第七章 ミクシア祭の夜は凍る④

 シャンディーノ・ステラボウルズ芸術院についてのありふれた誤解は、ニューアリアの外からやってきた人間にとって、解決して帰らねば損であることが明白な課題である。

 

 塔群と、忠実なる学徒を率いる男の名は、シャンディーノ。

 その姓はマロースピアーズであり、ステラボウルズではない。

 

 ミクシア祭の夜。

 ボルピナという名の少女が、行きずりの輪の中で、シャンディーノをステラボウルズ氏と評した時には不幸にも、すでに真夜中を回ってから、かなりの時間が立っていた。

 誰しもが、余所者のそんな発言を訂正し、田舎者と自身を比較して相対的に知識人面してやろうという欲求をとっくに満たし終えていたため、誰も彼女に口を挟まなかった。

 可哀そうなボルピナは、シャンディーノ塔群の傍の路地裏で祭りを楽しんでいたにもかかわらず、知るだけで胸をときめかせるほどの「情報」には触れぬまま、祭り明けと共に地元へ帰ることになるかと思われた。

 

 ボルピナは多口人マウスカルシェだった。


 エルヴェリン南西の田舎、オールハイアスからミクシア祭に出てきていた。

 祭りを楽しむと同時に彼女は、故郷に帰った暁に出来るだけ得意げに披露できる話のネタも、集めていたのだった。

 今のところ、「聞きなれぬ歌を披露する片腕のハーピー」を筆頭に、二位以下からのラインナップも合わせれば、ふた月は談笑の席の中心を保障してくれること請け合いである。

 しかし、酔った頭の中から零れ落ちないように大事に仕舞っておいた情報の数々は、しばらくの後、彼女が期待していたほどの価値を為さなくなる。

 徒労に終わる、ということではない。

 むしろ、彼女にとって最高の意味で、だ。

 

 多口人は、二手二足系の種族であり、鼻の下以外にも、身体の至る部位に、口を持つのが特徴だった。

 ボルピナの全身には、合わせて十四の口があり、中でも、首筋と右肋骨に存在する二つは、唇のツヤと整った歯並びもあって、自信を持って誇ることのできる、チャームポイントであった。

 だが、同じ口でも打って変って、右足裏に八歳の時に生まれたそれは、ボルピナをいつも苦悩させる。

 常に体重がかかっているせいで、おちょぼ口に加え、歯並びも最悪なのだ。

 男にはとても見せられたものではなく、友達にもよくからかわれる。

 

 ニューアリアに来たのは初めてだったが、ボルピナはこの街に、一晩で好意を覚えつつあった。

 

 この街で彼女は、同じ種族の人間をまだ、見かけていない。

 

 ボルピナの故郷では、多口人の割合が三十%を超える為、彼女にしてみれば、ニューアリアの種族人口割合だけでも、脅威に値する事件であった。

 

 エルヴェリン随一の多種族都市、ニューアリアでは、一種族内のみに通用する特有のコンプレックスに、目は余り向けられない。

 美醜に対する、種族内特有のルールを一々記憶していたのでは、百を超す種族を抱えるこの街では、とても頭が回り切らないのだろう。

 住人達は、あらゆる種族に普遍的に通用する、簡略化された美醜の認識を、無意識のうちに抱いているように思えた。

 それは、他の土地では見られない文化だった。

 

 そんなニューアリアの風土が、ボルピナに靴を脱いで、自然と裸足になることを選ばせた。

 椅子に座り、足をぶらぶらさせ、男達が、自分の右足の裏を盗み見ようとするのを、存分に楽しみきった。

 

 それが、幸運を連れてくることになった。


「ん?」


 露出した足裏の唇は、皮膚よりも鋭敏な感覚を持つ。

 だから彼女は、第一発見者となることができた。

 足の裏に、違和感を感じた。


「……霜?」


 屈みこみ、石畳の隙間に指を入れ、なぞる。予想通り、指先は、白く透明な結晶を纏わせていた。

 しかも、天然の霜ではない。

 指先で溶けてはいくものの、欠片も冷たくは無いのだ。家々の屋上から溢れる炎や、炎酒と同様、術を用いられた人工の産物である。

 

 なぜ、こんなものが。

 

 その時、路地の一角から、ボルピナの発見とは別の、ある変化に気付いた男の声が上がった。


「誰もいねえ!」


 男の周囲を取り巻く者達が、笑い声を上げた。

 確かに、談笑の途中に上げるには、この上なくとち狂った叫びと言えた。


「こいつを屋根の下に放り込んでやれ。酷く酔ってやがる」


「そうじゃねえ! 居ねえ! いつの間に、あいつら、どこいっちまったんだ?」

 

 男の見上げる先には、夜空があった。

 

 周囲の者たちは一瞬、男は酔いが回っているだけでなく、どこか頭でもぶつけたのかと心配顔を浮かべていたが、すぐに、男の言いたいことに得心いったようだった。

 

 男の視線の先に、夜空が見えていてはいけなかったはずなのだ。

 

 そこには、硝子で出来た城、シャンディーノ塔群の主塔が、見えずとも存在していて、学生や、選ばれた招待客だけのパーティが行われていたはずなのである。

 夜空の中で星々と踊っていたはずの、彼ら彼女らは、どこに行ってしまったのか。

 目を焼くはずの光線の警備も、今は、機能してはいないようだった。

 

 男の声を皮切りに、誰しもが天空に目を向け、気味の悪い異変に答えを見つけ出そうとした。

 

 騒ぎが、この路地だけにとどまらず、シャンディーノ・ステラボウルズ芸術院を囲む一帯に広がっているのが、感じられた。

 お高く留まっている連中をやっかみながら飲んでいたはずの者たちに至るまで、誰しもが同じ動揺を抱いていた。


「あそこだ!」


 誰かの指が、空の一角に向けられた。

 ボルピナもつられてそちらを見る。

 

 指し示された先の光景に、ボルピナは息を飲んだ。

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