第六章 ミクシア祭の夜は燃える③

 どうやら、二人は顔見知りのようだった。

 

 ジョニーの二の腕にしがみ付いていたリンダが、お行儀悪く舌を出す。

 言外のメッセージは、ジャック宛だ。


『お前、まさかこいつと知り合いなのかよ。嫌だぞ、私は、このデブの友達と祭りを回るなんて。ほら、早いところこっちに来いよ。こっちに来て、小躍りしてる八本足と体脂肪を、私達と一緒に見てやるだけでいいんだ。それで十分。私らも安心するし、そいつも思い知るだろうさ』。


「やっぱりペッパーだ! もう、またボーダーなんか着て!」


「体を大きく見せる効果があるんだ」


「だからやめてって言ってるんだけどな」


 ジャックはどこ吹く風で、『親友』と、二人だけの空気を作り始めた。

 

 ジョニーに限って言えば、ペッパーのことを、悪いやつではなさそうだなと思い始めていた。

 これまでのジャックの言い草から、ジャックには一人も友達がいないのではないかと危惧していたが、ここまで砕けて話せる相手がいたということに、ジョニーは安心を覚えていた。

 だがその一方で、焦ってもいた。

 ジャックときたら一秒後には、『ねえ、ペッパーも一緒に回ろうよ』と言い出しかねない雰囲気なのだ。

 

 ジョニーは、ペッパーと一緒に祭りを歩いて回りたくない、という点では、リンダとレイラに同意していた。

 

 その気持ちは、ペッパーに対する印象とは全く無関係で、単純に、このままでは男が三人になってしまう、という話だ。

 女は二なのに。

 ガリ勉のジャックが、そんな足し算を出来ないはずもないが、彼が、その足し算の意味にまで考えを巡らすかどうかは、分の悪い賭けに思えた。

 男振りで、ペッパーに負ける気は毛頭ないが、引き立て役にするのも、まるっきりジョニーの趣味では無い。

 

 リンダとレイラは、ジャック達の様子を面白くなさそうに眺めつつ、意図してか、それとも無自覚か、ジョニーの腕にしがみ付く力を強めた。

 両の二の腕で感じる、彼女たちの柔らかく温かな肋骨が、ジョニーの理性を削っていく。

 黙って、振り返り、この場をそっと立ち去れば、リンダとレイラの二人は間違いなく自分について来るだろう。

 

 一対二。

 

 引き算で導き出される。ジョニーの足を痙攣させる。

 ペッパーが、ジョニーに対し馬鹿にしたような笑みを向けた。

 ブルっていると勘違されたようだ。


「おお、ジャック。ホントは、一緒に回ってやりたいところなんだが、すまないね。今日も今日とて、ろくでなし共に風紀の鉄槌を下すという使命がある。ほらごらん、目の前にいる、哀れな犯罪者どもを。……何、恐がることは無い。僕がついてるんだから。まあ、無理もない。確かに、こいつらは札付きさ。怯えるのが普通だ。普通は誰だってそうなる。……これは僕が独自の筋から手に入れた情報だが、こいつらは、この間の串焼き屋丸焼き事件に関与している疑いが強いんだ。恐ろしいことに、腕力だけでなく、百を超える目撃証言を握りつぶすほどの政治力も、兼ね備えていたんだ。世紀の大悪党どもだ! いいか、ジャック、お前はこいつらみたいな、後ろ指差される身でありながら白々と祭りに参加するような、厚顔な恥知らずには成り下がるなよ。気をつけろ。どこにこいつらの仲間がいるかもわからない。危険な目にあったら、声を上げるんだ。何があっても、この八本の美脚で駆けつけるよ」


「それ足だったのね」


「台座だろ。乗ってんのは豚だ」


「なんだとう! ……ふ、ふふん、まあ、僕は怒らないがな。この世で誰しもに平等なのは、法の権威と、僕の肉体に抱く嫉妬だけと決まっているんだから。……いいか! 僕はこれから、この場を立ち去る! だが、『今日のところは、見逃してやる』という意味じゃぁないっ! なぜなら、僕の夢は、お前らと、お前らの仲間全員を、いつか必ず豚箱にぶち込んでやることだからだ! 学生風紀ペッパー・フランクは、『いつだって、お前らを見逃さない』っ!」

 

 ジョニーは、ペッパーの着ている服に見覚えがあった。

 スポンサー広告みたいな大きさの国旗が張り付いた、焦げ茶色のジャケット。

 あの場には居合わせなかったようだが、このペッパーは、串焼き屋丸焼き事件でジョニーらを逮捕した連中の一味なのだ。


「容赦はしない! 男も女も、子どもも同性愛者も! 年齢、セックス、ジェンダーに関係なく、お前らの仲間と言うだけで、見境なくぶち込んでやるぅ! 情けはかけない! どんな事情があろうとも、僕は法の為なら、いくらでも残酷な執行者になれるんだっ! 二十年後の僕の二つ名、特別に教えてやるぅ」

 

 ペッパーは、不敵な笑みを浮かべると、ぶくぶく肥った中指の先端から糸を垂らした。

 蜘蛛糸は、体型が関係しているのか太く、チューブから絞り出されるマヨネーズのごとしだった。

 ペッパーは、糸の先端に輪っかを作ると、凄惨な空気を出したかったのだろう、唇を可能な限りひん剥いた。


「『歩く絞首刑』!」


 ジョニーは、ペッパーに芸人の資質を見出した。


「……やぁ、リンダ、レイラ」

 

 ペッパーとジョニーたちが仲良く談笑していたわけでは無いと気づいてから、恐らく会話に入る機会をずっと窺っていたジャックが、ようやく姉妹に声をかけた。

 これ以上、彼女たちに構わないでいたら、二人の性格上、あてつけがましく他人の振りをしてジャックを置いていくことも考えられたため、英断であった。

 

 リンダとレイラは、そんなジャックの態度を好ましく受け取ったようだ。

 女としての自尊心を満たされた……というのは、敵がペッパーというこの状況ではありえないだろうから、恐らく、敵の腹心を寝返らせたような快楽が、二人を大いに喜ばせたのだった。

 

 ジャックの呼びかけに、リンダは僅かに歯を見せて満面の笑みを浮かべ、レイラは小さく首を傾げながらウィンクで返す。

 ジャックが赤面する。肌の緑色が茎や葉を連想させるからか、ジョニーがこれまで見たどんな照れ顔より、薔薇色ロージーに思えた。

 女子達からのサービス精神旺盛なレスポンスは、首つり縄を潜りぬけ、ジャックの琴線に直撃したようだ。


「ジャアアアアック?!」

 

 ペッパーが後ずさり、レンガの壁に背中を打ち付けた。

 店の中にいた人間は、解体工事が始まったと思ったはずである。


「どういうことだぁっ!」


「私ら、いつか四人で豚箱にぶち込まれる仲なんだ。な? ジャック」


 屋上から垂れてくる黄色い炎に顔中覆われながら、ペッパーが目を見開いた。

 右の翼で、マフラーをかけるように肩を組んでくるリンダからジャックは目を逸らし、うんざりした顔を浮かべた。

 リンダの台詞は、ペッパーの啖呵を受けてのものだったが、つい先日、公にはならなかったものの初犯でぶち込まれたばかりのジャックには、くるものがあったようである。


「う、嘘だ……ジャックが……親友が……うわああああああ!」

 

 八本の足を、あらゆる組み合わせで器用にもつれさせ、何度も転びそうになりながら、ペッパーは走り去っていった。


「歩く火炙りの刑」


「丸焼き」

 

 レイラとリンダが、上半身を炎まみれにしながら走り去るペッパーを、思い思いに揶揄した。

 

 あれだけの巨漢だ。

 それも燃え盛っていると来れば、どこまで走り去ったって、彼が角を曲がらない限りは姿が見えなくなることもないだろうと、ジョニーは思っていた。

 しかし、蒸気と陽炎、風向きによって変わる気まぐれな炎の明るさは、ペッパーをあっさりと飲み込んでしまう。


「ごめん、良いやつなんだよ? ただ、法に触れて、気が触れただけで……」


 ジャックの弁解は、尻すぼみになっていった。

 

 改めて間近で見る姉妹の姿に、心奪われているのが分かった。

 人混みの中で、ジョニーとジャックが、一目でジンハウス姉妹に気付いた理由。

 二つ目は彼女たちの姿だった。

 

 最初に出会った時は、スカートの下にジャージを履き、腰にカーディガンを巻きつけたかのようなシルエットの出で立ちだった。

 ジョニーの元いた世界の、女子高生を思わせるような。

 

 今はと言うと、上品なワンピースのイブニングドレスを原石にして、キャミソールとミニスカートを無理矢理切り出した、みたいな装いだった。

 ウェストを大きく露出させていて、トップスの裾をそれぞれ結んで絞ってあるのが、いかにも彼女達らしい。

 スカートの下から、レギンスと呼ぶには薄く、ストッキングと言えるほど不健全でもない厚さの生地に覆われた足が、伸びている。

 

 露出の多さと、彼女たちなりに意識したのであろう高級感は、祭りでしか見られない貴重なもののような気がして、ジョニーは、今夜を姉妹と過ごせる幸福感に包まれた。


「二人とも、すごくかわいいよ!」


 ジャックが言った。何の邪気もない、服飾好きからの賞賛だった。

 リンダとレイラは、顔を見合わせた。

 二人とも、そういった台詞はジョニーの専売特許だと認識していたらしい。

 ジョニー自身も、ジャックはもっと『盗品じゃないよね』だとか無粋なことでも言うんじゃないかと心配していたので、嬉しい誤算だった。


「変装か?」


 ジョニーも遅れは取るまいと、わざとらしく目を見開きながら、リンダに言った。


「んだと!?」


「最高に似合ってるぞ」


 特別な日には、歯の浮くぐらいの言葉が丁度いい。

 素直に褒めるのもよかったが、リンダの臍や、深紅の布地で大事に包装された大きな胸を、下心を悟られずに品定めすることのできる時間を得たい、という欲求に負けてしまったのだった。

 

 ようやく、自分たちの祭りが始まろうとしていた。





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