第七章 ミクシア祭の夜は凍る③
瞬きも忘れていた。
だから瞬きをした瞬間、現実に引き戻された。
リンダは、下着を脱ぐ手を止めていた。
ジョニーを、強い後悔が襲った。
俯いたリンダの顔に浮かんでいるのは、悲しみと、それを塗りつぶそうと、彼女の性格が自分で増幅させた悔しさだった。
数瞬のそぞろであったとしても、ベッドの中では簡単に伝わる。
「酔いは冷めたかよ」
リンダは言った。目の下に薄い影が見えた。
「やっぱり、私が……片羽だから」
「違う!」
リンダは誤解していた。ジョニーの迂闊さが招いた空白に、きっとリンダは、自分を激しく傷つける幻影を見ていた。
それが、何かは分からない。
しかし、そこにジョニーの意図は無いのである。
強く、リンダの身体を抱き締め、彼女の肩、肉と羽毛の境目に口づける。
唇の湿度を、細やかな白羽がうっすらと気化させ、オレンジとスパイスのような香りが立ち上った。
リンダはしばらく、ジョニーの目を見つめていた。
彼女の視線に、ジョニーは無言で答える。
何も交わっていないという実感が、二人の間を隔てていた。
やがてリンダが、ブラを自らはずしにかかったときと、同じ表情を浮かべて言った。
「……帰りたい?」
小春の裸が、瞼の裏に奔った。
「聞いたんだ。ニューアリアには、ジョニーの求めるものが無いって」
僅かだが、リンダがジャックと、二人で話していた時間があった。
きっとその時に聞いたのだろう。
慣れ親しんだ地球の音楽がこの世界には存在しないということに対し、ジョニーがいかに不満を爆発させたか。
「ジョニーは、何がしたいんだ?」
ジョニーを繋ぎとめておきたいという気持ち。
ジョニーの為になりたいという思い。
リンダの台詞の端々に、綺麗に割られた、欲求と献身の半々が滲んでいた。
咄嗟に嘘をつけたり、誤魔化したり出来る男が、どこにいるだろうか。
「俺は」
ジョニーは真実を口にするほかなかった。
「歌って、踊り続けて……いたかった」
楽器の無い世界に来てしまったことについての後悔は、もはやない。
今なら分かる。
この世界に、エルヴェリンに飛ばされた日、『オサラバしてやる』『クソッタレ』と罵った相手は、本当にニューアリアの街だったのか。
日本に残っていたところで、果たして自分に、やりたいことをやり通せるだけの力があっただろうか。
歌い、踊り、弾き続けるだけのことが、難しい国だった。
好きな事をやっている間でもずっと、「いつか卒業しなければならないことだ」と、頭の片隅で声がしていた。
自分が、本当に不満を叩きつけたかったのは、あの国が得意とするところの、無言の圧力みたいなものだったのかもしれない。
心の奥底で、異世界を望んでいたのかもしれない。
常識の範疇から、自身が除外してもらえる場所を。
異界生まれ。
そんな言葉で、アウトサイダーとして公認してもらえる世界を、渇望していたのかもしれない。
どちらが、大事だったのだろう。
音楽を続けること。
生きたいように生きられる世界。
自分は、前者を生贄に、後者を与えられた。
音楽の技術も、文化も、練習にかけた時間も、勿論、高城の経験の中……個人史の中には残っているが、それに意味を持たせるための環境、世界自体が激変したのだから、全消失も同じであった。
ジョニーは、自嘲する。
「馬鹿げた、夢だった」
「そう?」
「祭りが終わらなきゃいいって……本気で、願ってたのさ」
しかし、生贄の果てに手に入れた彼女は、ジョニーの左手に、指を絡める。
「私が、全部かなえてあげるから、だから。帰っちゃ、やだ……」
十年越しの、答え合わせ。
リンダが口にしたのは、小春に最後に抱かれた日、高城の選びそこなった「正解」でもあった。
背中を、暖かさが、覆う。
広がったリンダの右羽が、ジョニーの背中を、毛布のように包む。
リンダの肉体と、羽。
異なる二種の柔らかさに挟まれ、味わったことない官能に身を委ねる。
空いた右手をリンダの背に回し、外れかけの下着を取り去った。
リンダの羽は、滑らかな感触にもかかわらず、舌による愛撫の如き快感を、むき出しの背中全体に与えてくれる。
頭の後ろから、顎のラインをなぞり、先程味わったのと同じ、彼女の羽の香りが濃密に漂ってくる。
身体の前面と後面、その全てで、リンダの肉感を貪る。
好戦的で、初めて出会ったあの日には、自分を屈服させようとしてきた少女。
それが今や、蕩けた表情で、その身体で与えうる官能の全てを、一心に捧げようとしている。
唇から、赤みの差した双乳、足先まで。
リンダの肢体を、どのような順序で自分の物にしていけば、彼女の気持ちに応えられるだろうか。
この二週間、考えたところで、この世界で何を為すかも、何と戦えばいいのかも、答えは出なかった。
今はただ、リンダの羽に全てを委ねる。
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