第十六章 フランケンシュタインの解体③

「礼なんざ要らねーんだよ!!」

 

 リンダが感情を爆発させた。

 椅子を蹴り倒し、ゴーディに詰め寄る。

 胸倉を捉える直前、リンダは、ベッドで横たわるジャックを振り返った。

 

 リンダの左腕が、力なく下げられる。

 怒りの噴出のさなかに、きっと彼女はこう思ったのだ。

『大きい声を立てたから、ジャックが目を醒ますかもしれない』。

 リンダの気持ちが、痛いほど理解出来た。

 

 何もかもが、いつもと違っていた。

 ジョニーには率先して止めに入る気力も無く、ジャックが、ジョニーの後ろで控えめに暴力反対を訴えるようなこともない。

 役者は全員揃っているのに、日常が演じられることはない。

 

 リンダが、ゴーディの顔を見上げ、覗きこんで噛みつく。


「なんで……なんでジャックが、自分をこんな目に遭わせなきゃなんねーんだ! 親だろ!? なんでこんな事になる前に、助けてやれなかったんだよ! どうせてめーらも、ガキの事なんて何も考えてやらなかったんだろうが!」


「姉さん!」


 非日常は伝染する。

 レイラの言葉の勢いは、たしなめる、などという生易しい調子では無かった。折檻という言葉を構成する全ての要素が、一息に込められているかのようだった。だが、そうさせたのは、他ならぬリンダだった。狂獣に首輪を付ける際に、手心を加えようとする者がいるだろうか。

 

 ジョニーは信じられなかった。

 今、目の前で行われたのは、この七カ月を経て、永遠に起こる事は無いと確信していた、ジンハウスの姉妹喧嘩だった。


「失礼しました。一番お辛いはずの二人の前で、姉が申し訳ありません」

 

 リンダが折れたのを見たレイラが、場の主導権をすかさず掌握した。


「ですが……」

 

 だが彼女も、どこか様子がおかしかった。

 吐いた火炎の熱を含んだ灰が、まだ口の中に残っているようだった。

 思えば、ゴーディとマルガがやってくるまで、最も自失していたのはレイラだった。

 ジョニーは、喧嘩の余韻に圧倒されている場合では無かった。

 性格が全く違うからといって、レイラがリンダと同じルーツを持っていることを、忘れていいわけが無かったと言うのに。


「二十歳以下の学生が、勾留された際には、ただちに、身元保証人に、連絡が飛ぶはずです。……仕事場に、いたとしても。何故、今まで」


「そんなものは来なかった!!」

 

 ゴーディが、心を決壊させるがままに叫んだ。

 

 リンダは、身の上を語りたがらない少女だった。

 そしてジョニーは、恋人の聞かれたくないことを、執拗に詮索したりはしない男だった。

 知らないことを選んだ優しさが、今、裏目に出ていた。

 リンダと同じ過去を動機に同じ衝動にかられ、レイラも、ゴーディを一言責めずにはいられなかったのだ。

 

 その結果。

 この状況で、もっとも破壊されてはならない男の心が、粉々に砕かれることになった。


「私達の……せいだ」

 

 ゴーディが、ベッドの前に跪いた。

 心労がたたり、足から力が抜けたのか、悲しみと後悔から、自ら懺悔の姿勢をとったのかは分からなかった。あるいは、その両方か。

 

 リンダとレイラから、剣呑さが全て取り去られた。

 フランケンズ・ディストは、皆揃って息を呑んだ。


 ゴーディは、自罰的な物言いをする時のジャックと同じ、背の丸め方をしていた。


「礼はいらないと言われたが、それでも、言わせてくれ。……ありがとう。孤独だったこの子が……ここ最近、楽しそうに見えていたのは、まぎれもなく、君たちのお陰だったんだろう。悪いのは全部、私達……否、私だ。ずっと、息子に対して負い目があった。この生きにくい街で、息子が辛い思いをしているのを知っていたのに、最高の環境で勉強が出来ているのだから、我慢しろだなんて言っていたんだ……馬鹿が。本当は私に、仕事を捨て、余所の街で妻子を養っていく自信が無かっただけだ! くそ! ああ、私は、なんてことを……!」


「あなた……」


 マルガが夫に寄り添い、そっと背中を撫でる。

 

 夫婦は一日の間に、全てを奪い去られたのだ。

 朝、いつものように仕事に出かける。

 その間、無実の息子を、警察がよってたかって、しょっ引いていく。

 息子が悪意の中を、誰からの保護もなく独りで歩いていかねばならなかった時に、傍に居てやれなかった。

 過去へ行けたならゴーディは、何も考えず労働に励んでいた自分を蹴り飛ばして、息子を迎えに行かせるだろう。

 警察は、唯一、本当の意味でジャックを守ってやれたはずの人々に、連絡をしなかった。

 一家全員がオークであることは、身勝手な良心を持つもの達にとって、実に都合がよかった。

 夫婦だけが、何も変わらない一日を過ごしたつもりで、夜、家のドアを開けた。

 そこには、誰もいなかった。

 人づてに、息子が自殺に及んだ事を聞かされた二人の気持ちを考えると、ジョニーは胸が張り裂けそうだった。

 

 息子をこんな目に合わせた街に対する怒り。

 そして自分も息子を追い込んだ一因なのだという自責。

 もはや祈ることしか出来ない自分に対する不甲斐なさ。

 息子を失うかもしれないという恐怖。

 傷付いた息子を思うだけで浮かび上がる悲しみ。

 その全てがゴーディを苛んでいた。


「取り乱して、悪かった……すまないがもう、三人にしてくれないか。ジャックと、マルガと……。息子の目が覚めたら、まず絶対、君たちに伝えると、約束、する」

 

 異議を唱える者は、いなかった。

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