第十四章 モンスター/スーサイド/ニューアリア⑦

 警察本部のドアから、出てきた。

 ジャックだ。

 目を辛そうに細めているのは、日光だけが原因ではないのだろう。


 ジャックの両脇を、蜥蜴人リザードマンの警官二人が固めている。

 警官らの顔は、ジャックに手錠がかけられていないのが不思議なほどに、敵意と厳しさに満ちていた。


 馬車までの道は、まるで即席の処刑までトル廊下だった。


「見ろよ、あいつだ……」「この街で一等、最低な奴だ」「自分が、もてはやされたいからって、あれだけの火事を」「シールズの坊ちゃんが居たから良かったものの」「ロズに火傷の一つでも残ってるって話を聞いたか?」「もし聞いたってやつがいるんなら、俺が今すぐぶん殴りに行ってやる」「もっとまっとうな努力をすれば良かったのに」「野蛮人の理屈は、我々にはわからん」

 

 警察署のドアから馬車までの道には、警察官たちが、並んで配置されていた。 

 一見、一般市民が乱入してくるのを防いでいるように見えるが、よく見れば、仕事をしている体を守っているだけだった。


 警官達の間をすり抜け、何人もの人間が、ジャックのすぐ側まで近寄り、罵詈雑言を浴びせていった。

 ジャックが、向かってきた相手から少しでも遠ざかろうとすると、「まっすぐ歩け!」「護送してやれんだろうが!」と、両脇の蜥蜴人が声を荒げる。

 

 背を曲げたジャックの表情には、激しい疲労が見られた。

 朝方から、夕刻の今に至るまでの無慈悲な取り調べにより、精神が限界に達しているのは明らかだった。

 

 私は、震える心に鞭打って、なんとか、ジャックの進路の前に立ち塞がろうとした。

 しかし二本の細い足は、どうしても一歩を踏み出すことが出来ないでいた。

 

 蜥蜴人に引きずられ、ジャックが私の目の前を、ただ過ぎていこうとした。


「ロズ!?」

 

 私の姿を認めたジャックが、叫んだ。

 

 ジャックが全力を込め、蜥蜴人たちの腕をふりほどこうとした。

 気力もつき、歩く死体のようだったジャックの思わぬ抵抗に、警官たちは手加減が出来なかった。

 肘を掴まれたジャックが、呻いた。

 れっきとした、暴力だった。

 舞台を一週間後に控えた身体が、蝕まれて行く。


「違う! 僕は放火なんてしてない! 何かの間違いだ!」

 

 悲痛だった。

 暗幕の中で私を突き放した際に見せた、強い意思の力は、完全に崩壊させられていた。

 あの時のジャックは、二人の関係が公になれば私の為にならないと信じ、自分を抑え込んでいた。

 だがいまや、私を気遣う為の全ての余裕は失われ、なりふり構わず、自分の中にある最後の砦を守ろうとしているのだった。

 

 ジャックの急変は、群衆の注意を、「一人のオーク」から、「オークとエルフの二人」へと移し替えた。

 

 全ての人間が、私に気づいた。

 

 群衆にとって私は、ジャックに殺されかけた当人だ。

 それが一体どうして、再び危険な加害者の前に身を晒したのかと、固唾を呑んで見守っていた。


 ジャックを抱きしめて、潔白だと叫ぶには、今しかなかった。


「信じて!」

 

 ジャックが乞う。

 

 幻想が、私を包もうとしていた。

 

 決して、群衆は私達を見守っているわけではない。

 その事に、気付いてしまった。

 ステラボウルズで培ったパフォーマーの本能が、勝手に理解してしまった。

 

 市民にとって私は、この街の女王だ。

 ならば当然に、法と処刑を司る。

 元々、馬車への道のりは、警察官達が法の隙間を縫って拵えた針のむしろだ。 

 その幕引きに、私という存在は余りにも、相応し過ぎた。

 

 だが、市民は知らない。

 女王はこの場で、自らも裁定しなければならなかった。

 

 私の目は、この騒ぎが過ぎた後、この街の表と裏、その両面を再び同時に映すことは二度とないだろう。

 

 表裏。

 

 二つに、一つ。

 

 選ばなければ、ならなかった。

 

 ジャックのいる場所に飛び込んでやる。

 決意を固めた。

 喉が、からからに乾いていた。

 硝子の塔群に拒絶された、ジャーノンの娘の姿が重なった。

 ジャックにではなく、私にだ。


「あんた、が」

 

 そして、何も考えられなくなった。


「あんたが、そんな事する人だなんて……思わなかった……」

 

 胃の底にある誰かの舌が、勝手に私の口を使って喋ったに違いなかった。

 

 ジャックの中で、何かがばらばらになるのが分かった。

 派手な音は立てず、糸を抜き取られたツギハギのように、静かに死んでいく。

 

 今のは私が言ったんじゃないと、弁明したかった。

 だが、群衆の安心した表情をみた瞬間に、ジャックを殺した言葉が、まぎれもなく自分の口から放たれたのだと言うことを思い知った。

 

 誰もが私を見詰めている。

 私のことを誇りに思っているのが、伝わってくる。

 私の言葉は、ジャックと二人の警官以外には、聞こえていないはずだった。

 だが、群衆達は私の唇の動きを、思い思いに補完してしまったようだ。


『自分を殺そうとした相手にすら恐れることなく、直に非難した勇敢な少女』。

 

 それがこの場での、私の役だった。

 

 どうしようもなかった。

 シュリセが、人々からそうであってくれと願われるまま、『火事から恋人を助け出した勇士』にされた時のように。

 どんなに勇気を振り絞っても、恐怖を克服しようとしても、大事な人を守ろうとしても。

 その先で、私に与えられるのは、私を待ち構えていたのは、自由で無く、


『役』だった。

 

 逃れ、られなかった。

 

 私の中にあったはずのいかなる力も、活かされることはなかった。

 私の、せいで。

 

 力の抜けたジャックが、荷のように馬車へ放り込まれた。

 すぐさま、車輪が回され始める。


 馬車が去ると、通りはまるで何事もなかったかのようだった。

 あっという間に、にこやかな休日の空気を取り戻していた。

 舞台での場転より、よほど呆気無い。

 群衆達の手際と言ったら、これまで見てきたどんなスタッフ達よりも自然かつ正確だった。

 

 私には、何もかもが理解できなかった。

 何が現実で、何が夢なのか。

 舞台と日常の境界線はぼやけて消え、無慈悲な融和を果たしていた。

 見慣れたはずの、表の世界の正体が、そこにはあった。

 ジャックを取り巻く残酷な世界に、私は恐怖から目を逸らした。

 もう二度と、あの森には戻れない。

 私にさえ理解してもらえたなら何も望むことは無いと言い切ったジャックを、保身のため、踏み躙ったのだ。


『君は甘い』

 

 シュリセの言葉が、胸の中で毒を放つ。

 彼の言う通りだ。

 私は、何かに立ち向かえるような強い人間では無かった。


『君ほど、誇り高く優しい人はいない』

 

 ジャックの言葉が思い出される。

 己の卑しさに心が悲鳴を上げる。


 愚かだった。

 七歳の時。雨の中でジャックを見捨てた時のまま、私は何一つ変わっていなかった。

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