第五章 Beast field④
身体に、まずソースやクリームが絡みつき、そこに色んな物がへばりついて、リンダもレイラも、体の重さがいつもの何倍にも感じられていた。
きっとそれは、ジャックと高城も同じなはずだった。
気付くと、弾幕が、徐々に薄まってきていた。
リンダは、肩で息を切らせる。
重い瞼を開けた。
弾幕の勢いが弱まったのは、新たなる強大な勢力の介入が原因だった。
「警官ってのは、どこでも似たような面だな」
高城が言った。独り言が聞こえるにしては、テーブルの距離が遠すぎる。
自分達に声かけられたのだと判断したレイラが、答えた。
「勝負は……引き分け?」
「見りゃわかるだろ」
なだれ込む、ニューアリアの警官たち。
その傘下である学生風紀。
襟元にエルヴェリン国旗のバッジを付けた、焦げ茶色のコートの群れ。
逃走を図った少年ギガースのグループが、足をもつれさせ、倒れ込む。
そんな光景が、炎の川の向こうに、展開されている。
「『俺達』の勝ちだ」
高城は、小粒チェリーをジーンズの裾からばらまきつつ、くすぐったそうに笑う。
フリダズ・スキュワーの空は青く、このまま放置されれば、体中の水分が出されて、干物になってしまいそうだった。
ジャックはまだ、歌い続けていた。
… … …
当然の帰結として、四人は逮捕された。
「私らは被害者だ! こいつらが、店燃やした方の勝ちって言うから仕方なくノリ気になっちまって」
「もうダメ。べとべとの羽、お巡りさんが洗って? 脱ぐから、後ろ向いてて」
「僕らは無罪です! 神学的見地においては! 創世記伝にもあるでしょう?
「弁護士を呼べ! それと、酒! 女! 逃走用のヘリコプター!」
両手を縛られた四人の乗った護送用馬車の中で、休むことなく自己弁護をぶちまけられ続けている、頭からカールした角を生やした付き添いの女性警官は、うんざりとした気分で、だんまりを決め込んでいた。
最初こそ、四人を大人しくさせようとしていたのだが、もう諦めていた。
誰か一人を黙らせると、その分他の三人が、「じゃあ自分の意見は聞いてくれるんですね」とやかましくなるためだった。
それに、馬車揺れに酔う性質ではないものの、四人から漂う悪臭が強く、何か言うために口を開けば鼻まで刺激臭が入り込んでくるため、そう言った理由からも彼女は、自分の仕事である「見張り」を、ただ愚直にこなすことだけを選んでいた。
香水の原液は、匂いがきつすぎるため、香水商が売るのは、それを薄めたものだという話を聞いたことがあったが、馬車の中は、その逆だ。
本来食欲をそそる品々も、体中にぶちまけて炙れば、ここまでになるのか。
気にしていないのは当人たちだけで、もはやこの街でも見慣れた、馬車を引くための四輪車のペダルを漕ぐケンタウロスも、息継ぎのたびに咳き込んでいた。
それを不憫に思っていると、四人が、いつの間にか雑談を始めていた。
「……いた、痛いよ!」
「じっとしてろ! おかしいな、この緑のクリームだけ、なんとも……」
「地肌だよ!」
顔中クリームまみれの少年は、どうやらオークだったらしい。双
子は、二人とも腕と翼が判別できないくらいに、チョコムースと生肉で、デコレートが施されているため、区別できない。
ともかく、『粗暴な方』が、オークの少年の顔の汚れを、落としてやっていた。
親切心と言うよりは、それを盾に顔をつまんだり、引っかいたりたりして遊んでいるだけのようである。
「姉さんの親切になんてこと! 放火魔の上に、クリームまみれなんてふざけた格好。心証まで悪かったら、焼き鏝まで入れられるのよ」」
「嘘だ! それに僕は放火魔じゃない!」
焼き鏝はジョークとしても古すぎるだろう、と、ミノタウロスの女性警官は思ったが、それを笑い飛ばすことのできない少年に、彼女は同情した。
心証、という言葉が出たが、彼個人はともかく、オークという種族の与える印象は、裁判を有利に働かせるものでは、決して無い。
エルヴェリンが種族の平等と自由を重んじ始めたのは、百年以上前だが、頭の中の古い裁判官は依然として存在し、若い裁判官も、彼らの門下に入ってから出世するという構図は変わらない。
さすがに、そこまで不当に重い罪を受けるようなことにはならないだろうが……。
女性警官は、四人の内の誰かの身体に、行きつけの屋台のタレの匂いを感じ取って、顔をしかめた。
まさかあの店の、継ぎ足しタレの壺まで投げ割られたのかという問題だけが、頭の中をしばし占める。
「……
オークの少年が、居眠りをこいていた男に話しかける。男は目を覚ますと、手錠を揺らし訴える。
「馬鹿いえ。さすがの俺でもこんなの初めてだ」
「そう」
「向こうのはもう少しゆったりしてる。鉄製だがな」
「…………」
「いやすまん、こいつらのがうつった」
姉妹と、男が拳を合わせる。
男と姉妹二人は初対面のようだったが、随分意気投合したようである。
オークの少年は泣いて否定するかもしれないが、兄貴分と、それを慕う姉妹、二人の下僕である弟分の四人組は、この街に転属されてからの五年間の想い出を掘り起こせば、通りを連れ立って歩く彼らの姿を、どこかに見つけられそうなくらい、しっくりきた。
「僕らって、結局何がしたかったんだっけ……」
オークの少年が、唇の端に張り付いたサクランボのつるを揺らしながら、呟く。
男は、少年の言葉に沈黙する。
今日一日あったことを、最初からひっくり返して思い出しているような長さだった。
「あ!」
大きく口を開け、男が叫ぶ。
「なあ、お前ら! 俺達と二週間後デートしよう!」
オークの少年が、ケツを滑らせ尻餅をつく。
姉妹が目を見開き、羽をばたつかせる。
馬車の中が、汚れていく。
男の目は、輝いていた。
彼女らのママと、弁護士がなんというだろうか。
女性警官は一人、想像を膨らませた。
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