第十四章 モンスター/スーサイド/ニューアリア⑧


 地下ダンジョン街の入り口までさえ、護送馬車は送り届けてくれなかった。

 

 ジャックは、自室のベッドに横たわる。

 思い出したくもない最低な一日が、勝手に脳内で再生されていく。

 

 


 世間は休日だったものの、父と母は、ジャックが起床する前から働きに出ていた。

 遅い朝食を準備しかけていた時に、家のドアがノックされた。

 父が忘れ物でも取りに来たのかと思ったジャックがドアを開けると、そこに警官らが立っていて、有無を言わせずジャックを連れ出した。

 馬車の待つ地下街の出口まで連行されている間、どれだけ質問をしたところで、事情が説明されることは無かった。

 

 本部にまで着いた後、取調官からようやく事のあらましを聞かされたジャックは、仰天した。

 あの像塔火災の犯人はジャックだ、と言うのだ。

『塔内に一人、ロズが残ったタイミングを見計らって、ジャックが火事を起こし、放火したその手で即座にロズを救いだして身勝手なヒーロー願望を満たそうとした。全てジャックの自作自演』。

 警察内部での有力な推理とやらを、威圧的な態度で披露された。


 それを聞いたジャックは、怒りを抑えるのに、必死だった。

 火災当時に、ジャックが像塔周辺で怪しい行動をしていたとの目撃証言があったと言う。

 しかしよくよく話を聞いてみれば、それが証言などではなく、出所も分からないただの噂であることは明らかだった。

『怪しい行動』とは何か、自分が正確には何をしていたことにされているのかと質問してみても、「それは自分が一番知っているんじゃないのか」などと、意味のわからない答えが返ってくる。

 

 ただ、警察がスムゥ・スラグに使われた生状素材の出所を突き止めていたと分かった時には、流石に肝を冷やした。

 確かに警察は支離滅裂だった。

 しかし、うろんな噂のみを根拠に、ジャックをしょっ引いたと言うだけでも、無かったのだった。

 あの闇行商は捕えられてしまったらしい。

 そこから、直接買い付けたリンダとレイラに繋がった。そして最終的に、姉妹と親しく、かつ、あの日像塔で授業を受けていたジャックへ、疑いの目が向けられることになったというわけだ。

 

 あの暗幕はステラボウルズの持ち物ではなかったのか、とわざと質問してみると、取調官たちは揃って口籠った。

 世間で事実とされている、シュリセがロズを救出したというエピソードと真実は異なるのだから、捜査を進めるにあたって矛盾が出てくるのは当然だった。「話を逸らすな!」と、取調官が話を逸らした。

 

 取調官たちが、ジャックの自白を誘っていることは明らかだった。

「弁護の機会は後日設けるから、とりあえず容疑を一旦認めてしまえ。そうすれば今日の所は家に帰してやる」といった趣旨の提案を、何度もされた。

 リンダとレイラに教授されていたことが、役に立った。

 二人曰く、そんな警察の口車に従えば、まさに相手の思うツボ。

 こちらが取るべき態度は、机に足を乗せ「うっせーよ、カス。何も喋らねーぞ」のみ、とのことだった。

 かます度胸の無かったジャックは、「黙秘します」とだけ繰り返しておいた。

 

 あれが正しい選択だったのかは、今でもよくわからない。

 この時点から、取調官の態度が過激化したのだ。

 胸倉を掴まれ、「このままでは一生飯は食わせられない」と脅された。

 取調官たちは、ジャックの理性を奪うことに長けていた。

 わざと薄暗くした部屋で、ジャックの目にスタンドライトの明かりをちらつかせた。

 机に手の平をたたきつけ、ジャックの耳を怯えさせた。

 

 いよいよ、時間の感覚が無くなり始めた時のことだった。

 取調室の前で、話声が聞こえてきた。


「ともかく! 事を急いては、大きな脅威を取り逃がすことになる! 予言からしても、あのオークの少年が犯人であるとは考えにくいのだ!」

 

 誰かが、警察の強引な取り調べと逮捕に、異議を唱えていた。

 しわがれた声と、その発信源の低さから、恐らくゴブリンだと、ジャックは見当をつける。


 警察内部と法務局で、捜査の方針が対立していたのではと、ジャックは推測した。

 時間をかけても慎重に犯人を特定しようとする法務局と、放火犯の影すら掴めない焦りから、網に少しでも触った人間をここぞとばかりに捕え、治安組織としての面子を保とうとする警察。

 

 ほどなくして、ジャックは解放される運びとなった。

 

 ジャックのミスは、その時点で、これで家に帰れる、やはり無実の自分が長いこと勾留されるはずもなかったのだと安心し切ってしまったことだ。

 取調官たちの言っていた、「噂が流れている」という言葉の意味。

 それがどういった現実を差すのかを、考えておくべきだった。

 

 警察本部のドアから出た瞬間だった。

 釈放は嘘で、ジャックを油断させるための罠だったのだと、思わずにはいられなかった。

 

 そう感じさせるのに十分なエネルギーが、馬車へと続く長い道の両側に、押し寄せていた。

 ジャックは取調まで、自分が放火犯だなどと噂されているのを聞いたことが無かった。

 しかし、取り調べの間にも着実に、群衆の間で風説は熟成されていたのだ。

 

 ジャックは完全に、ロズを焼き殺そうとした犯人として仕立て上げられていた。

 

 法務局から捜査に横やりを入れられた警官達の腹いせを、馬車までの長い道のりの間、これでもかと喰らわせられた。

 警官はジャックを庇うどころか、故意に警備の穴を作り、群衆をジャックの傍まで寄らせ、攻撃させた。

 脇を固めていた二人の隊員も、歩く速度をジャックに合わせるようなことはしなかった。

 より長い時間、ジャックが衆目に晒されるよう、牛歩にジャックをつき合わせていた。


 ジャックの頭に、抗議するという選択肢が浮かんだ。

 しかし、体力は底をついており、精神も満身創痍。

 石畳を見詰めながら、耐えることしかできなかった。


 この街の全てに、失望した。


 なぜ、何もしていない自分が、こんな責め苦を受けなければならないのか。

 弱者であることが、生まれる前に多数決で決められていたかのような扱いを受けなくてはならないのか。

 

 自分は一体、何のために生まれてきたというのか。


 誰にだって、人生における辛さはあると、これまでジャックは思ってきた。

 まさか、だからこそ神は、あらゆる人間が片手間に優越感を抱けるようにと、ジャック・バステッドを作り上げたとでも言うのだろうか。

 

 ゆっくり進む、自分の爪先だけを見詰めている。

 彼女を望む気持ちが、どうしようもなく、心の底から湧きあがっていた。

 エルフにいじめを受けている間もこうやって、初めの内は視線を下に向けていることしかできなかった。

 だが、ある日勇気を震わせ、自分を虐げる者達に囲まれながら顔を上げた時、そこに彼女がいたのだ。

 

 あの日の感動が、この場にもあればいいと思った。

 ジャックは、重たい首元に力を込めて、うなだれていた頭を何とか起こす。

 

 金色が、ジャックの横を流れていった。


「ロズ!」

 

 奇跡のようだった。

 ロズは、そこに立っていた。

 例え幻想でも、構わなかった。

 今だけは消えないでと祈った。


 ジャックは、彼女の姿に向かって、必死に自分の無実を訴えた。

 恥も外聞もなく、庇ってくれと叫んだ。

 何の迷惑も考えずに、喚き散らした。

 

 心が、砕けかけていたのだ。

 自分の無実を周囲に訴えてくれなどと、贅沢は望まなかった。

 これまで通り、ジャックを見詰めながら、何もしないでいてくれるだけで、きっとよかったのだ。

 それだけで、どんな汚濁からでも自分が救いだされることを、ジャックは分かっていた。

 

 だが、


「あんたが、そんなことする人だったとは、思わなかった」

 

 ロズは、殺した。

 

 ジャックの心は解け、布屑になった。

 



 そして今。

 家のベッド。

 

 かつて心だった布屑は、沼に散る。

 自分という存在が黒く染めあげられていく。

 ロズがあんなことをしたのには、何か理由があったんだと考えることも、出来ずに。

 群衆から与えられた耐えがたい屈辱が、いまだジャックを支配していた。

 

 ―――全て、僕が悪い。

 

 心の中で呟いたことだけが、純度の高い真実と化し、積もった。

 現実も空想も関係の無い場所で、ジャックは埋もれていく。


 ―――ロズは、僕との関係が周囲に露呈するのを嫌がっていた。悲しくなる位に。なのにどうして気がつかなかった。スムゥ・スラグの中で、ロズが僕を放さなかったのは、火事に怯えていたから。それだけだ。暗闇の中にいたのが僕じゃなかった所で、ロズは同じことをしたに決まってる。例え一晩、身体を許し合ったところで、魂までも許しあえたと錯覚するとは、若いが故の愚かさ、その極みだ。僕より群衆の方が、ロズを心地良い気分にすることができる。ロズは、ずっと、その事を知っていたんだ。

 

 全ては! 全ては幻想だったのだ!

 

 もう、どこにも行く場所なんて無い。

 フランケンズ・ディストにも、戻ることは出来ない。

 噂はきっと、彼らの元にも届いているだろう。

 のこのこ明日にでもホールに顔を出したとする。噂を信じ切った彼らが、ジャックを罵り、蹴って追い出す。

 そんな光景が、心の奥から瞼の裏にまで、せり上がってくる。

 目から、記憶が、掛け替え無かったはずの記憶達が、嘔吐され、逃げていく。

 

 こうして、思い出から、あらゆる価値が消え去った。

 

 ジャックは、ベッドから降りる。

 部屋の中央でしばし立ち尽くし、最後に残った欲望と向かい合う。

 

 ―――森へ、行きたい。もう一度、深い深い森の中へ。


 生まれ直さなければ。

 



 歌は、もう聞こえなかった。

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