第十四章 モンスター/スーサイド/ニューアリア⑥


 内周馬車の右回り、二手二足系乗客専用の一人引き馬車が、丁度車駅に止まっているのを見て、飛び乗った。

 もうあの間抜けな四輪は、街中ではすっかり見なくなった。

 夏季が近づいてきたこともあり、先日、四輪を漕いでいたケンタウロスの御者が一人、日差しにやられて病院に担ぎ込まれてしまったのである。

 結果、種族の権利主張を理由にして御者一人一人に激しい労力を支払わせていた馬車組合が、逆に責任を追及されることとなったのだ。

 今では、「自分達の足で馬車を引いているものの、これは決して我々が馬扱いされているわけではない」と、自分達を納得させるに足る理論武装を、ケンタウロス族の為に構築している最中しているらしい。何とも、懸命な事だった。

 

 座席がまだ半分ほどしか埋まっておらず、運行定員を満たしていないのに、ケンタウロスは馬車を発進させる。

 これまでの私なら、きっとこんなことにも、何も疑問を持たなかった。

 いつだって運転手らは、私が馬車に乗るたびに、その職務を「立ち乗りさせてでも、なるべく多くの客を詰め込み、車賃を巻き上げる」から、「ロズをなるべく早く目的地に届ける」に変更してきた。

 

 二列になって向かい合う馬車内の席の一辺を、私が占領している。

 他の乗客たちは、今、私の腰掛けている座列に元からいた者たちでさえ、私ひとりに座列の一辺をまるごと譲るため、対面へと、移ってしまっていた。

 なぜ私が乗った馬車を引くケンタウロスだけ、右側か左側の脚だけを強く踏み込みながら走るのかしら、という長年の疑問のシンプルな答えに、今やっと辿り着くことができた。

 

 今日という日にようやく気付くことが出来たのは、ジャックと触れ合うにつれ、他の人間の事も段々と視界に入れるようになったからだ。

 何事も、この目に留まらなければ、何のヒントも与えてはくれないのだ。

 これまで、この街の発するごくありふれた単純なサインを、私はどれだけ見逃し続けてきたのだろう。

 

 しかし答えを見つけてなお、どうしていいのか分からなかった。

 

 今、この馬車における、冗談のような状態を解決するべきなのだろうか。

 シュリセは言った。

『フランケンズ・ディストとの付き合いを続けていれば、これまで通りには生きていけなくなる』。

 対面に並ぶ乗客たちを眺め、彼らの間に腰掛ける自分を思い描いてみる。

 舞台で役を与えられれば、即座に感情移入することの出来る私だが、膝を伸ばせば触れられる位置にいる誰かの心情を、今はどうしても想像できなかった。

 

 私の人生には常に、隣合っているにも拘わらず、私とは無縁の空間があった。

 父やシュリセが私の手をリードし、必死に振り向かせようとしなかったエリアだ。

 私は、いつその空間に足を踏み外すかもわからなかったというのに、その空間に対する感受性を念入りに削がれながら、これまで暮らしてきたのだった。

 

 その結果が、この有様。

 

 眩暈を覚え、俯いた。

 私以外の全ての他人にとって取るに足らないことが、私を縛ろうとする。

 

 警察本部の近くで、馬車が停車する。


 タラップから飛び降り、石畳を駆け始める。


 ジャックに会いたかった。

 きっと、一目、彼を目に入れさえすれば。

 ジャックは恥をかかせることなく私を導いてくれるはずだと、縋って。

 

 普段に比べ、明らかに人通りが多い。

 その大半が警察本部の方角に向かっていた。


 シュリセの予測は、恐らく正確だった。

 優秀な警察と法務局が、今まさに、ジャックを自由の身にしようとしているに違いなかった。

 ジャックを待ち構えようとする人々が、どこからともなく結集しようとしているのだ。

 

 行き交う人々の間には、暗い情熱が蔓延しているように見えた。

 私が慣れ親しんでいたはずの群衆の熱狂は、こんな性質をしていたろうか。

 常にステラボウルズのステージは、群衆との間に、隔絶か俯瞰の関係を強いてきた。

 分別、というやつだった。

 ミクシア祭でのオーロラ・ステージは特に、上下に激しく隔てられていたが、もしあの時、遥か眼下の群衆達に突き落とされていれば、遠目からは私を気持ちよくさせていたはずのものが、その実、私の胸を高鳴らせるべきものでは無かったことに、気付くことが出来ていただろうか。

 

 石畳を、駆けていく。

 

 ジャックの緑が、目の端にかすりでもすれば、抱きしめながら、彼の無実を叫んでやるつもりだった。

 しかし、混み合ってきた通りをかき分け、誰かと身体をぶつけるごとに、徐々に勇気は削り落とされて行く。

 蜥蜴人ラマンダーの熱い肌、九尾のささくれだった尻尾達、烏賊人クラーケンの、滑りうねる青白い足の感触。

 時に彼らは、駆ける私を認め、道を譲った。

 人混みにも拘わらず他者を慮ることのない私に足を踏まれた者でさえ、笑いながらごきげんようと言いだしかねない風情なのだ。

 

 信じられなかった。

 擦れ違う人々達は本当に、これから、個人を集団で侮辱しようと思い立っているのだろうか。

 

 それでも、誰かがジャック・バステッドの名を口にするのが聞こえる度、人々が、これから罪人に石を投げ始めたとしても、なんら不思議じゃないのだと改めて気付かされる。

 しかし、その罪人は、警察本部から姿を現したとたんに、群衆の手によって初めて罪人とされるのだ。

 

 狂っている、と思った。


 だが何より恐ろしいのは、どうしようもなく理性を失っているとしか思えない群衆の間に、まるで恐慌がないことだった。

 あくまで、平穏なのだ。

 誰もが、罪人の登場を待ちながら巻き煙草で一服ついたり、買い物用バスケットに、フルーツを放り込んだりしている。

 

 ジャックは、道を譲られる私と同じく、無実の人間だ。

 今ここで、叫んで訴えるべきだと言う衝動に駆られた。

 誰しも誇りがあるなら、こんな悪趣味の見物は取りやめにして、父親は働き、母親は幼子の面倒を見に家へと戻るべきなのだ。

 

 群衆は、カードだ。

 片側ずつしか見ることができないはずの表と裏が、私には今、両方はっきりと見えている。


『考えられるかい? 街を歩けば目を逸らされる。仲間からは白い目で見られる―――』。

 シュリセの言葉が蘇る。

 馬車の中で垣間見た世界が、そして他でもない、ジャックを愛したが故に広がった視野が、私の心に罅を入れていく。

 

 今まで私は、何も分かっていなかった。

 

 ―――違う!

 

 ジャックをいじめるのに、私一人、加担しなかった。

 僅かにでもジャックの立場を理解しているからそうするのだなどと、思い上がりも甚だしかったのだ。

 潔くない分だけ、直接の加害者にすら、劣後していた。

 

 ―――違う! 彼は私に言った。私がいたから、生きてこられたのだと! 私は彼の救いになっていた。彼は私の心に巣食う罪悪を浄化した。火事から私を救ってくれた! 今度は私が、息をするように弱者を求める者達の視線から、彼を助け出して見せるのだ! 屋敷には戻らない。手を取り合い、二人で逃げて……

 

 ジャックに関わらなければ、何も知らなければ、こんな辛い思いをせずに済んだ。


 ―――あの森で一生、暮らすんだ!

 

 人垣を、一歩、抜けた。

 

 私はとうとう、警察本部前の広場に、躍り出た。

 秩序と治安を守護するに相応しい大きさをした、磨かれ切った白い外壁の建物が待ち構えていた。

 

 ジャスト、タイム。

 

 馬車が一台、とまっていた。

 警察の護送馬車だ。

 元々、犯人に恨まれる危険を負ってまで犯罪捜査に協力した人間に敬意を表し、家かセーフハウスへ、安全に送り届ける為に用いられるものだ。

 

 これが用意されているということ。

 それはつまり、司法がジャックに、見当違いの罪を被せなかったということの証明だった。

 

 それでも、僅かにだって胸を撫で下ろすことは出来なかった。

 ここまでずっと、シュリセの予言通りなのだ。

 ならば、ここから先に、本当の困難が待ち構えていることになる。

 

 それに、シュリセをして『自由と平等が看板』と言わしめた警察も、どうやら一枚岩ではないらしい。

 

 護送馬車の位置が明らかに、本部の正面入り口から遠すぎる。

 

 なぜ、姿を見られるべきではない、保護されるべき参考人に、このような開けた場所を歩かせなくてはならないのか。

 

 群衆から声が上がる。


「来たぞ、あいつだ!」


 警察本部のドアから、出てきた。


 ジャックだ。

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