第十六章 フランケンシュタインの解体⑥
自分が、どれだけ大事にされているのか。
ようやくジョニーは、実感した。
「…………すまなかった」
だから、もう、耐えられなかった。
友人達が抱いてくれていた、かけがえのない信頼を、離した。
ジョニーを守りにやってきた恋人の手は、取れなかった。
ばらばらだった自分達を縫い合わせていた糸が、さっと解ける音を、聞いた。
ルタに向かって、目で合図を送る。
『少し、話しても?』
許可は得られないだろうと思っていた。
しかしルタは、ジョニーに向ける侮蔑はそのままに頷きを返し、神託課の人間達に対し、手を僅かに動かして制した。ルタの温情だったのか、他に何かしら事情があったのかは分からない。
ジョニーは慎重に、話す内容を吟味する。
いくら鈍感なジョニーであっても、通常は用意されない弁明の機会を与えられたのだということだけは、理解していた。
孤独な法廷。
裁判員は、五人の若い友人達。
うち一人が意識不明の内に裁きを仰ぐことに対し、判決を受ける前から、ジョニーは強い罪悪感にとらわれていた。
静かに、語り始める。
異界生まれとして呼び出されてからの、楽しかった日々の中。
ずっと、自分に迫ってくるのが聞こえていたのに、無視し続けていた、崩壊の足音について。
「いつか、こんな日が来るんじゃないかって、思ってた。本当の俺は……ルタの言う通りの人間なんだ。良い歳して、夢見てただけの……ろくでなしだった。俺は間違って呼ばれたんじゃないかってことにも、随分前から気がついてた……だって、俺は、ちっとも偉大じゃない。天才でも、伝説でも無い。欠陥品だ」
リンダが涙を浮かべている。
今更だが、随分長くリンダとの関係も続いたものだと、ジョニーは努めて他人事のように、頭の中だけで述懐する。
かつて彼女が言った。
私が片羽だから、やっぱり付き合えないのかと。
そんなことあるはずがないと、ジョニーは即座に返した。
あれは本心だった。
なぜなら、ジョニーの下心は、リンダの懸念の対極にあったのだから。
もし、彼女の片羽が関係に影響を及ぼすことがあるのだとしたら、自分のような人間には、プラスに働くに違い無いと思っていた。
リンダとの年の差を考えた際に沸き起こる、後ろ暗い安心感と全く同じ感情を彼女の美しい羽に抱いているなどと決して悟られてはならない。
そんなことを考えながら、密かに、ずっと張り詰め続けていた。
自分は出会った時から、リンダの寂しい境遇を、肌で感じ取っていたのではないか。
俺がリンダを選んだのは。
とうとう、幼く可哀そうなものしか、落ち着いて愛せなくなったからではないか。
己を傷つけ、リンダを貶しめるだけの妄想だと、切って捨てることは出来なかった。
リンダがジョニーのそんな心中を、これまで察することは無かった。
ジョニーが悟らせないようにしていたのだから、当然だった。
リンダは、笑顔と愛情を良く向けてくる、夢のような恋人だった。
だが、その隣にいる自分とくれば、かけがえなさを痛感するたびに、後ろめたさを誤魔化し続けてきたような男なのだ。
ありのまま全てぶつけても、君は同じ顔をしてくれるだろうか。
確かめなければならなくなる日が来ることから、ずっと目を背けてきたけれど。
「曲が、書けないんだ」
発露する。
一言切り出せば、続く言葉は順番待ちをしていたみたいに、スムーズに堰を切る。
「自分だけのオリジナル作品は、一曲も、書くことが出来なかった。昔から、ずっとだ。勿論、書き方はわかる。技術もある。書こうとしたことだってある。曲らしいものだって、仕上げられた。でも、人に見せられるようなものは、全く作れなかった。自分で分かるんだ。何もかもがチグハグで、俺にいつも夢を見せてくれた音楽達ほどの価値が、そこには無かった。書いても書いても、自分を取り巻いているもの以上の価値が、自分の内側に無いことを突きつけられるだけだった。歌やギター、ダンスは、積んだ練習の分だけみるみる上達したから、調子に乗ってたのかと思って、辛抱強く時間もかけた。でも、今の今まで、作曲だけは、何故か駄目なままだった」
ブラックボックス。
ジョニーは、自分の中にある不変を、子どものころから明確に感じ取ることのできる力があった。
故に、永遠なんてどれも安物ではないかと、常に疑いを持ち続けていた。
持ち前の熱さの裏には、それと釣り合いを保たせる細い冷気が流れていた。
人は所詮、自分が生まれてから死ぬまでしか認識できない。
人生の両端の外にあるものに対し、何か一つでも影響を及ぼせるのではないかと考える者がいたとすれば、それは何とも傲慢ではないかと。
個人の内側で一生変化さえしなければそれで永遠だ、と言うのなら、そんなものは何一つとして、荘厳では無いのだ。
信念、などという言葉がある。そんな言葉が狂ったように称えられ続けるのは、人の思念などという移ろい行くものが長時間にわたり維持され続けるさまに、誰しもが感動を覚えるからだ。
つまり、元から変化しない硬質の精神物質が、心中に胆石のごとく鎮座し続けていたからといって、それは偉業でもなんでも、ありはしないのである。
最近になって気がついたことだ。
永遠など、人が手にすれば異物でしかない。
己の中に満たされるべき時間を選別する免疫により、永遠を得た人間は例外なく螺子曲がってしまう。
アイドルのオーディションを受けたジョニーに無理解を示した、かつてのバンド仲間三人の事を、ジョニーは思い出していた。
彼らの態度に、ジョニーは初めて納得していた。
感覚的に捉えられない先天性疾患に、誰が理解を示すと言うのか。
「勿論、歌を歌うだけで、楽器を弾くだけで……いっそ、俺より歌もダンスもヘタなまま、アーティストとして、世の中に受け入れられるやつらはごまんいる。それだって、間違っているわけない。だが重要なのは、俺にとって大事だったのが、アーティストと呼ばれることじゃなく、自分の思うアーティストになることだったってことだ。俺にとってのアーティストって言うのは、何から何まで、自分の手で世界に訴えてやるヤツのことだったんだ。それしか、俺のアーティストは無かったのに、俺は、成り損なった。元の世界じゃ、曲はずっと他のバンドメンバーに任せてた。それがずっと、俺にとっては何故か負い目だった。誰かの作った詩とメロディを叫んでる自分を、後ろの方から見詰めてる、もう一人の自分がいるみたいだった。そいつはいつもこう考えている。『俺のやってることは、カラオケと何が違うんだ』。……ああ、分かってる。俺の否定も鬱憤も、何もかも的外れだ。それでも、無視できなかった。ずっと音楽をやって生きてきたつもりだった。客も、仲間も、何一つ、俺に不満を抱いてないように見えた。けど俺はずっと、恐かったんだ。俺の歌が無くても、俺の主張が、感情がそこに無くても納得されてしまうステージから、いつしか逃げ出したくて堪らなくなってた。そしていつの間にか、あっけなくバンドは空中分解。俺はヤケになった。その理由を元バンド仲間の誰も、理解しちゃくれなかった。技術はあるのに何故お前までやめるんだと、問い質された。俺は、うやむやにして、結局答えなかった。相談するなら、自分の中の一番複雑な部分を曝け出さなくちゃならないのに、言葉にすれば、下らない一言でしか説明できないのが、我慢ならなかったんだ。つまり、こういうことだ」
ジョニーの永遠は身体の内で、鈴の中身と同じ役割を果たしていた。
いまや自分は、歪な楽器だ。
「俺はずっと、自分の中に何かを欲しがってた」
誰からも理解されない音色を奏で続けるしか、出来ないのだった。
「歌も、ギターも、ダンスも。俺の才能は所詮、見栄が連れてきたものだった。器さえ整えれば、その中にはいつか立派な何かが飛び込んでくるはずだって信じてたんだ。でも気付いた。俺は、空っぽだ」
いっそ、誰か己の滑稽を指摘してはくれまいか。
ジョニーは部屋中に視線をやってみる。
フランケンズ・ディストのメンバーたちでさえ、余所の国の言葉で話されているかのように、理解が追いついていない。
なんて皮肉だと、ジョニーは思った。
身一つとギターだけでこの世界に来てから初めて、言語に不自由を覚えることになるとは。
「俺の中には、世界に訴えたいことなんて、無い。だから、この世界に逃げてきたんだ」
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