第十六章 フランケンシュタインの解体

第十六章 フランケンシュタインの解体①


 診療所は地下街の、地面が均されておらず凹凸が目立つ区域に存在していた。

 かといって、建物の中までそれに合わせなくても良いだろうに、木製の壁も、床も、柱も、雨漏りや屋根の重さによって、節くれだっていたり穴が抜けていたりと、貧相な有様だった。くすんだ苔の深緑が、あちこちに散見された。

 

 命を失いかけている者を繋ぎとめるには、余りにも頼りない場所に思えた。

 ベッドシーツの白だけが、異様な清潔さを放っていた。

 

 リンダは椅子の上で膝を丸め、顔を伏せて震えていた。

 レイラは、壁にもたれ、ベッドを見詰めながら、無言で、はらはらと涙を零し続けている。目の焦点は合っておらず、とても同じ部屋にいる人間を見詰めているようには見えなかった。

 ペッパーの八本足が、時々、何の前触れもなく痙攣するのを見た。部屋を歩き回ってうろたえたいところを、必死に堪えているのだった。

 フウは、純粋に不思議そうな表情をしている。「我が友」と呼んだ男が、これから死にゆくかもしれないことを、理解していないかのようにも見えた。


 ジョニーは、ベッドのすぐ脇の椅子に腰かけ、見守っていた。

 自分を、これほど情けなく思ったことはなかった。

 何度も、ジャックの手を握って呼びかけてやろうとしたが、そんな勇気さえ、わかないのだ。

 手を握り、もしそれが、自分の想像していたのより、ずっと冷たかったら。

 

 医者は、予断を許さない状況ではあるものの、紙一重で命は保っていると言っていた。

 呼吸も、何とか自分の力で行っているとも。

 だが、どんなに目を凝らしても、ジャックの薄い胸が紙一枚分程も上下しているようには、見えなかった。

 

 ジャックの口元に手をかざして、少しでも、息の感触を感じる事が出来たら、どれだけ安心できるかと思う。

 しかし、行動に踏み出すことは、無かった。

 ジャックが生きているという実感が欲しくて堪らないにも関わらず、確かめるようなことをした途端に、ジャックの魂が、彼方に行ってしまったことを突きつけられてしまう気がしたのだ。

 

 多量の失血。

 淡い希望を、抱いていた。

 これまで何度も、ジョニーを驚かせてきたこの街のことだ。

 またもや予想だにしていなかった手段が何処からともなく飛び出し、あっという間に、ジャックを復活させてしまうのではないかと、縋っていた。

 

 現実は残酷だった。

 左腕に巻かれた、白い包帯。

 腕から伸びる二本のチューブは、ジョニーが地球の病院などで見慣れた透明なチューブでなく、ジャックの中の静脈をそのまま引っ張ってきたような、青黒い色をしていた。

 チューブは二本とも、パチンコ玉大の赤い実が詰められた、瓶の口に繋がれている。その実の特性を使って、ジャックの血液を増幅させてから身体に返していると説明されたが、ジョニーには悪趣味な冗談にしか思えなかった。瓶の中の実がだんだんと深紅に透き通っていく様は、まるで呑気にジャムでも拵えているかのようで、少しでも気を抜けば、ジョニーは衝動的に、チューブを引きちぎってしまいそうだった

 

 日本の医者に、連れていけたら。

 ジョニーは殆ど、ジャックと初めて出会った日以来に、元いた世界を強く渇望した。

 救急車でたらい回しにされるかもしれないが、それでもずっと、助かる可能性は高くなるはずだ。

 

 窓の外は暗くなっていた。

 アウロモールの岩天井が、いつの間にか明かりを落としていた。

 ここには、月の光さえ届かない。

 ジャックは、明日の朝日を拝むことが出来るだろうか。

 

 診療所の玄関から、ドアの開く音。

 続けて、二人の人物が、矢継ぎ早に医者と言葉を交わしながら病室に迫って来る気配。

 

 一体誰が、という疑問は、一瞬で氷解した。

 どうして気付かなかったのだろう、今の今まで病室に、フランケンズ・ディストしかいなかったことこそが、異常だったのだ。

 もっと早くに、駆けつけていなければならなかった人物たちの存在に、今更気がついた。

 

 病室の扉を開け、二人の人物が入って来た。


 一人は、作業用だと一目で分かる、土汚れの付いたタフなワークパンツと、皺一つ無い真っ白なシャツとのギャップが目を引く中年の男だった。一見、筋肉質だったが、よくみると年相応に腹もたるませていた。

 もう一人は、女だ。男よりは僅かに若く見える。細身の身体を震わせ慌てふためきながら、ベッドを見るなり、泣き声をあげながらしがみついた。


 ジャックは、母親似だった。

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