第十七章 ペッパー・ビッグジャスティス③
ここまで打ちのめされている原因を、姉自身が分かっていないはず無かった。
ジンハウス姉妹は、お互いを慮る事に長けていた。
心情を尋ねる質問は即ち、相手に対する無知をわざと気取る行いだった。
だが、もう、残された手段がそれ以外にありそうも無かった。
レイラは、今の二人に覆いかぶさっているものの正体が、言葉を交わすことでしか消化されえない悲劇だと、見抜いていた。
姉の恋人は、今や街中から攻撃される身分となった。
姉は、ジョニーを心の底から愛していた。
しかし、肝心のジョニーがもう居ないがために何もできず、焦げ付き、憔悴するしかないのだ。
だが、姉が拳を振り降ろす場所を見つけられない理由は、それだけではないはずだった。
「ジョニーに……母さんを重ねた?」
姉にとって、愛する人が目の前から消えるのは、これで二回目だ。
レイラもジョニーに対しては、年上の男性に対する尊敬を抱いていた。
しかしジョニーは仲間に対して、してはならない隠し事をしていた。
『何があってもあなたたちを愛しているわ』。
繰り返しそう説きながらも、かつて母親は姉妹を見捨てた。
なぜ、自分達が信頼を寄せた人間達は、こうも一方的に、自分達との関係を断ち切ってしまうのか。
子どもの頃に捨てられた姉妹だからこそ、思う。
子どもというのは、どんなに傷つけられても母親を愛さずにはいられない。
それは、「どんな時でも私を見詰めていて」という欲求を正当化するための代償だ。
母親は去り際、姉妹を振り返らなかった。
人は、誰か一人から見詰められるためだけに、あらゆる犠牲を払うことが出来るように作られていることを、もしかして、自分達しか知らないのではないか。
リンダがジョニーに対し、母親に感じているのと同じ憎しみを覚えていても、なんら不思議では無かった。
リンダは泣きながら否定するだろうが、ジョニーのした行いは、姉妹の持つ憎しみの原風景と、あまりにも酷似しているのだった。
崩れ落ちて行く姉を羽で包むのは、妹である自分の役目だと、レイラは思っていた。
これは自分にしか出来ない、ある種の手術だと、レイラは受け止めていた。
しかしリンダは、レイラの予測の全く逆を突いた。
「ジョニーは……あの女とは違うよ」
リンダは力なく首を、横に振った。
「空を飛んで逃げちまったのは、ジョニーじゃない。私の方さ。……もし、私が人を愛するようなことがあったら……その時は、何があっても見捨てないようにしようって、ずっと思ってたんだ。あの女がやったような、残酷な仕打ちだけは絶対にしない、って。それが……このザマだ。あの時、光に喰われそうになってるジョニーを、私、助けられなかった。今だって、ジョニーが街中から馬鹿にされてんのに、何もしてやれない。私は、あの女と、そっくりそのままだ。ジョニーは、振り返ってくれた。最後の瞬間、振り返ってくれたのに、私は……!」
「落ち着いて。姉さんとあの女だって、違う」
「違わないさ。もう全部分かるんだ。あの女は、嘘なんてついて無かった。本当に、私達を愛してて、ずっと傍にいるつもりだったんだ。でも、へし折られちまったんだよ。羽が一本しかない娘を生んだ責任を、ずっと背負わされ続けてたんだ。飲んだくれのクソ野郎に逃げられてから、たった独りで……。ジョニーが言ってだろ? 音楽は心を豊かにするって。私はもう、昔の私じゃない。色んな事を想像できるようになっちまった。この世界が、こんな娘二人を生んだ女に、どんな台詞を幾つ用意してたか、殆どはっきり分かるんだ! ……生まれてから今までのこと、全部自分のせいだよ、レイラ。私のせいで、母さんの人生は台無しになった。私のせいで、ジョニーは何もかも一人で抱えるはめになって、消えちまった!」
姉の台詞に、レイラは衝撃を受けた。
ジンハウス姉妹は、どちらかだけが責められるようには出来ていないはずだった。
リンダが傷付けばレイラも傷付く。
レイラが罰せられれば、リンダも罰せられてこその、姉妹だったはずなのに。
だからこれまで姉は、自分自身を傷つけるような事を言ったことが無かった。
己を傷つけることは、妹を傷つけるのと同じだと、知っていたからだ。
これまでずっと一緒だったリンダが、遠くへいってしまう気がした。
レイラの手当てが届かない場所に、姉が旅立とうとしている。
どうして、こんな時に限って、姉は慰めの言葉を思いつかせないやり方で悲しむのか。
リンダの目に、大粒の涙が浮かんでいる。
レイラも、鼻の奥に熱さが宿るのを感じていた。
このままではいけなかった。
片方が泣いているときに、もう片方は泣いてはいけないというのが、暗黙のルールだったはずなのに。
レイラは、半身を裂かれる恐怖に襲われていた。
姉妹は、全く同じタイミングで、身体を震わせる。
その時だった。
家のドアが叩かれた。
レイラは急いでドアへと駆け寄り、開けた。
根拠もなく、ジョニーが立っているような気がしたのだ。
だが、そこにいたのは、
「やっと見つけたぁ……お前らぁ……隠れ家が多すぎだぁ…………」
予想外の人物だった。
汗で張り付く短い前髪。
息を切らせている口の中で、だらしなく力の抜けた舌。
彼が入団したばかりの頃は、その肉厚の頬に釘が貫通するかどうかの実験を隙あらば行おうとして、姉妹は何度も、ジョニーに怒られた。
ダンスのレッスンに幾ら励んでも、全く体重を落とすことの無かった
ペッパー・フランクだった。
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