第十二章 アクセル・ロズ②
ジョニーに肩を抱かれたリンダが、息を呑んだ。
そのまま、呼吸の仕方など忘れてしまえとばかりに。
前説、自己紹介などをすっ飛ばし、いきなりロズは左手のブレスレットに触れた。
先日、ジョニーが楽譜にくるんでプレゼントしたものだった。
ジョニーの吹き込んだ演奏が、ブレスレットから再生され始め、ホール全体に響き渡った。
ギターは、相変わらずどこか腰が弱かったが、それでも曲としてそれなりに聴けてしまう。
自分の編曲センスに、ジョニーは陶酔する。
ただし、長く酔っていたかったのなら、ジョニーはもっとイントロのある曲を、ロズに渡しておくべきだった。
『誰かを必要としたことなんてない
誰も私に
全てをその気にさせられるなら
甘く 熱い 飛び出しナイフで
女王は 好き放題に振る舞うものよ』
ロズの歌唱は、切り傷でもって目を醒まさせていくかのように、刺激的だった。
ミクシア祭のオーロラ・ステージで歌った彼女とは、まるで別人。
あの日の彼女が見せたような荘厳さは、微塵もそこにはなかった。
ともすれば、歌声は悲鳴じみていた。
正確な音程と強弱で管理された、世界でもっとも芸術的な金切り声。
永遠に聞き続けていたいような気持ちにさせられる、理知的な断末魔だった。
ヘッドバンキングに酔いながら、ステージ上を飛びはねまわり、ロズは叫び続ける。
『ナイーヴだったことなんてない
砂漠の真ん中 魅力と権力を愛し続けて
今夜その気にさせられるなら
ハチミツ カミソリのパラダイス・シティで
少しやり過ぎちゃったかしら』
ジョニーは感動を覚えつつも、打ちのめされていた。
なぜなら、自分もロズに同じ感動を与えたことがあるのを、思い出したからだった。
ロズが部屋に忍び込んできたあの日、水晶のエフェクターを使って、ギターの音色をおみまいしてやった。
後に「迷いがある」と断じられはしたものの、それでもロズは初めて聞く種類の音楽に、興味津々といった様子だった。
しかし、ジョニーがロズの好奇心を刺激できたのは、当然と言えば当然なのだ。
『異文化』という要素は、万人の心を、強く人を惹きつけるものである。
だが、ロズが今披露している歌―――『クイーン・ロック・イット』―――は、元々ジョニーのいた世界の歌なのだ。
馴染みの歌に対し、何故自分は、おおげさなバラエティ番組に出てくる、日本文化を紹介された外国人みたいな反応をしてしまっているのかと、戦慄する。
恐らく、ロズのセンス自体が、『異文化』に匹敵……否、『異文化』を超越するほどの、魅力を放っているからだろう。
ロズの尖った歌声だけが、ブレスレットの放つ質の悪い伴奏を突き破り、そこに本物のバンド・サウンドを表現していた。
ヘッドバンキングや、膝をつき天を仰ぎながらのシャウトも、誰に教わったわけでもないはずなのに、彼女は、曲から絵面を連想し、ジョニーの元いた世界のロックンロールを、独学で完璧に再現してみせている。
ジョニーは幻視した。
ロズの後ろに、長髪のギタリスト、陰のあるベーシスト、巨漢のドラマーが見える。
地球のクラシック・ロックが、異世界にタイムスリップしてきた。
ロズがステージを右から左へ横断する。
ジョニーは、自分の頭の中が、いよいよ始末に負えなくなってきているのを感じていた。
ステージの背景に、今度は原宿の竹下通りが重なり、ロズ自身の姿も、腰巻したブレザー女子高生に様変わり。
幻想が、めまぐるしく、姿を変える。
歌唱は、ラストのサビに転がり込んでいく。
『ここにいる 見えない速さで
性的暗示の星座は あなたの傍に
全て脱ぎ捨て 祈ってよ ハニー
ベッドの中で 眠るように
死なせてあげられない』
ステージが、終了した。
ジョニーは、左胸に爪を立てた。
窮屈な肋骨の中で跳ねる心臓。
アウトロの余韻を、逃したくなかったのだ。
ロズのことは、評価しているつもりだった。
だが、これまでしてきた評価など、軽視と何も変わらなかったことに気付かされた。
歌唱の達人だとは思っていた。
だがそれでも、彼女はあくまでニューアリアの歌姫であり、地球の音楽に対しては、やはり自分に一日以上の長があるはずだと信じていた。
だがどうだ! この見事なステージは!
ジョニーは、ミクシア祭でロズに熱狂していた群衆の気持ちをようやく、正確に理解した。
ロズはとうとう、異界生まれのジョニーさえ己の信奉者の内に取り入れることに成功したのだった。
ロズはステージの中央で、上気させた顔に満足気な笑みを浮かべながら、六人の観客が正気に戻るのを、静かに待っている。
固まったリンダの手から、沼ジュースのカップが滑り落ちていった。
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