第六章 ミクシア祭の夜は燃える⑤
「意外でしょうけど、珍しいのよ? 私達……それも姉さんから因縁をつけに行くなんて」
「よく言うよ。無銭飲食の果てに、串焼き屋を火の海にしといて」
ジャックがそう言ったのは、気安さからだった。
この夜に散々繰り返した、お互いの立場をダシにした、自分達にしかできない軽口の応酬のはずだった。
けれど、その台詞を口にした途端に、なぜかジャックは、祭りの喧騒が一瞬、止んだ気がしたのだった。
ジャックはその一瞬に、現実感という名の幻影を見た。
リンダやレイラと出会う前、自分は、乱暴者で、暴力や盗みに手を染める彼女達のことを、はっきり言えば軽蔑していた。
恐れていた。
ジンハウス姉妹に出会ったが最後、決定的に良くないことが起こるのだと、信じて疑っていなかった。
噂は、見知らぬ誰かに対する恒常的な「感覚」を作りだす。
今、レイラに心を開きかけているジャックは、その「感覚」とは無縁だ。
「感覚」は、実物のレイラと触れ合うことで、過去から変容したのだろうか。
それとも形は変わらず、祭りの間置き去りにされているだけで、明日になればまたジャックの中に戻ってくるのだろうか。
ジャックは、後者であって欲しくは無い、と思った。
祭りを楽しむ自分が、日々を生きる自分の価値観から、まるで分離した存在になっていることにジャックは気がついたのだ。
有体に言えば、祭りのテンションで一時仲良くなれはしたものの、祭りが終わった後からは他人行儀になってしまう事を、ジャックは恐れていたのだった。
あり得ない話では、ないように思えた。
なぜなら、打ち解けられたと言っても彼女達は、かつてジャックの軽蔑していた乱暴者という性質まで捨て去ったわけではないのだ。
自分が、明日レイラをどう思うか分からないという事実は、ジャックを酷く不安な気持ちにさせた。
レイラは樽の蓋に肘をつき、姉なら決して浮かべないような、憂いを帯びた笑みを浮かべていた。
「売り物じゃないなら盗むしかないし、先に私らに火をつけたのは店主の方」
言い合いを始める時のような売り言葉でなく、誇張された噂で盛り上がるためのユーモアでも無い。
レイラの口から、ジャックが先の一瞬に忌避し尽くした現実が、語られる。
「屋根の無い串焼き屋は、スカイバラックでも有名だったわ。都会で商売を成功させた人の噂って、田舎ではすぐ広まるから。私達は、孤児院で育てられたの。ニューアリアに来たのは、故郷にうんざりしたから。何も良いことなんて無かった。一人で私達を生んだ母さんは、普通のハーピー……つまり、肩から先が両方翼だったけど、私達がこんな風に生まれたのを、周囲から全部自分のせいにされたのがきっかけで心を壊して、私達を置いて空の果てに逃げてったわ。それからは、孤児院にかくまわれながら、大人から、凶兆だの呪いだのって言われつつ大きくなって、ガスパルタの研究塔から、羽の無いハーピーを見てみたいから研究に協力してくれないかってお達しが来て……それで、ニューアリアに来たの」
もしかしたらレイラの心にも先の一瞬に、現実感の幻想が吹いたのかもしれないと、ジャックは思った。
ジャックもニューアリアでは、ただ一人のオークとして爪弾き者だ。
レイラも、明日からジャックを、出会う前のように、腰ぬけの蛮族としてしか見ることが出来なくなるかもしれないと恐れているのだろうか。恐れてくれて、いるのだろうか。
「ニューアリアの住人になって、初めは、天にも昇る気持ちだったわ。……二つの羽でね。これだけたくさんの種族がいる街なら、私と姉さんの存在も普通の範疇に入れてくれると、思ってたの。でも、故郷より酷い好奇の目に晒されて……。私達は孤独に屈して、結局、本能に回帰したわ。ある日、堪らなく同族に会いたくなったの。翼種がよく利用するって言う、同郷のハーピーの経営する串焼き屋に行って、覚えてないけど、とにかく何かしら注文したの。少ししたら、店主のババア自らの給仕で、皿が運ばれてきた。……何が乗ってたと思う?」
「まさか……」
最悪の想像が、ジャックを震わせた。
レイラが、零すように言った。
「鳥肉よ」
ジャックは、細腕の力を目一杯使って、手にしていたグラスを樽の蓋に叩きつけた。
そうしなければ収まらなかった。
半月に覗く樽の中、紫色の炎酒が細波を起こしたが、ジャックの心の中は、義憤で大時化となっていた。
ジャックのグラスが樽を叩く音にも、当のレイラは涼しい顔だ。
喧嘩の場数から来る度胸の差か、ちょっとやそっとでは、彼女を慄かすのは難しいようである。それか努めて、冷静を保っているか。
酒気を帯びた怒りを唇の端から漏らすジャックに対し、レイラはあくまで淡々と語る。
「何もかもが嫌になったのよ。同族からの悪意も。他の種族からのもの珍しげな視線も。同郷のよしみなんてものを心の中に残してて、アテにしてた自分達も。そして今に至る、って言うわけ。あの店はいつか潰してやるって、いつも二人で話してたわ」
ジャックは震えた。
レイラ達が喧嘩の舞台にフリダズ・スキュワーを選んだのは、ただの気まぐれかと思っていたのに。
まさか、そんなにも根深い因縁があったとは。
「みんなが噂するわ。リンダはすぐ殴る、レイラはいつか人を殺しそう。だから、近寄りたくない。でも、それは本当の私達じゃないのよ。私達、最初からこうじゃなかった。けれど誰もが最初から、私達に近寄りたくないって言ってたわ。今とは別の理由でね。更生の余地があるって言われるの、私達、大嫌いなのよ。だって無いんだもの。知ってた? 更生って言うのは、羽が二本になることなのよ。……勘違いしないで。可哀そうだとか、同情する余地があるだとか思ってほしくて、話したわけじゃないわ。自分達が可哀そうとは、思えない……私はね。私達に物を盗まれたり、店を焼かれたりした方が、よっぽど、可哀そう。けど、それでもどうしようもないのよ。どうしようもなかったのよ。何もかもが。もう、罪悪感がわかないの。何をしても、悪いとは、思えないのよ……信じて」
『クズの言い分だ』。
昨日と明日に位置する、本のぎっしり詰まった鞄を肩から下げたジャックが、頭の中で囁いた。
『何が、「可哀そうだとは思わない」だ。思われたくない、だ。口ではそう言いつつも、立派に自分を憐れんでるし、憐れまれたいと願ってるようにしか見えないよ。信じて、だって? 馬鹿みたいな言い草だ。何を信じろっていうんだ? 動機の存在を? 罪悪感の欠如を? それとも、生まれた時から素行不良だったわけじゃないってこと? その全てを僕が信じたところで、彼女らの、人を傷つけながら生きてきた数年の重みが軽くなるのか? 彼女達に対し、「君達は日蔭者じゃない」と胸を張って言える奴が、この先一人でも現れてくれるっていうのか? 言ってやれよ。君は意外と、自分を誤魔化すのがうまいんだね、ってさ』
昨日と明日のジャックは、大勢の人通りを背後に抱えて、石畳の上に立っていた。
だが今、この場でレイラと樽を囲むジャックは、微笑みながら優しく、自分自身の心に諭すのだった。
昨日と、明日なんて。
過去と、未来なんて。
あるのは、いつだって。
「僕も……同じだ」
今、だけだ。
ジャックは、胸を痛めながら、レイラに言った。
「いじめられるのは、緑の肌のせいじゃないって言われることがある。おどおどしてるからだって。自分からいじめられるような人間になってどうするって……けど、僕だって、最初からそうじゃなかった。変えられてしまったんだ」
レイラの生には、寂しげな予感が付きまとっていた。
ジャックの背負っているのと、全く同じ亡霊が。
これからも、自分という存在が正当化されることは無いだろうという、人生に対する冷えた見通しが。
だから。
「信じるよ」
レイラの言葉を、ではなく、レイラを。
「僕は、信じる。祭りが終わっても、ずっと……」
ジャックは、自分が今夜レイラに与えられるものを与えつくしたような気になった。
言葉と約束。
ジャックはジョニーを思い出し、行動で示す勇気が自分にもあればと悔やんだ。
だが、公衆の面前で異界の歌をかました時のような大胆さを、ジャックは今、持つことができなかった。
レイラの視線の先には、リンダとジョニーがいた。
リンダがジョニーに向かって、酒瓶を投げ、ジョニーが頭に乗せたフランケンのジッパーの中に、器用にキャッチして見せる。
途端フランケンは、炎と化して飛散。
ジョニーの足元から細かい炎の滴が頭へと這い戻り、再び元の帽子の形状を為すと、ギャラリーは大喜び。
「全部忘れて生きていけるほど、私達は器用じゃないものね」
それでも。レイラは、ジャックの精一杯に礼をくれるのだった。
「だから、嬉しいわ」
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