第十五章 地下街のメロディー⑥
「そこか!」
フウはクローゼットに近寄ると、勢いよく開け放つ。
お馴染の奇行に、レイラが頭を抱えた。リンダが、私の話聞いてたかとキレかける。侵入の痕跡が文句なく残されてしまったことを憂いたペッパーが顔を覆った。
そして。
クローゼットの中を目にした瞬間、全員の動きが、ピタリと止まった。
「……なんだよ、これ」
リンダの質問に、答える者はいなかった。
皆、目を奪われていた。
クローゼットの中はまるで、怪物の食い荒らした後だった。
そこには、出会ってから数カ月、ジョニー達が幾度となく「見せてくれよ」とせがみ、そのたびにジャックが恥ずかしながら「いつかね」と誤魔化し続けてきた彼の大切な作品たちが、大事にしまわれているはずだった。サン・ファルシアでいい結果を出せればきっと、ジャックも胸を張って、自分達に見せてくれるはずだと信じていた。
そしてその日は、もう訪れることはない。
服の死体の山だった。
乱暴に引きちぎられ、刃物で裂かれ、クローゼットの底には、布屑が積もっていた。
ジョニーは思い知った。
フランケンで無くたって、服には生死があるのだということを。
服というものは、それを着た主人の体温に同化し、その繊維は主人の筋繊維につき従う。そしてクローゼットの中で、次の出番に備え、眠りにつく。
ならば、今、目の前にあるジャックの作品の残骸たちは、生きていたといえるのだろうか。
誰にも触れられぬ宝箱の奥底にしまわれたまま、誰の目にもとまらずに、命を終えた者たち。
全員、戦慄していた。
誰がこんなことを?
そう思わずにはいられなかった。
ジャックは今、街中から恨まれている。
忍び込んだ悪党が、嫌がらせにジャックの部屋を荒してやろう、などと考えることも、あるかもしれない。
しかし、ジャックの事を何も知らない人間が、こうも正確に、ジャックの宝物だけを破壊していくようなことがあるだろうか。
不可解な点は、まだあった。
以前ジャックは、自分で着られるものしか、今は制作していないと言っていた。
だがクローゼットの中身は、半数以上が女性用の衣服だったのだ。
リンダとレイラは、ジャックと特に親しくしていたが、これらは彼女達の為の服では無いように思う。
素朴な素材から、なんとか絢爛さを引き出そうとした努力の跡が見られた。かといって、母親に着せるには余りにも、意匠が派手すぎる。
死んだドレス達に、ジョニーは一人の女の影を見た気がした。
ジャックはドレスの破壊を通じ、その顔の見えない女を、殺してしまいたかったのかもしれなかった。
誰も、動けなかった。
つまるところ、覚悟が足りてなかった。
十代の面々だけでなく、ジョニーですら、若すぎた。
昨日まで隣で笑っていた少年が、一晩でどこか遠くに去ってしまうことがあるなどと考えられる人間は、フランケンズ・ディストに存在していなかったのだ。
そして、沈黙と静止の中で、それは浮かび上がってきた。
ある種の超常的な勘を持つ、フウとフランケンでさえ、今の今まで気付いていなかったようだった。
部屋に、否、この家のドアを潜った時からずっと、それは存在し続けていたに違いなかった。
ただ、取るに足らない背景として認知され、誰もそこに意味を求めようとしなかったのだ。
水音が、していた。
階下からだ。
薄く、それでいて絶えずに、響き続けている。
ジョニーはゆっくりと、部屋の外に出た。
その後を、皆が付いて来る。
誰も足音をたてない。
僅かにでも集中を欠けば、その瞬間に水音を捉えられなくなってしまうのではと、怯えていた。
切ってはならない糸が、ジョニー達の間に張り詰めていた。
ジョニーでさえ、友人達の前でなければ、もしかすると耐えきれず逃げ出していたかも知れなかった。
階段を下り、五人は辛うじて、あるドアの前まで辿り着いた。
家の間取りから考えて、中はバスルームに違いなかった。
水音は、この中から聞こえている。
ジョニーは何とか勇気を振り絞り、ドアノブに手をかける。
「やだ、ジョニー……私、開けたくない……」
震えた声が、ジョニーの動きを止めた。
普段から気の強いリンダの、臆した態度は、全員により一層強く、最悪の想像を抱かせた。
だが、この扉さえ開けなければ、今にもジャックが家のドアを開けて帰ってくるという可能性を、持ち続けていられるとでも言うのだろうか。
誰かが、やらなければならないことだった。
ならば、年長者でありフランケンズ・ディストの創始者として、自分が請け負わなければならないとジョニーは思った。
ドアを、開ける。
水音が、一気に濃さを増した。
まるで、赤子だった。
浴槽がみたされてなお、蛇口から吐き出され続ける水。
右手に握られた、暗闇の中にあってなお鈍く光る、小ぶりのナイフ。
酷く湿った空気。
浴槽の縁にもたれる、身体。
左腕だけが、湯船の中に投げ出され、泳いでいる。
その手首に付けられた傷から広がる赤が、浴槽の水に延ばされ、溢れ、緑色の全身をしとどに濡らし、てらてらとした線を奔らせている。重さを増した衣服が、バスルームの床に、その身体を縫いとめているかのようだった。
死産された、赤子。
産み落とされることなく、暗闇という名の羊水に抱かれながら死んだ無垢。
今はもう、流れ続ける水に浄化されゆく大量の血の中に、生の残滓があるのみ。
ジャック・バステッドの、変わり果てた姿だった。
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