第十二章 アクセル・ロズ
第十二章 アクセル・ロズ①
ホワイトボードにでかでかと、『ステージ立ち入り禁止!』の文字。
ジョニーの字だ。
ジョニー以外のメンバーは、既にホールに揃っていた。
書置きの意味について、あーだこーだと議論している。
ジョニーに直接聞きに行ければいいのだが、ジョニーの部屋へ行くためには、まず舞台に上がり、袖へ入らねばならない。
書置きの意味を聞くために書置きを無視するわけにもいかなかった。
幸い、待ち時間も苦では無い。
先日、協力してかき集めた椅子代わりの木箱をステージの近くに散乱させているおかげで、随分くつろぎやすくなっていた。
蜘蛛の下半身を持てあますペッパーなどは、一人で九個も占領している。
ステージの袖から、ようやくジョニーが姿を現わした。
右手に、ジュースの入ったボトルを、何本も抱えている。
… … …
「喜べ。今日は特別授業だ」
ジョニーがボードを、舞台袖に引きずって仕舞いながら、大きな声で告げた。
他のメンバー達は、慌ててステージに向き直る。
「実は…………俺達の仲間に加わりたいってやつを、見つけてきた」
ジャックとペッパーが歓声を上げかけたものの、すぐに声を落とし、訝しげにジョニーの表情を見詰め始めた。
ジョニーは、心の中で詫びた。
景気よく盛り上げようとしてくれた二人に水を差してしまったのは、他ならぬ自分だからだ。
メンバーを増やしたいという願望は、フランケンズ・ディスト内で、今日まで日増しに膨れ上がってきていた。
練習がより実践的になるにつれ、パフォーマンスの多用性を得るには何より先ず頭数が必要だと、皆が自然と自覚するようになっていた。
にも拘わらず、新メンバー候補を紹介しようとするジョニーが、どこか煮え切らない態度を見せているとなれば、「またワケありを連れてきた」と勘ぐられるのも当然だった。
ジョニー自身は勿論、その新メンバー候補者を歓迎していないわけでは無く、ペッパーやフウを誘ったときと同じように、期待と興奮を覚えていた。
ただジョニーは、その人物を他の皆が受け入れてくれるかどうか、という一点のみについて、酷く気にかかっていた。
宗旨替えの誹りを、自分が受けるだけで済めばいいのだが。
「それでだ。そいつ曰く、『まず現メンバーに自分のパフォーマンスを見てもらいたい』そうだ。そして、フランケンズ・ディストに入るかどうかは、実際に客としての皆の反応を見てから決めたいらしい」
「え、逆じゃない? 色々と」
「ステージを立ち入り禁止にしたのはなぜだぁ?」
ジャックとペッパーが、立て続けに質問を重ねる。
「サプライズさ。驚かせたかった。実はもうその人物は、上手の袖に控えてる!」
ジョニーは、ジュースのボトルを一人ずつに配っていく。
砂糖のたっぷり入ったキャロット・サワー。
流行っていると聞いて、わざわざ並んで買ってきた品である。
せめて少しでも心穏やかに、これからしばらくの時間を過ごしてほしいと願う、ジョニーの気遣いだった。
しかし、予想外の人物が受け取らなかった。
「私はいい」
リンダだけが、ジュースの受け取りを拒んだ。
ジョニーは、何か恋人を怒らせるような事をしただろうかと我が身を省みるが、心当たりは無い。
見れば彼女の手には、既に木製のカップが握られていた。
自前があるなら仕方ないか、と納得しかけたところで、ジョニーは異臭に気付いた。
リンダのカップには、沼からそのまま一掬いしてきたような、硫黄臭を放つ灰色の液体が満たされていた。
とても飲めたものじゃないと感じるのは、自分がいまだニューアリアに順応していないせいではないはずだと、ジョニーは思った。
その証拠に、
「魔物の生き血である……!」
フウすらビビっている。
「サプライズは失敗よ……うちの姉さんが悪かったわね」
レイラが、姉の頭をあやして撫でながら、ジョニーに弁明する。
得心いかないジョニーが説明を求めると、レイラがリンダの頬を、からかってつついた。
ジャックとペッパーは、触らぬ神に祟りなしといった表情を浮かべている。
レイラは、姉妹である気安さから、若しくはリンダと同等の気性故に、リンダの失敗を遠慮なくからかっている。
恋人であるジョニーとしては、レイラと一緒に笑い飛ばしてやったほうがいいのか、本気で慰めてやればいいのか、尺度に困る羽目になった。
リンダが、観念した様子を見せながら、息を深く吸い込む。
そして、
「マー、マー、マー、マー、マー」
最近練習中の、基本音階を口ずさんだ。
ジョニーは、きょとんとした。
とりあえず、ここ数日の伸びを、改めて褒めてやった方がいいのだろうかと思った、矢先だった。
舞台上手の袖から、忍び笑いが聞こえてきた。
一気に、状況が呑みこめた。
どうやら、ステージを立ち入り禁止にしただけでは、足りなかったようだ。
ジョニーが来るまでの時間を使って、リンダが自主練習をしようとするたび、舞台袖にいる『新メンバー候補』が笑い声を上げ、煽ってきたのだろう。
リンダは、舞台に上がって殴り込んだりは、しなかったようだ。
律儀に、ジョニーの言いつけを守っていたらしい。
だがその分、日頃なら即座に発散されるはずの怒りが、内側で煮えくりかえっているようだった。
「誰だか知らねーが、ろくな奴じゃねー! 出てきた瞬間、ナーガの脱皮シェイクぶち込んでやる! 八十年物のババアから絞ったやつ」
ジョニーは、リンダの肩を軽く抱いてなだめながら、他のメンバーに向かって語りかける。
「さて、それじゃ、袖にいるやつに一曲披露してもらおう。だがその前に一つ、心に留めておいてくれ。実は、これから始まるステージには、入団試験の他に、もう一つ目的がある。……皆の勉強のためだ。いいステージをやるには、いいステージをたくさん見て、感性を磨く必要がある。そういう意味じゃ、あいつは入団希望者であると同時に、とっておきの講師だ。……最高の機会になると、俺は信じてる」
まだ、何か聞きたそうにしている顔がちらほらあった。
だが、この期に及ぶ質問を許せば、かえって興が削がれることになるのは、明白だった。
ジョニーの中で、サプライズはまだ何一つ、失敗してなどいなかった。
意を決し、舞台袖に向かって、声をかける。
「入ってくれ!」
掛け声の後に、何拍か焦らすような間を置いてから、彼女が袖から姿を見せた。
舞台中央に歩を進めて行く。
何一つ待ちわびていなかったわ、とでも言いたげな足取りは、軽快そのものだ。
しかし、ステージに対する尊重まで袖に置き去りにしてきたわけではなさそうだった。
優れたパフォーマーは、自己が最大に発揮される、緊張と興奮の心地よい融点に、容易く身を浸してみせる。
その「点」を、ジョニーは彼女の、気だるげに伸びた背筋に見たのだった。
ロズ・マロースピアーズの舞台は、音楽が鳴る前から、もう始まっているのだ。
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