第五章 Beast field③

 ジンハウス姉妹は、こと喧嘩に限れば、自分たちについて来られるものなど誰もいないと信じていた。


 にも拘わらず、高城たちの優勢という形で対決は継続されていた。

 

 高城が不意に、テーブルを叩く足をストップする。

 しかし、ジャックの歌声だけにはならない。

 お次は、声と視覚のデュオだった。聞いたことのないものの次には、見たことのないものが訪れる。

 

 高城が、テーブルに両手をついて倒れ込む。

 そこから勢いを殺さず、鋏のように大きく広げた足を、胴体を中心にして、回転させる。

 時計塔広場で、姉妹を圧倒した、あのダンスだった。

 空気をかき回す高城の両足の先端。暴風に煽られながらもしなやかさを失わない風車を、姉妹は心に抱かされた。

 姉妹の例えは、的を射ていた。


 …     …     …

 

 技の名は、まさしく『風車ウィンドミル』。

 高城の世界で、ブレイクダンスと聞いた誰しもがまず想像するであろう、技の一つである。競技人口の最も多いダンスであるところの、ブレイキンを象徴する看板技。

 ブレイクダンスの持つ、かつてギャングの抗争の仲裁に使われたという歴史が、高城にこの場で、この技を選択させた。炎の熱に煽られながら、高城は、回り続ける。


 …     …     …


 野次馬の……否、いまや観客となった者達の興奮は、叫び声になり、フリダズ・スキュワーに響き渡る。何人かのハーピー達が飛び上がり、両隣の店の屋根に陣取りを始める。


 もう既に、姉妹たちが最初に起こした騒ぎを聞きつけ集まってくる者たちより、焼ける食材の匂いと、女子らの黄色い悲鳴に、何事かと集まってくる者の方が多くなっていた。

 そして、新しく集まってきた者たちにとって、この輪の主役は、高城とジャックに他ならない。

 リンダとレイラは、ダンサーとシンガーに挟まれ、棒立ちだ。


「面白くねえっ……」

 

 リンダの声が、歯の間から漏れる。

 

 新しく集まってきた観客達は、高城たちに夢中になる前に、姉妹に一瞬だけ、怪訝な視線を送る。

 

 耐えられなかった。


 うろたえた時点で、お前らの負け。

 時計塔広場で高城は、そう言っていた。


 その通りだった。

 

 姉妹は祭りが恐かった。

 人の注目を集めるのが、恐かった。

 人の目が、恐かった。

 

 例え自分たちが、高城と同じことが出来たとしても、この場でやることは無かっただろう。


 リンダは思った。

 きっと高城は、自分達とは全く違う人生を歩んできたに違いない、と。

 ジンハウス姉妹の人生にとって苦痛を伴わない好奇の視線など、ありはしなかった。

 ブラシを握る手が、だらりと下がる。軽いはずの羽が、肩の辺りからずっしりと重い。

 観衆の目には今、自分たちがどう見えているのだろう。「片方しか羽のないハーピー」? それとも、「ただノリきれていないだけのダサい二人」?

 

 何も、分からなかった。

 

 他人の目を惹きつけるという行為に躊躇のない高城に、どのような感情を抱けばよかったのか。

 姉妹にとって、幸運か不運か、その答えを出す時間は無かった。


「ぶへっ!」


「ぬああっ!」


 高城とジャックの顔面に、パイが激突した。歌とダンスが、停止する。

 彼ら闖入者の存在を好ましく思っていなかったのは、リンダとレイラだけでは無かった。

 

 投げつけたのは、ギガースの少年たちだった。

 怒りのやり場を奪われた彼らは、奪った張本人であるところの高城たちを、まず排除することを選んだらしい。

 

 フリダズ・スキュワーに沈黙が訪れる。

 

 ギガースの少年は、やってやったぜとばかりに右手を掲げる。




 

 レイラは、リンダの肩から顔を出しながら、姉よりいくばくか冷静な頭で、ギガースたちの浅はかさを分析、これからの事態を正確に予想して見せた。

 そして、その通りになった。

 

 誰もかれもがやるべきことを同時に閃いたかのように、動き出した。

 

 観衆は、二つの軍勢に分かれていた。

 最初からフリダズ・スキュワーの客だった者達の内、好戦的な連中が、ギガースに便乗して、食い物を炎の海に向けて振りかぶる。

 だがその様子は、高城とジャックが乱入してきた後からの見物客たちにとっては、ただただ急な暴動、パフォーマーに対する非礼な暴力にすぎず、制止を促す常識人たちの悲鳴が巻き起こる。


 姉妹から離れたテーブルの上。

 高城は、顔面から鎖骨の辺りまで垂れるクリームを、白い汗のようにまき散らしながら、ウィンドミル例のダンスを再開する。その表情は笑っていた。かえって滑りがよくなったとでも、思っているのだろうか。ジャックも歌い続けていた。喉にまとわりつくクッキー生地を、吐きだしながら。

 

 そんな二人に、あらゆる災厄がふり注ぎ続ける。

 齧りかけの肉、泥まみれの魚、手で乱暴にすりつぶして団子になった紅辛子、誰かから適当に奪った靴。隣の店の二階の窓から、燃える串焼き屋に向けて、水をひっくり返すものまで現れ始めた。

 

 着ていた服が、どんなものだったか思い出せなくなるまで汚されながらも、高城とジャックは、それぞれの役目を果たし続けた。どちらかが辞めれば、もう片方が力尽きるのを知っているかのように。

 

 標的にされているのは、勿論、高城とジャックだけでは無い。リンダとレイラは、火勢を増した攻撃を捌ききれないでいた。

 ギガースの少年たちを中心とする対岸の投手たちは、「弾薬」の仕入れ先を拡充したようだ。

 近所の店や露店が、被害にあっていた。

 こちらに飛んでくる、白い皿、サイクロプス用の単眼眼鏡、黒い蜜を含んだブヨブヨの虫の巣、汚い言葉。

 

 レイラは、リンダと目配せした。

 リンダは、獰猛な歓喜の笑みを浮かべた。

 知能犯タイプの妹が、自分と同じ考えを持ってくれていることを確認して、一層奮い立ったようである。

 

 リンダとレイラは、飛び立って逃げることをしなかった。

 ただ、高城たちより長く、テーブルに立っていたいという思いが、姉妹の中で、いつの間にか溢れていた。

 

 こんな風に、誰かと張り合うのは初めてだった。

 

 誰かを叩きのめして、地面に転がして終わりじゃない。

 いつ終わりがくるのか分からない事態に、どちらがより長く耐えていられるかという、意地の勝負だった。


 ジャックの歌声が、響き続ける―――


『逃げろ 逃げるしかない

 いつか大人になりたいんなら』


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