。

 

 感情が吹きあがり、爆裂しながら、轟音と共に身体の内を駆け巡る。

 これまでの人生、森羅万象に抱いてきた想念が、一挙に蘇った気さえした。

 這いまわる侮辱、汚辱、屈辱、恐怖が、一点に収束する。


 手首に巻かれた白い包帯をジャックは取り去る。


 傷跡を、天に晒した。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 ジャックの雄叫びは四散することなく、矢の形を取り、荒野の果てへと放たれた。


 地平線で待ち構える雷雲を、焼き殺してやりたかった。

 あらゆる空間に風穴を開け、地を割り、水を呼び覚ましてやりたかった。

 

 肋骨を砕いて飛び出そうとする激情の全てを、ジャックは自由にさせた。

 

 許すわけにはいかなかった。何もかもを。

 

 自分に死を押しつけた群衆。

 尊敬する友の名誉を傷つけた街。

 

 そして、何一つ信じられずに全てを捨ててしまった、自分自身の弱さ。

 

 目を醒まして最初に思い出さなければならなかったのは、自分の名前などでは無かった。

 死を選んだあの日、父と母が遅くまで帰ってこないことは、分かっていた。

 ならば、身勝手に死にかけていた自分を助け出してくれたのが誰かなんて、決まっているじゃないか。

 

 信じられないことに、意識を失っていた間の感触が、鮮明に蘇った。

 暗闇から自分の身体を引き上げる、ジョニーとフウの腕、ペッパーの太い指。水と血で濡れた服。タオルで足りなかった分は、リンダとレイラが羽を押しつけて、拭ってくれた。

 

 ジャックは、荒野へ、空へ、叫び続ける。

 

 生まれ変わるしかないと、思った。


 それには、心を焦土と化す覚悟が、必要だった。

 一度だけで良かった。

 人生を捧げて戦うために必要な全てを、ジャックは、己の内に願った。

 

 荒野に背を向け、螺旋を再び下っていく。

 

 診療所の病室に、戻ってきた。


 ベッドの脇に、ジャックの自作した服の中でも一等仕上がりの良い作品が、上下共に揃えられているのを発見する。

 さらに、先程は気付かなかったが、帽子掛けにフランケンも掛かっていた。

 ジッパーを閉じて、眠っている。

 ジャックは、鈍感な山高帽に思わず手を伸ばしかけるが、その前にやるべきことがまだまだ残っていたことを思い出し、引っ込めた。

 

 誰からの見舞いだろうか、バスケットの中に入っていたフルーツを両手に鷲掴みにし、汁を口元に滴らせながら半分ほど平らげた後、床に放り捨てる。

 

 病人用浴室を探し出し、シャワーを浴びた。

 天井の蛇口から温水を全開にして身を清め、ついでに歯も磨いた。

 

 身体を拭き、着替える。

 まずシャツに顔を埋め、石鹸の匂いを確かめてから、袖を通す。

 シルクレザーの薄地は、水玉紋様に、ところどころが切り抜かれている。

 ジャックは迷うことなく、いつもとは違った着こなしを選んだ。

 インナーを着ないまま袖を通すと、水玉は地肌の緑をそのままに透かした。

 

 洗面台の鏡に、姿を映す。

 

 顔を、何度も両手で強く叩き。

 心を奮起させ、四苦八苦して。

 

 ジャックは、笑顔を作った。

 作って、みせた。


 その後ようやく、山高帽の頂点を指で弾きに向かったのだった。


 


 この時のジャックは、知る由もない。

 荒野の彼方に見えた雷雲の下で、かけがえのない仲間の一人がまさに、決死の戦いへ赴こうとしていたことを。


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