第六章 ミクシア祭の夜は燃える④
ニューアリアの研究塔。
その格は一目で分かるようになっていて、優秀な結果を収め、学徒を多く抱える学術者ほど、規模の大きい根城を構えている。
学者たちは好んで、自身の所有する研究塔に外観的特徴をつけたがる。
と言うのも、有力な学者、研究者の研究塔は、塔群を形成するため、どこからどこまでが自身の縄張りなのか、簡素な石壁のままでは混乱を招くからだ。
『塔群』を形成する程の学術士は、ニューアリアに十人。
そのうちの一人、シャンディーノが率いる、『シャンディーノ・ステラボウルズ芸術院』がどのような外観を築き上げているかと言うと、一言で言えば、外観など「無い」ということになる。
二十階を超える本塔から小塔群、物置小屋に至るまで、建材は全て、透明度の極めて高い硝子で作られており、どんなに目を凝らしても、その広大な敷地内に建造物が立っているようには、少しも見えないのだった。
調度品等は流石に硝子性では無いらしいが、塔の内部に入った者にしか視認できないよう、術がかけられているそうである。
故に、部外者は誰も、そして恐らくは生徒の大半さえ、透明な芸術院、その建築の全容を把握してはいないのだった。
塔の外部から見られるのは、硝子で出来た不可視のフロアに立ち、さながら空に浮いて歩いているかのような、学生と教員の姿のみ。
中でダンスの練習をしていようが、歌ってようが、逢引してようが、丸見えになってしまうという、透明性の高い教育を地で行く造りとなっていた。
表現者足る者、三百六十度から見られて恥ずかしくない人間であれ。
真のアーティストは、凡俗が憚る行いをもってなお、ナルシシズムや露悪の謂れとは無縁なはずである、というのが、理念であった。
学生からの不満は二つ。
一つは、その性質上、塔の中にトイレが無いことだったが、それをシャンディーノに進言する者はいなかった。
いざ塔内に手洗いを作るとなった際、そこにシャンディーノがどのような穏当でない提案を加えるか、誰も想像できなかったからである。
もう一つは、女生徒がスカートを履けないという問題であったが、この訴えに対し、シャンディーノは真摯に対応した。
塔外から女子生徒のスカートの中身を確認しようとする輩の目に、塔の硝子が吸収した光をビームにして叩きこむという解決策に出たのである。
例え、日々に倦怠を感じていても、シャンディーノ塔群付近では、空を仰いではならないのだ。
男という生き物は、目の前に百の物が現れれば、性的なニュアンスを持つものから認知にピックしてしまうものである。
目つぶしの被害者は後を絶たず、ここ何年かずっと、被害者の会とシャンディーノは裁判で争っている。
よって、シャンディーノの学生以外は、覗き冤罪を怖がって、普段はこの辺りには立ち寄らない。
が、祭りの間は別だった。
シャンディーノ塔群近くの路地裏も、他の場所と大差なく、祭りに相応しい盛況っぷりだった。
というのも、ニューアリアの外から来た観光客の連中が溜まり場とするのに、街の事情などお構いなしだったからだ。
こうして、街の住人達の目の無い、ニューアリア外部の者達が吹きだまった路地が形成される。
そしてそこは、ニューアリアのはぐれ者たちが祭りを楽しむにも、最適な場所となる。
ここではリンダもレイラも、ただの少女だった。
路地の入口で売っていたグラスを、ジャックが四つ買い込んだ。
こんなもの何に使うんだ、というジョニーの問いに、ジャックと姉妹は顔を見合わせた。
グラスの使い道なんて、街中に溢れているのに。
ジャックは、路地の塀に垂れる炎をグラスになみなみ汲むと、一気に飲み干した。
ジョニーは、姉妹が時計塔から飛び降りた時と、同じ顔をしていた。
リンダが、にやにやと笑いながら、ジョニーに自分のグラスを差し出す。
自分たちに戦いを申込み、仕舞いには出所まで段取りしてくれた男が、炎なんかを怖がるのが、おかしいらしい。
ジャックも、実は同意見だった。
「うおっ! ま、待てって、俺は絶対見てねえ! 畜生!」
どうやらジョニーも、やられてしまったらしい。
ジャックは、ジョニーが、炎に酔った赤ら顔を抑えながら地面を転げまわるのを見ていた。
シャンディーノ塔群の、不埒ものに対する光線攻撃は、祭りの最中においてなお健在である。
路地の西側に、硝子の塔達はそびえ、並んでいる。
時計塔よりもずっと高い、何層もの不可視のフロアの中で、シャンディーノの学生達が、上品なパーティを繰り広げている。
ここから見ると彼らはまるで、宙に浮き星空の中で遊戯を楽しんでいるかのようだった。
真夜中の太陽だと思った方がいいよ。
ジャックはそう忠告したのだが、ジョニーは先程から何度も、同じ過ちを繰り返している。
愚かだとは、思わなかった。
ジャックにも、気持ちは分かる。
誰かれ構わず下心を抱くような、そんな真似とは無縁のジャックも、シャンディーノのパーティには、思いを馳せずにはいられない。
彼女もいるはずなのだ。星座の中心で、光り輝いて。
だが今は、一等星も、頭の片隅で燻ぶり続けるのみだった。
彼女の事を思い出すことで人生を凌いできたのに、今はなぜか、彼女のことをそれほど意識しなくて済むことに、幸福を覚えている。
「ちょっと! いくら私達でも朝食に蛇の丸呑みは流石に無理よ!」
「君だって! 僕は誰かの靴を舐めたことなんて一度として無い!」
木箱の椅子に腰かけ、樽のテーブルを挟み、ジャックはレイラと言い合っている。
樽は、上蓋が半分だけ空いた状態だ。
半月の内に、炎蜜酒がたっぷり揺らめいているのが見える。
長い柄杓を差し込み、飲み放題というわけである。
蓋で覆われた半分には、レイラ側にフルーツ、ジャック側には燻し豚肉の皿が並べられている。
ジャックは自分の皿からばかりつまんでいたが、レイラといえば三回に一度は身を乗り出し、ジャックの皿から拝借していた。
最初は、単なる言い合いだった。
相手にまつわる噂を叩きつけ合い、オークと片腕のハーピーのどちらがよりみじめか、割を食っているかという点において、相手をこき下ろし、お前よりはマシさと、言葉の取っ組み合いをしていたに過ぎなかった。
だがそのうち、自分達が、他の市民達、他人の空想の中で何処までエスカレートした存在なのかを相手の口から聞くことに妙なユーモアを感じ始めた時から、空気は一転、心地よいものとなった。
このままいっそレイラと二人で、樽の底が見えるまでずっと、過去の清算をしていたいくらいだった。
リンダは、ここから見える、少し離れた路地の一角で、ジョニーから教わった歌を調子っぱずれに披露している。
若く引き締まった身体を、粗野な仕草と酔いが包んでいる。
輝かしいシャンディーノ塔群との対比が、お高く止まったやつらへの当てつけにピッタリの美しさであったため、街の外部から来た観光客達は輪になり、リンダの歌を称賛した。
彼女は、路地裏の歌姫たる資格を存分に有していた。
歌い終わったリンダは、彼女とお近づきになりたい取り巻き達を笑顔で押しのけ、ジョニーの元へ駆け寄り、何か熱っぽく捲し立てている。
喧騒と距離に阻まれ聞こえるわけがないのに、リンダの声は、なぜかしっかりとジャックの耳に届いた。
「聞いてたか! お前のために歌うって、三回は念を押したぞ。……えへへっ。ジョニー、ジョニー、ジョニー!」
酔いの回ったジャックの幻聴、ではないだろう。
リンダの口の動きとぴったりに空想を描けるほど、まだ深い付き合いではない。
タネは、すぐに割れた。
レイラが、声を当てていたのだ。
ジャックは感嘆する。
二人で、一対の翼を操る時点で神業だが、こんなことまで。
口の動きに当てるだけでは声が間に合うはずもないので、レイラは、リンダがジョニーに向けて喋る内容を、予期していたことになる。
「あれは一目惚れね」
これは、レイラ自身の台詞だった。
リンダは人目もはばからず、ジョニーの首下に抱きついている。
耳元で何か囁いているようで、なるほど、そこまで読み取るのは確かに野暮だろう。
「一目惚れ……て、いつから?」
「読んで字のごとく、一目見た時からに決まっているでしょう。あなた達に話しかける前からよ」
ジャックは、レイラの言ったことがにわかには信じられなかった。
ナンパの最中だったジョニーを時計塔の針の上から見つけた瞬間に、リンダはもうジョニーを見染めていたのだと、レイラは言っているのだ。
いくらなんでも、理屈が通らなさすぎる。
「嘘ばっかり!」
どう考えても、あの日の姉妹は徹頭徹尾ケンカ腰なだけだったろうと、レイラに突っかかる。
「じゃあなんで、好きな相手を、デッキブラシで叩きのめしたりしたのさ!」
「姉さんも私も、手加減したわ」
ジャックには、三発ずつ叩き込んだと言う事実が、レイラの証言全てに矛盾を生じさせているように思えたが、レイラは、今日ジョニーが二本の足で立っているという事実だけで、自分の発言に疑う余地などないだろうと確信しているようだった。
「気持ちが行動として出てくるための蛇口が、一つしかないのよ。最初姉さんが、あなた達に声をかけた時は上手くいくわけないと思っていたけれど、捨てたものじゃなかったわね。現にこうして、デート出来てるわけだから」
手錠をかけられるまでの件をナンパの首尾のように語ってしまう彼女と自分では、やはり器が違うのかもしれないと気が遠くなった。
加えて、ジャックは気付いた。
そもそもジャック自身、屈折した恋愛感情に覚えがある身であり、リンダの一目惚れに異議を唱えられるような身分でもなかったのだ。
ならばもう、納得するしかなかった。
リンダとは、彼女が酔いの回りとともにジョニーに熱中し始めたせいもあり、十分に話し切れたとはまだ言い難いが、それでも、彼女が「噂の中の人物」であった時と比べて、印象はかなり変わってきている。
リンダが、ジョニーの内面を一目で見抜き、運命を感じてくれたと言うのなら、なんとも喜ばしく思えるほどに。
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