第六章 ミクシア祭の夜は燃える②

 ジョニーは、つい先日まで役場の一室に殆ど軟禁されていた。


 毎日椅子に座り、異界生まれがエルヴェリンで生きるための講習―――ゴブリン達はその期間を、『生誕の儀』などと仰々しい名前で呼んでいたが―――を受けていたのだが、それはほとんど、ジョニーの身にはならなかった。

 と言うのも、誰が何を講釈している間であれ、ジョニーはと言えば、ギターを爪弾きながらリンダとレイラの身体つきについて夢想し、一時間に十秒ほどジャックのことを思い出すだけなのだから無理もない。

 

 結果的にそれでよかったと、祭りの賑わいの中を歩きながら、ジョニーは思っていた。

 

 感動こそ、何よりの講習ではないか。

 

 ジョニーは、炎のともった、自分の指先を見詰める。

 爪に火を灯す生活、と言えば、ジョニーにとっても覚えがあったが、本当に火を纏わせたのは初めてだった。

 ぬらぬらと、これまで見たどの炎よりもゆっくりと揺らめく紫色が、手首にまで垂れてくる。

 

 祭りのテーマが炎なのか、この街の特産……のようなものが、これらの特殊な炎なのかは分からなかったが、ともあれ、人を惹きつけ、狂乱を煽っているのは、虹色に燃える街並みであった。

 

 夜の闇、薄く何層にも重なり行く手を覆う、多色の蒸気。

 その中を闊歩する住民と、街の外から祭りを楽しみに来たのだろう観光客たち。いたるところで湧き上がる、歓声、手を叩く音、あるいは尻尾を打ち鳴らす音。

 どんなに気を付けていても、三歩進むたびに、誰かと体をこすり合わせなければならない混雑。

 見上げれば、屋根と屋根の間に何本もロープが張られており、その上に立つ、両腕が羽の少女と、背中から蝙蝠の羽を生やしロープに爪先で逆さまにぶら下がった男などが、談笑しているのが見える。かなりの大声で盛り上がっている風だったが、それでも、ジョニーには口の動きを追うことしかできなかった。

 頭から髪の代わりに花束を生やした少女の一団が、お互いの頭にじょうろで水を掛けあいながら、通り過ぎていく。

 ケンタウロスの背中に三匹のゴブリンが跨り、振り落とさんとするケンタウロスのロデオを楽しみながら、人々の投げ入れる酒瓶を、次々に一気飲みして見せていた。

 

 何もかもが、目まぐるしい。

 

 ジョニーのいた日本の祭りで言うところの、『テキヤ』のようなものは見当たらなかったが、日頃は服飾店や、雑貨屋などを営んでいる店舗まで、商品を片付け、酒場として店内のスペースを提供しているようだった。とにかく、飲んで、騒いで、吐いて、というのが、この祭りの主旨らしい。

 

 祭りが恐いと、ジャックや、リンダとレイラも言っていた。

 実を言うと、ジョニーも今、少しだけ恐かった。

『人間』の住む街を攻め落とし、人の財貨を奪い、狂乱に耽る『怪物』の群れ。まだ科学という言葉が発達していなかった頃、何百年か前の『人類』が思い描いた地獄は、こんな光景なのではないかと思った。

 炎のちらつき。

 ニューアリアの、いまや東京以上の明るさを呈する街並みが、夜空を、ジョニーの慣れ親しんだ四角い夜空以上の高さへ、遠ざける。

 

 ジャックが、ジョニーの肩を叩いて、遠くを指差した。

 今度は何が自分を驚かせるのだろう、と思いながら、ジャックの指す人垣の向こうに目をやる。

 

 通りの向こうに、リンダとレイラがいた。

 

 気付くと、待ち合わせ場所に到着していた。

 二人をすんなり発見できたことに、ジョニーは驚いた。

 もう少し時間がかかるだろうと思っていたのだ。

 というのも、頭に耳だの角だの、手が翼だったり、毛皮だったり、ゲソだったり、この街の住人は個別に特徴がありすぎて、片方の腕が羽、というだけの姉妹は、ジョニーに言わせれば、どちらかと言うと個性の薄い方だったからだ。

 

 リンダとレイラを、すぐに発見できた理由は、二つ。

 一つは、リンダとレイラが、男に絡まれていたからだった。

 

 ジョニーは慌てて、必死に人混みを掻き分けはじめた。

 ここまで来てジャックと二人きりのデートはごめんだった。

 近づくにつれ、姉妹と、男の会話が聞き取れるようになってくる。


「嘘をつくなあっ! お前らぁ、何を企んでいるぅ! トレードマークのブラシも持たずに! 変装のつもりかぁ!」


「今日は喧嘩の予定も、罰掃除の予定もないからよ!」


「てめーをしょっぴいてろ! 私らは楽しみてーだけだ!」


「黙れぇ! ニューアリアきってのテロリストどもめ! 僕の二つの目と、先祖から心にもらった残り六つの目が黒いうちは、お前らの破壊活動は、決して許さ―――」


「おい、どうしたんだ、お前ら」


 ジョニーは、ようやく三人の前に躍り出た。

 

 リンダとレイラはお馴染みとして、彼女らに絡んでいたのは、なんとも目立つ外見をした男だった。

 先ほど、リンダとレイラの種族的外見を、あまり目立たないと評したが、男はその真逆だ。

 

 男と同じ種族を、ジョニーは何度か見たことがあった。

 蜘蛛アラ人間クニド、というやつだ。

 腰から下が、まるっと蜘蛛の胴体になっており、そこから八本の足が生えているという異形である。

 ジャックと出会った初日に、ジョニーがナンパをかまして振られたのも、この種族の女だった。

 

 街で何度かすれ違った蜘蛛人間達は、上半身に限って言えば、「ジョニーと同じような」と評することが出来たが、目の前の男に限って言えば、そうは言えなかった。

 

 原因は、その腹に湛えているものだ。

 ジョニーは、ここまでの肥満体に出会ったことが無かった。

 ジョニーは、十八歳になるまで、デブは、脂肪が衝撃を吸収する為、殴られても痛みを感じない、斬撃しか効果が無いという神話を信じていた。

 バンドマンの一人、スキンヘッドも肥満体質であり、彼と音楽性の違いが原因で喧嘩した際にジョニーが包丁を持ち出すまで、その勘違いは続いたのだが、今再び、ジョニーはその神話の中に舞い戻ってきた。

 どこもかしこも、ぶくぶくと膨れ上がっていた。

 上半身のどこを揉んでも、コート越しであれ、水風船のような感触が返ってきそうだ。

 ディッシャーでバニラアイスを盛り付けたような頬をしていて、バニラビーンズみたいにそばかすが浮いていた。

 髪は、濡れてもいないのに、なぜか額に張り付いている。

 これまで、デブを相手に、先の偏見以外の感情を抱いたことは無かったが、異世界に来てからもう一つ追加された。顔の面積のせいで、相対的に禿げて見えるのだけは、絶対損だ。

 

 ジョニーは間に入り、男を、下から睨みつけ威嚇する。

 そうすると、頬に邪魔されて彼の目は見えなかった。


「ナンパ結構。ただし嫌がる相手と、俺達のパートナー以外だ」


『しめた!』

 リンダとレイラの内心が、背中越しに伝わってきた。


「見てのとおり、今日は勝ち組枠での参加だ」


「パートナーは、同じ種族の子にするのを薦めるわ。もっと、ふくよかな娘にね」


 ジョニーの右腕にリンダが、左腕にレイラがしがみ付く。

 これで、三対一。体重だけで言えば三人束になってようやく一対一だったが、男は八本の足で、たたらを踏んで後ずさった。

 ジョニーの登場により一気に臆したことが、見え見えだった。

「な、なんでこんな二人が」だの、「この二人がどんな奴か知ってるのか」と言った趣旨のことを、ビッグサイズの口腔の中で、ごにょごにょとこね回していた。

 どうやら、見知らぬ他人には強く出られない性質のようだ。


「ペッパー?」


 誰かが、男に声をかけた。男の仲間が現れたのかと思ったが、それは、ようやく人ごみを突破したジャックだった。


「ジャック! おお、親友よ!」


 男……ペッパーは大きく手を広げると、ジャックの隣に、否、気持ち後ろにしゃかしゃかと回り込む。

 どうやら、二人は顔見知りのようだった。

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