第十七章 ペッパー・ビッグジャスティス⑤

「ジャックが自殺したのは……僕のせいだ」

 

 時が、動き始める。

 あの日から三人は、己の心の内側だけで、ジャックとジョニーに起こった悲劇に対し、独立した考えを巡らせていた。

 レイラとリンダの二人でさえ、それを交わらせることを、しなかった。


「それは」

 

 それは違う!

 

 叫ぼうとしたリンダを、ペッパーが手の平で制した。

 永遠のような数日の果てに、同じ場所、同じ自罰に辿り着いた二人の眼差しは、共に厳しかった。

 

 やがて、リンダが折れた。

 ペッパーがどのような覚悟で内心を吐露しようとしているか、伝わったからだった。


「僕の子ども時代が、想像出来るかぁ……? 今と同じだ。鏡に映る自分を見て、成長したと思った事なんか無い。背が伸びれば、その分腹も前に出た。体質なんだ、僕の姿は、いつの時代も、醜かった。そんな僕を、最初に助けてくれたのが……ジャックだった。ジャックの子ども時代を、考えたことがあるか?」

 

 レイラの脳裏に、巨大な辞書を縄で背中にくくり付け、俯きながら歩く緑色の小さな姿が浮かんだ。

 

 レイラの頭の中を読んだのだろうか。

 ペッパーが、小さく微笑んだ。


「逆だ。腕白そのものだった。僕をからかった相手に、殴りかかっていくんだ。……僕は、ジャックがお前らと仲良くしているのをミクシア祭で初めて見た時、最初はあり得ないと思った。だが、フランケンズ・ディストに入ってから、気付いた。ジャックは、心の底にお前らと同じものを持ってる」


「『乱暴』?」


「『勇気』だ。……それも全く、同じ性質。だから、惹かれあったんだぁ」

 

 僕には無い物だ、と、ペッパーは暗に示していた。


「出会ったばかりの頃は……ジャックがオークであることには、何の意味もなかった。だが大きくなるにつれ、人間が生まれ持ったものに宿る意味について、いやでも学ばざるを得なかった。ニューアリアで唯一平等な、例の教育ってやつだぁ。いつの間にかジャックの緑色は、僕の醜さ以上に、周囲から侮辱を浴びるようになっていた。僕は、どうしたと思う? ……どうすることも、出来なかった」

 

 大きな顔に落ちる影は、ともすれば常人の何倍も、濃い暗闇を湛えているように見えた。


「セヴァストラの警察学校に合格して、自分に自信がなかった僕は、舞い上がった。学生風紀として活動していれば、ジャックを励ますことが出来るんじゃないかと、思っていた。いじめられていた僕が、立派に街の治安を守っている姿を見せ続けていれば、ジャックの希望になれるんじゃないかと、希望を抱いた。……だが僕は、肝心な所から目を逸らしていた。子どもの頃のジャックは、そんなやり方で、僕を守ってくれていたわけじゃない。一度だって、『今に良いことがあるさ』なんて、言わなかった。いつだって、目の前の敵と戦ってた。僕には、ジャックを直接襲っている敵に、立ち向かう勇気がなかった」

 

 折りたたんだ八本の足に、力が入る。滑らかだったゴザが、皺に乱れた。


「人は、誰か一人でも味方がいれば……心の底から頼りに出来る相手がいれば、生きていけると思わないか?」

 

 ペッパーが、リンダとレイラを交互に見やった。

 

 レイラは今更ながら、フランケンズ・ディストのメンバーの中で、そう言えば自分達と最初に関わりを持った相手は、このペッパーなのだという事実に気がついた。

 

 街中で騒ぎを起こし暴れ回る姉妹。

 姉妹を目の敵にして追いまわす冴えない警官。

 

 ジョニーやジャック達と出会う遥か前から、自分達は面識があったのだ。

 敵対していたとはいえ、相手の人格に対して無関心だった時期が殆どを占めるとはいえ、長きにわたる関係は、自分達が気付かない程に薄い、それでも確かに特別な感情を、お互いに抱かせていた。

 

 ペッパーの目に宿っているのは、憧憬だった。

 リンダとレイラの様には決して成り得なかった、自分とジャックとの関係を、ペッパーは、後悔していた。


「唯一の友達だった僕が、臆病な態度をとり続けてたから……長い間、見て見ぬ振りを正当化し続けていたから……ジャックは、新しく出来た、僕なんかより何倍も頼りになる友達の事を、信頼し切れなかった。ジャックは、自分を傷つける必要なんて無かったのに」

 

 自責は、重かった。

 風に流れず、高い空に吸い込まれることもなく、赤茶けた土壌の上を流れることもしなかった。狭いゴザの上に積もり、ペッパーを呑みこんでいた。


「ジャックは、必ず起き上がる! だが、ジョニーがもういないことを知ったら……また苦しむだろう。フランケンズ・ディストは、ジャックの為に存続されなければならないんだ! せめて、ジョニーから教わったことを、僕らがちゃんと引き継いで、ジャックが安心して帰ってこられる場所を、守らなければならないんだぁっ! サン・ファルシアは、僕ら全員の夢だった。例え離れ離れになっても、ジョニーやフウの意思は、まだそこに乗っかっているっ! ……恥をかくかもしれない、罵られるかもしれない。けれど僕はもう、少しでもジャックの為になるのなら、幾らでも受け入れる覚悟だぁっ!」

 

 ペッパーの身体が、膨れ上がったかのような錯覚を、レイラは抱いた。


「だから……だから、頼むよ……もう、お前達だけが、頼りなんだよぅ……」

 

 これまで、お互いの翼でのみでしか触れられなかった姉妹の心のスペースに、ペッパーの熱さが流れ込んでくる。

 羽より柔らかく、指先よりも繊細な感触に、レイラとリンダは、思わず顔を見合わせる。

 

 虚ろだった姉の目に、活力が戻っていた。

 それは瑞々しさ、などと表せるような代物ではない。泡を絶え間なく上げ続ける、新鮮なマグマの潤いだった。


「ジャックの母ちゃん、すげー泣いてたな」


「勿体無いわよね。……私達のジョニーが好き放題言われてるの、許せる?」


「気に喰わねー。叩きのめすぞ。私らの一番得意なやり方でな」

 

 レイラとリンダが、手を合わせた。


 鼻水と涙にまみれたペッパーが、二人をまとめて抱きしめようと、駆け寄ってきた。姉妹は息を合わせ、それぞれペッパーの腕を一本ずつ取り、関節を極め、その大きな背中の後ろまで回しきった後……そのまま強く、太い五本の指と、握手を交わした。

 

 悲鳴を上げるのに必死で、ペッパーは姉妹からの愛情表現には気付いていないようだった。

 解放された後も、ペッパーは痛みに嘆いていた。おおよそ一生に一度の幸福を逃したことを、姉妹は教えてやらなかった。


「でも、肝心の音楽はどうするのよ? ジョニーの持ち物は全部、警察が押収したって……」

 

 レイラの不安を聞きとめたペッパーは、一転して気を持ち直し、胸を張りながら、持参した鞄の底を漁り始める。


「貸し一つ。お前達は仕事をサボった」

 

 取り出したるは見慣れた練習の供。

 ジョニーが、彼の知る楽曲を出来うる限りぶち込んだ遺産の結晶。

 

 アディハード水晶だった。

 

 透き通った輝きが、鞄から頭を出した瞬間に、レイラとリンダは、抱き合って歓声を上げた。

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