第七章 ミクシア祭の夜は凍る

第七章 ミクシア祭の夜は凍る①

 初めて女に抱かれた時、予想の三倍を超えるその体感重量に、驚いたものだった。

 重量、という言葉はいささか、強く言い過ぎかもしれないが、何と言うか、「そこに存在している質感」、というか、とにかくそういうものだ。

 

 三倍、というのは少し大げさにしても、大なり小なり、男ならみんな似たような感覚を味わったことがあると思う。

 自慰の中で感じる女の身体は軽く、柔らかさや滑らかさだけを想起させるが、現実の女は、それらに先行し圧力の二文字が襲い掛かってくるのだ。

 

 だが、自分の人生におけるあらゆる経験と比べても、リンダの身体は軽すぎた。

 片腕が羽であるせいだろうか。

 まるで、男が妄想の中で形成する女体の質感が、そのまま現実として存在しているかのようだった。

 

 路地からさほども離れていない、酒場の二階である。

 窓はあったが、狭い部屋だった。

 思うに、日頃から貸宿として提供されている部屋ではないのだろう。

 部屋の半分以上の面積をシングルベッドが占め、残った床の上には、未開封の酒瓶が無造作に幾つも並んでいた。

 かきいれ時に備え、倉庫の中身を全て一階に移したら空き部屋が発生したため、せっかくだから客を泊めて儲けようという店主の心の声が聞こえてきた。

 急ごしらえの宿にしては気が利いている、と思うのは、自分がこの世界にまだ馴染みが無いからだろうか。

 

 何本もの酒瓶が、床に立ち並んでいた。

 赤や青と言った定番から、白や金など、初めてみるような炎達までもが、それぞれの瓶の中で揺らめいていて、間接照明の役割を果たしている。

 ジョニーには、足元の明かり達がとても耽美に思えた。

 しかし、少しばかり数が多いかもしれない。

 フリードリンクかどうかの確認はとっていないが、構わないだろう。

 ジョニーは、照明をいくらか剪定してやろうと、手近な瓶を一つ手に取ると、栓を開けた。

 頭の上からフランケンが飛び降り、ベッドの下に逃げこむ。

 リンダがふざけて、ジッパーの中に酒を注ぎこみまくっていたのを思い出す。彼はもう、今夜はこりごりなようだった。

 

 その瓶の中には、緑色の炎がたゆたっていた。

 火を飲むなんて、宴会芸を通り越してサーカスの曲芸だと最初こそ拒絶していたが、今となっては慣れたもの。

 ジョニーは、三分の一ほどを一気に飲み干す。甘酸っぱい、見た目を裏切る冷気が、喉をのたうちながら降りていく。

 ボトルに三分の二残ったグリーンライトが、ジャックを思い出させる。

 路地に置き去りにしてしまったが、感謝されこそすれ、恨まれることも無いだろう。

 レイラと随分盛り上がっていたようだし、ジャックの朴念仁のせいで時間を取るだろうにせよ、遅かれ早かれ、今の自分達と同じような状況にジャックとレイラも辿り着くに違いなかった。

 

 なれば心配はいらない。今は友より、自分の事の方が重要だ。

 

 ジョニーは、天井に向かって一息ついた後、ベッドに目を向けた。

 

 酔いつぶれたリンダが横たわっている……はずだった。

 ここに彼女をおぶって運んで来た時から、ずっと眠っていたのだが、いつの間にか、目を覚ましていたようだ。

 左腕と右翼で膝を抱えながら、さっきからずっと、ジョニーの背中を見ていたようだった。

 

 ジョニーの胸で、今しがた飲んだ炎が、ぎゅるりと渦を巻いた。

 天井の低い、ベッドと酒瓶だけが置かれた木の香りのする空間は、部屋と言うより犬小屋か何かのようだ。

 窓の外の景色よりも一段階野蛮で非文明的な場所に、少女と二人きりになっているという感慨が、激しくジョニーを昂ぶらせていた。

 

 リンダと目が合う。


 凶悪犯と一緒の独房にぶち込まれた少女虜囚はきっと、こんな頼りない目で意地を張るに違いない。

 彼女の表情は、ジョニーをくすぐったい気分にさせた。

 しかし、ジョニーからは触れない。

 彼女の、年相応の怯えが解消され、期待だけが残されるのを、黙って待つ。

 

 嫌われていないという自信はある。

 どころか、リンダは身体を交える前の今でさえ、これまで出会ってきた女と比べても一二を争うほどに自分を愛おしく思ってくれているという確証すらあった。

 ならばこの怯えは、通過儀礼に過ぎない。

 怯えはいずれ消化され、栄養がごとき情欲が、その肢体に溜まるのを待つのみだ。

 慣れた間である。

 

 しかし、ただ見つめ合いながら過ごすうち、リンダの身体に現れた異変に、ジョニーは驚かされることになる。

 

 リンダの右羽が、膨張し始めたのだ。

 時計塔から着地した時は、爆発するような勢いで広げられたそれが、今はゆっくりと、風呂の水がたまるようなじれったい早さで、少しずつ。

 

 リンダが自覚した時にはもうすでに、広がり切った純白の右羽は、ベッドから溢れ板張りの床に垂れていた。

 自身の変化に気付いたリンダは、顔を一気に赤らめ、左腕で巻き込むようにして、右羽を庇う。

 僅かに涙を浮かべた、その必死な表情に、ジョニーはその変化の意味するところの大体を察した。


「好きに、していいよ……」


 身体を抱き締め。

 白い羽に口元を埋めながら、リンダが言った。


「私……わかんないし」

 

 今世紀最大の据え膳であった。

 

 この世界の貨幣に侵略された自分の財布の中に唯一残っていた、最後の土産物とでも言うべき男のたしなみの存在など、頭から吹き飛んでしまった。

 なお、二十一世紀日本の現行法は、路地でリンダにしがみつかれるたびに頭の中で酸を浴び、もはや原形をとどめていない。

 かろうじて、これほど年の離れた少女を抱くことに対する味のしない罪悪感だけは生きていたが、ジョニーは今、その溶け残りを掃いて捨てた。

 時代遅れならぬ、世界遅れの法は、忘れるべきだ。

 中学中退の頭でも知っている。

 治外法権は、認めてはならないのだ。

 自分とリンダを隔てるものなど、0.02ミリだって、存在してはいけなかった。


「んんっ………」


 ベッドの上で、壁際に追い詰められたリンダを抱き締めると、彼女は声交じりの息を漏らした。

 果たして、この瞬間に対し、倫理に一体何の意味があるというのか。自分とリンダの身体の間に、何が介入できるというのか。

 第一、この身体のどこが少女だというのか

 重ね合わせた胸から伝わる、規格外の膨らみ。

 生娘だからという遠慮を、こちらに欠片も持たせてくれないのはリンダの方ではないのか。

 

 彼女の身体を、仰向けにベッドに横たえる。

 優しく、彼女の羽が膨らんだ速度を思わせる、ゆっくりとした動きで。

 急いて急いて堪らない内心を隠しながら。

 息が切れる。

 鼓動を落ちつけがてら、ジョニーはまず、自分の着ていたシャツを脱いだ。

 それから、リンダの身体に覆いかぶさる。ドレスに覆われているリンダの豊満な胸、その切なげに押し上げられた膨らみの前に、鼻先を近づける。


「あ……」


 リンダは、目の前に迫る男の上半身に、釘づけになっている。

 性的な興奮が、彼女の顔を上気させている。

 そしてそこには僅かな不安も、新たに湧き出ていた。

 

 リンダの、視線の先。

 彼女とその妹が、数週間前に殴りつけた時の痣が、まだ残っていた。

 かなり薄まっていたが、それでも六ヶ所、はっきりと数えることが出来る。

 

 きっとリンダは、痛くしないでと甘える権利を、剥ぎとられたような気分になっていた。

 不安がる気持ちを声には出さずとも、唇の緊張は隠し切れていなかったし、彼女の肢体は、駄々をこねる子どものような、わざとらしい不満を纏わせていた。

 

 言葉で望まれなくとも、優しくする準備は出来ていたのに。

 なのにどうして、胸の先から腿まで使って、虐めて欲しいと訴えるような真似をするのか。

 

 セパレートになったドレスの胸元を上にずらすと、下着に包まれた、リンダの胸が露出する。

 さらに、全てを露わにしてやることしか考えられなくなり、無心で、彼女の背中に手を回す。

 ブラ、というより、ビキニタイプの水着のような下着で、ホックの作りが違うのか、ここにきて中々上手くいかない。

 手間取るごとに、目の前でリンダの胸が誘うように揺れ、彼女の顔も、羞恥に染まっていく。

 

 やがてリンダは、やっきになる男の手を引っ込めさせた。

 その仕草は、プライドを傷つけさせない器用さと優しさに溢れ、素直に従わざるを得ない。

 リンダは左手を自分の肩の後ろに回すと、自ら下着を脱ぎ始める。

 この夜にふさわしい、緩慢な、羽が膨らむ速度で。


 しょうがないなあ。


 リンダの表情が、そう言っていた。

 ベッドに入ってから初めて立った優位に得意げになりながら、豊満な胸を自ら曝け出そうとする彼女に、激しい興奮を覚える。

 

 途端、ジョニーを、おおよそこの場にはふさわしくない種類の眩暈が襲った。

 性的なニュアンスとは無縁の、天地が逆転したかのような。

 自分が上、彼女が下、ではなく。

 彼女が上、自分が下に、なったかのような。

 

 ノイズ・デジャブ。

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