第十六章 フランケンシュタインの解体⑦

 自分が今、本当に流暢に話せているのか、不安になった。

 幾度となく、五人の子どもの前に立ち、声を張り指導してきた身だ。

 歌を歌うものとして、喉の感覚にもデリケートだ。

 鋭敏な舌は、声の振動を感じ取り、いつもと寸分違わぬ調子で発話出来ていることを、教えてくれる。

 だがそれは、声質だけ取ってみればの話だった。


「この世界に呼ばれようとしてたのは、呼ばれるべきだった人間は、俺じゃないんじゃないかって気付いてからもずっと、そんなはずないって、否定し続けてきた。きっと神様とやらが、可哀そうな俺に、初めて納得できるような曲を書くための刺激をお膳立てしてくれたに違いないって、強引に納得してた。だが違った。いつまでたっても、曲は書けないままだった。お前らと仲良くやってる間、本当はずっと怖かった。お前らに、俺の作った曲を聴かせてくれって言われたら、なんて断ればいいか、ずっと悩んでた。でも、お前らはまるで、魔法にかけられたみたいに、そのことについては強くせがまなかった。お前らの事、気に入ってたよ。それでも、新しい世界で見つけた新しい仲間の中に、元の世界と全く同じ風景が広がってて……そのせいで、心のどこかがずっと、寒くて震えてた。お前らは音楽を吸収して、成長していく。でも、俺の音楽を吸収したからってわけじゃない。この世界に来たのが、俺よりもっと音楽に詳しいやつだったら? もっと、人間が出来てるやつだったら? 自分の言葉を、曲に出来る奴だったら? ……自分の中から湧いて出る疑問に、俺は何も答えられなかった。エルヴェリンも、フランケンズ・ディストも、元いた世界と同じで、俺を必要としないまま、俺を受け入れ続けていたから。……ルタに、落書きを渡して金を貰いながら、もうずっと、俺じゃない奴が、お前らに囲まれて指導した方が良いんじゃないかって、思ってたんだ。……話は、これで全部。これが、俺の全てだ」

 

 種明かしは、終わりだった。

 心の底まで、蒸発し切っていた。身体の内側が、熱のこもった空洞になっていた。

 しかし、そこに一滴の水が足らされる。

 熱した鉄の先端を、冷水に触れさせたような音が、心の中でした気がした。


「……ああ、そうだ。最後に一つだけ、無駄な質問をさせてくれ」

 

 ジョニーは、フランケンズ・ディストの面々に向き直る。


「俺の言ってる意味が、分かったか?」

 

 弱弱しく、熱く。

 蒸気と化した一言は、小さく翼を広げた後、溶けて消えた。

 ジョニーはこの一言を、本当なら余裕たっぷりに放ってやりたかったのだ。

 しかし、出来なかった。

 気を遣えば遣うほど、一言一句に、ますます哀願の気が宿っていった。

 

 助けて欲しかっただけ。

 それも、出会った時からずっと。

 得体の知れない何かと、向きあわされ続ける日々から。

 どうして、他人にとっては取るに足らないどうでもいいことが、自分だけを苛むのか。

 

 ジョニーは、己を追う正体不明の怪物から逃げ続ける。

 しかし、足音はとうとう、ジョニーを逃さなかった。

 怪物は大きく口を開け、その中にジョニーは己の全てを見た。

 赤黒い口腔が、暗く自分の顔を反射していた。

 

 この世界に来たばかりのころ、音楽を続けられなくなったと絶望していたが、あれは、上辺だけの感情だった。

 心の底には、甘い安心があった。

 リングがなければ、闘わずにすむ。

『成功している者達もいる世界……日本の中で、なぜ自分だけが音楽を続けられないのだ』という焦燥に立ち向かい続ける生活より、どうしようもなく大きな力で自分の野望を断ち切ってくれたエルヴェリンと言う世界に、後ろめたい安堵を抱いていた。

 

 だが、その癖、中途半端なジョニーは音楽を止められなかった。

 重荷を捨てたものの、音楽に対する礼賛だけはしつこく身に残していた分、性質が悪かった。

 かつての世界と断絶されてなお、ジョニーは自身の人格から、音楽を切りはなす事が出来なかった。

 

 ジャック達との関係の中で、ジョニーはある日、悟ってしまった。

 自分が、音楽の素晴らしさを通じてしか、彼らに道を示すことが出来ない人間なのだと言うことを。

 

 そこからはもう、戻れなかった。


 フランケンズ・ディストを維持するためにも、金が必要だった。

 音楽に関連するものでなくとも、庁舎に、元いた世界の知識を売り渡せば金になったが、ジョニーはとにかく世間知らずだったため、すぐに底が尽きた。年金とは何かすら、碌に詳しく説明できなかった。

 やはり、音楽しかなかった。お気に入りのミュージシャンの楽譜なら、千も二千も暗譜していたが、それらを勝手に金へと換えることは、ジョニーにとって、自分の敬愛する者たちに対する許されざる冒涜だった。ジョニーがそうしていた方が、ルタ達からしてみれば、まだマシだったろうことは分かっていた。ジョニーの落書きより、異界の名曲の数々の方が、この世界にとって大きな財産となることは、疑いようもなかった。

 

 あらゆるプライドが、中途半端だったが故。

 音楽を続けるために、音楽を騙るしか、ジョニーには出来なかった。

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