第七章 ミクシア祭の夜は凍る②
場末のスナック。
中学生の自分。
年齢を限界まで誤魔化して、やはり誤魔化しきれずに、ママのお情けで、壊れたジュークボックスの代役をギターで請け負わせてもらって、小銭を稼いでいた頃。
その店の嬢が、ジョニーの……
彼女の名は小春。
源氏名は忘れた。
小春は小劇団に所属する女優の卵で、生活費を稼ぐために、夜の時間を、高城と同じ店で過ごしていた。
十歳も年上だった。
店を閉めた後の店内で高城は、劇団でダンスをやっている彼女に頼みこんで、ダンスの基礎を仕込んでもらっていた。
二人きりで。
忘れ物をママが取りに戻ってくるのを警戒しながら、ホールから死角になっている狭いキッチンで、ネズミが出てこないことを願いつつ、よく、抱き合った。
彼女と生きていた頃、生活には、夢と肉欲しかなかった。
お互いの生活をシンプルにしあっているのだという、思いこみじみた、一方的な連帯感に、高城は浸っていた。
そして、彼女と出会ってから半年後、その夜は訪れた。
金曜の夜だった。
大人の柄の悪さは、子どもとは違い、着ている服からは容易に計れないものだ。
小春の頭に、灰皿の中身をぶちまけた男が纏っていたのも、仕立ての良いスーツだった。
タイピンや腕時計なんかが、店の照明を存分に利用して、「俺たちは光物だ!」と自己主張しているかのようだった。
高城が、今でも不運だと思っているのは、あの店で働いていた時期が、人生でもっとも賢かった期間と、日食のように重なってしまったということだ。
ジョニーとなった今なら当然とるだろう選択、つまり、グラスの中身をその客にぶちまけてやることを、少年だった高城はしなかった。
自分が衝動に訴えて、この場限りで彼女の憂さを晴らしてやったところで、店は、小春の立場は、どうなる?
心の傷は自分が、慰めてやればいい。そうすれば、世は全てこともなしではないか。
小春だって、それを望んでいるはずだ。
そんなことを、考えていた。
その日店を閉めて、いつものように自分と小春だけになった後。
何かが違う、ということに気付かされた。
店の照明を、ワンボックスのテーブルの真上だけ残し、他は全て落として。
その下で、高城は小春に抱かれた。
ダンスのレッスンも、その日は無かった。
暗い店内で浮き上がる明かりの中で、高城に有無を言わせずに覆いかぶさる小春は、いつもよりずっと、切なげだった。
目の前に高城がいるにもかかわらず、まるで、誰かに見つけて貰いたがっているみたいに。
客がいつも尻に敷いている、柔らかいはずのソファは、キッチンの床より、遥かに掃き溜めじみた感じがしたのを覚えている。
『帰りたい』
小春の下、高城は掠れた声で、そう漏らした。
『あの、汚い床の上に』
小春は答えた。
『そうね』
何も交わっていないという実感が、二人の間を隔てていた。
湿った髪。
洗い流されてなお、毛先にまとわりつく、灰の塵屑。
高城は、小春に揺られながらも、撫でる振りをしながら、ドレスの肩に残るくすみを優しく掃おうとするばかりだった。
その時初めて、高城は、いつからか小春が、酷く疲れた女になってしまっていたことに気付いた。
灰が、彼女の精神的な化粧を、落としてしまったかのようだった。
その下にあったのは、日々の慰めに未成年を掻き抱くしかない、行き詰った人格だった。
日々のダンスのレッスンすら、セックスの一部だったのだと、高城は悟った。
あの時の小春は果たして、夢と肉欲のステップを、一拍踏み外しただけだったのか。
それとも、もう二度と音を取れないほどに、乱れきってしまっていたのか。
翌日から、小春は店に来なかった。
二度と、会うことも無かった。
小春は、どこに消えてしまったのだろう。
きっと彼女も、帰ったのだ。
自分だけの世界に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます