第十二章 アクセル・ロズ③

「……ペッパーは?」

 

 ジョニーの『ジーンズ』を借りて戻ってきたリンダが、開口一番ジャックに問うた。

 

 ジャックは、押し黙った。


『願いがかなってよかったね。前に一度穿いてみたいって言ってたじゃないか』。

 

 機嫌を取るために考えていた気の利いた冷やかしさえも口にできない程、リンダの剣幕は恐ろしいものだった。

 

 最悪のタイミングで、外出していたペッパーが戻ってきた。


「お待たせしましたぁっ! こちらで、よろしいでしょうかあっ!」

 

 赤、黄、青。

 三種の氷菓を乗せた紙ボウルを抱えながら、ペッパーは一目散、ロズの元へと駆けて行く。

 

 木箱に腰掛けていたロズは、受け取るや否や、ペッパーを手で追い払った。

 氷菓は汗一つかいてなかったが、引き換えに、全力疾走で帰ってきたのだろうペッパーの身体は水を被ったようだった。

 確かに、甘味の時間を共にするには、いささか相応しくなかったかもしれないが、いくらなんでもあんまりな扱いではないかと、ジャックはペッパーに労わりの視線を送る。

 すぐに後悔した。

 当のペッパーのほくほく顔は、今この瞬間、彼が街一番の幸せ者であることを証明していたからだ。

 

 リンダが、ぶかぶかのジーンズに足を取られながら、ペッパーに詰め寄った。


「デブ! こいつのパシリになったのか! 裏切りやがったな!」


「パシリではないぃ! 従者と言えぇっ! なぜならぁ、卑劣な君らに脅された時とは違い、今僕は、すすんでこの身を捧げているからだぁっ! ああっ、ロズ様にご奉仕できる日がくるなんて!」

 

 ロズにとっては、隣の事情も下界の出来事と同義らしい。

 言い合いもどこ吹く風、ロズは退屈そうにフウと視線を合わせている。

 その目が、「今日は攫わないの?」と挑発しているように見えてしまうのは、かつて彼女に抱いていた幻想の残滓が、ジャックに嫉妬を抱かせているせいだろうか。

 フウが軽く顔を傾けた動作さえ、「さあね」と気障にとぼけているように見えてしまう。

 フウがそんな機微を持っているはずないのに。

 

 ジョニーが、自室につながる舞台袖からホールに帰って来たのを見て、ジャックは息を撫でおろした。

 お気に入りのジーンズを貸出中のジョニーは、今はそれと似た色の、ありふれたボトムスを穿いていた。

 

 ロズが、ジョニーに向かって手を振った。

 これは破格のサービスであり、自称従者のペッパーなどからしたら、喉から手が出るほどの褒章だったに違いない。

 幸福な事に、ペッパーは姉妹との言い合いにかまけていたおかげで、不平を嘆かずに済みそうだった。

 一方、異界生まれであるジョニー自身は、女神からの挨拶を、ありふれた応酬程度にしか感じていないようだった。

 

 ロズはジャックに、一瞥たりとも寄こそうとはしない。

 

 ジャックは推算する。

 リンダがジョニーから、ロズと知り合った経緯を力ずくで聞きだした後に自分が股聞き出来るまで、どれほどの日数がかかるだろうか。

 ジャックは自問を重ねる。

 そんなことを知ってどうなる? 

 ロズに対する希望は、捨て去ったはずだろう? 

 なら、彼女が今どのような経緯でこの場にいるのかなんて、自分には関係ない。

 尊敬するジョニーにまで、嫉妬したいのか?


 ジャックは、ロズの視界の外、皆の輪から少し離れた場所に、一人で立ち尽くしている。

 何を祈ればいいのかも、分からないままに。

『もう二度と、関わることは無いと思っていた』。

 なんて台詞は、見当違いだ。

 元々、自分とロズは、言葉を交わしたことすらないというのに。

 ナンパまがいに話しかけてしまった時だって、ジャックから一方的にまくしたてただけで、彼女からは何も、声をかけてくれなかったではないか。

 

 なのに。

 ジャックの心は、締め付けられる。


 半身を求めるかのように、同じ空間にいるロズを意識してしまう。

 半身のように感じるが故に、彼女の視野に躍り出ることすらかなわない。

 

 ロズがフランケンズ・ディストに入るかも、だって? 

 真意は分からない。

 けれどもしそんなことになったら、どんなに素敵だろう。

 どんなに、苦しいだろう。

 

 胸の中で、相反する感情が二重螺旋の濁流となる。

 

 ジャックは、皆の心臓にも平等に、ロズのステージの余韻が鼓動として残っていますようにとだけ念じた。

 そうでなければ、この胸の内の何と罪深いことか。


「男どもにちやほやされてるからって、調子に乗んなよ」


「私達には関係ない」

 

 いよいよ、リンダとレイラの標的が、ペッパーからロズへ移ろうとしていた。


 ジョニーが仲裁しようとステージから降りてくる。

 恐らく、ロズの方を庇おうとしていた。

 だとすれば、ジョニーの足先がホールの床に着くより早く、女の戦いに決着がついたのは、喜ばしいことだった。

 仲裁が間にあっていれば、リンダは間違いなく不貞腐れただろう。


ウチの乳母、三人とも女の子が好きになっちゃったけど」

 

 ジョニーが、姉妹とロズの元に駆けつけたのは、ロズの言葉に、姉妹が揃って二歩引いた後だった。

『ジンハウスはビビったら終わり』……だったか。


 レイラが、今度はジョニーを問い詰め始めた。


「どういう事? ジョニー」


「いや、その、ロズとはだな、偶然……偶然、街で意気投合して」


「私は姉さんじゃない。もしかしたら、どこかの寂れた通りで多少の縁があったりしたかもしれないけれど、それにしたって、どうやってあなたがロズ・マロースピアーズをここに呼べたかなんてからくりに、興味はないの」

 

 私はあるぜ! と身を乗り出そうとしたリンダを、レイラが左の翼で遮る。


「どうして、あの女に楽曲を渡したりしたの? 敵なのよ? 私達の強みって何? ジョニーの世界の曲を独占していることでしょう? フウやペッパーの時と違って、今回の勧誘には絶対、納得できないわ」

 

 羽のヴェールを掻い潜り、リンダがジョニーの右腕にしがみ付く。


「スパイに決まってんだろ。ステラボウルズのボーカルが、どうして私らの仲間になるってんだ。羽でつまむように分かる。本番、ステージの上、土壇場で裏切って私らに恥かかせるつもりだ」


「待て二人とも。俺の話を」


「エルフがなんだよ。くだらねー。こいつらに人気があるのなんて、化けの皮が剥げる距離まで、他の種族を近寄らせないからってだけだ」


「高嶺の花が、崖の下の生き物をどんな風に見下してるか知ったら、誰も憧れなんて抱かないわ」


 いつにもまして、聞く耳持ちそうにない二人であった。

 

 ジャックは姉妹の、羽を毛羽立たせての抗議に違和感を覚えた。

 どこか切羽詰まっているように見える。

 相手の意見を封じ込める為に二人でまくしたて続けるようなことは、意外とすることがない二人だったはずだ。

 

 リンダとレイラがロズを敵視するのは、今彼女達が話したことだけが理由では無いと、ジャックはうっすら感じ取った。

 チーム内に、圧倒的な実力者を迎えた挙句、自分達の存在が霞むことを恐れているのだろうか。

 それとも、ジョニーの気持ちがロズに傾くのではないか、と恐れたリンダが頑なになっていて、それに気付いたレイラが姉を助勢しているだけ?

 

 ジャックには、どれも心配する必要がないことのように思える。

 

 なぜなら


「おかしいぞ。リンダ、レイラ」

 

 ジョニーが、そんな事態を許すわけないのだから。


「フウやペッパーの時も、お前らは反対した。俺はお前らを納得させるのに、力技を使った。でもそれは、時間をかけて説得したって、お前らが最後には、ペッパーのこともフウのことも認めてくれると分かってたからだ。そうだろう? 結果が証明してる。お前らは、一度仲間になったって、本当に気に食わなかったら、いつだって追い出そうとするに決まってるからだ。自分達でも気付いてるんだろう? お前らは、自分で思ってた以上にずっと心が広かったんだよ。拒絶する理由なんてない。俺は、ロズを信じる。歌の上手いやつが俺らの事を気に入って、一緒に楽しもうとしてくれてる。それだけだ。何の問題がある?」

 

 諭す声は優しかった。


「リンダ。もしロズがスパイだとしてもだ、盗まれる以上に吸収してやればいい。レイラ、強みの一つ二つ渡したからって、負けるようなやり方はしないつもりだ」

 

 つまるところ、フランケンズ・ディストのリーダーは、やはりジョニーなのだ。

 

 ジャックや姉妹は、ジョニーがエルヴェリンに来た日からの付き合いである。

 ジョニーの打ち立てる方針に信を置き、それに協力し、心中する覚悟は出来ているのだ。

 本当に自分達が反対することには、ジョニーもきちんと耳を傾けてくれる。

 その上で、ジョニーが自分達の為を思って言ってくれる言葉に、ここまで導いてもらって来たのだ。

 

 ジョニーの述べた、ロズをチームに加えたい理由、姉妹に対する反論には、筋が通っているように思える。

 ならば後は、その筋に沿い全力を尽くせばいい。

 

 リンダとレイラが折れるだろう、とジャックは思った。

 しかしいつまでたっても、二人は首を縦に振ろうとはしなかった。

 

 唇をかみしめ俯いていたリンダと、一瞬、目があった。

 リンダは、酷く申し訳なさそうな表情をジャックに向けていた。

 ジャックは咄嗟に、その目が意味する所を計りかねた。

 

 そして、リンダがロズに言い放った。


「出てけよ」

 

 脅迫は震えていた。


「ジャックが一言も、喋れねーだろーが」

 

 口にされた核心に、ジャックは衝撃を受けた。

 

 自分は大馬鹿者であるという実感が、全身を打った。

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