第四章 片翼のハーピー、リンダとレイラ⑤

 仕留め損ないや情けとは無縁の、鈍い打撃音が数度、響き渡る。


「……なんのつもりかしら?」

 

 レイラが言った。

 

 ジャックは、目を開けた。


 眼前に高城の後姿があった。

 庇われたのだ。

 高城のわき腹と腿には、ブラシの柄が添えられたままだった。

 ジンハウス姉妹は、二人まとめて薙ぎ倒してやるつもりだったようだが、一旦手を引かざるを得なかったようだ。

 高城が予想以上にタフだったからか、あるいは、自分たちのデッキブラシから誰かを庇った相手などこれまでいなかったからか。

 

 高城の背中が大きく見えたのは、自分が縮こまっているからだけではないと、ジャックは思った。

 

 背中を弓なりに反らし、高城が叫んだ。


「バカ野郎っ!」

 

『俺達の喧嘩だ、一人で先走ってんじゃねえ』

 

 勿論ジャックは、そんな台詞が、続いて自分に向けられるのを期待した。

 だが、高城の怒声の矛先は、姉妹に向けられていた。

 

 リンダが片目をきゅっと閉じ肩をすくませ、レイラの右の爪先が、姉に擦り寄りたそうに震えたかに見えたが、恐らく錯覚だった。

 なんで叱られたかわからない子供のような態度なんて、この二人が見せるわけないのだから。


「殴ろうとしたやつとの間に、誰かが両手を広げて割って入れば、得物は寸止め、話くらいは聞いてやるのが喧嘩のマナーじゃねーのか! それを、一人、三発、二人で六発も叩きこんでから、『なんのつもり』とは、お前ら……!」

 

 完全に涙声だ。


「さては本物の悪党だな!」

 

 さっきからそう言っているだろう。

 そんなことを思ったのは、ジャックのみならず、リンダとレイラも同様だったようで、三人の間で、その言葉を発する権利を譲り合うような間が流れた。

 罵り合いと暴力の果てになぜか、高城が、ジャックとジンハウス姉妹の三人と相対しているかのような絵面になってしまっていた。

 奥の手を披露するような口調で、高城は言った。


「ブレイク・ダンスを知ってるか?」


 きっと、異界の言葉だった。

 

 一対三の構図にしたのは、故意だったのだろうか。

 

 高城が大仰な仕草で、コートとフランケンを地面に投げ出す。

 自然と視線を惹きつけられていることに、ジャックも、恐らくは姉妹も気がついてはなかった。

 

 その隙を、根こそぎ刈り取られることになった。

 

 にわかに高城は、胸の前で腕を交差させると、そのまま身体をこわばらせた。 

 旅人の行き先を占う棒きれのように、そよ風と重力に押され、高城の身体が、地面に傾いていく。

 このままいけば、後ろ頭を地面にぶつけるだろう。

 

 そうなる、すれすれだった。

 

 ジャックも、悲鳴を上げる寸前だった。


 高城が体を返し、地面に手をつく。

 そこから、勢いを殺さず、鋏のように大きく足を広げた。

 そのまま胴体を中心にして、回転させる。

 倒れた円錐模型が、その場で転がり回っているみたいだった。

 

 見たこともない、ダンスだった。

 

『理屈なら分かる』。いつものジャックならそんな風に言う所だ。

 しかし、胴体を返し遠心力をつける高城の体さばきのしなやかさや、空気をかき回す両足の先端を前に、脱帽とは理解を放棄する楽しさだということを思い知らされるしかなかった。

 

 ダンスが終わる。

 

 時間にして、生唾が胃に垂れるまでの間ほども無かった気がする一方、ジュースを買いに行って戻ってからじっくり鑑賞する位の余裕すらあったかのようにも思われた。

 

 高城は上品ぶって、ゆったりとした仕草で埃を払い、立ち上がって見せる。

 

 ジャックは、度肝を抜かれていた。

 リンダとレイラも、開いた口がふさがらない様子だ。

 

 空を飛ぶジンハウス姉妹にまで、「これが人間の動きか」と思わせることができたのは、高城にとって誉れだったようである。

 本人も手ごたえを感じているようで、気障な態度を保ったまま、高城は語り始める。


「ギャングが、血みどろの抗争に、踊りで決着をつけようとしたのがきっかけで生まれたダンスだ。力以外の方法で、自分らの権利を守りたいっていう心の動きに、原点がある……ロックもそうさ。どんな人間も、力で解決することに嫌気がさす日が来る。だからどんな暴力的な音楽も、最初はガツンときたって、心に残るときには、どこか優しいものに形を変える……そうさ、だから音楽は、良いんだよな」

 

 後半は、まるで独り言だった。

 だが、高城の言葉は自然とジャックに、聞き漏らすまいという意識を起こさせていた。見れば姉妹も、ジャックとそう変わらない表情を浮かべ、呆けていた。


「そこでだ。パフォーマンスで決着をつけよう」


 高城のその一言で、ジャックと姉妹は同時に我に返った。

 何かものすごく、道理に合わないことを言われた気がしたのだ。


「俺とジャック、お前ら二人とのチームで、どっちが客を呼べるか、勝負だ。俺達が負けたら、お前らの望む形で、償いはする。俺らが勝ったら……どうするかな。ジャック、何かこいつらにやってもらいたいこと、あるか?」

 

 レイラは、ダンスの余韻に頬を紅潮させたまま、面白くなさそうに口を引き結んでいた。

 

 高城の「ぶれいくだんす」は、意趣返しだ。

 地面に倒れ込むと見せかけて、そこからダンスにつなげ、息を飲ませる。

 リンダとレイラは、時計塔から飛び降りて羽を広げ着地し、高城を動揺させたが、その流れをまんまとやり返されたのだ。

 

 スマートな挑発に、ジャックは惚れ惚れした。

 自分とは大違いだった。

 

 姉妹は、異界の技に衝撃を受けたようだったが、それを認めたくないようだった。

 リンダが激昂する。


「んなもん誰が受けるか! ぶちのめしてやる! それで終わりだ!」


「……って、姉さんが言ったら?」


「走って逃げる。二週間後まで逃げのびて、祭りがお前らを街から追い出すのを待つ。後は好きにやるさ。お前らが、祭りを白けさせるのが恐くて引きこもってること、図星を指されて顔真っ赤にしたことを、言いふらしてやる。ジャックと二人で、声かける女に片っ端から。……痛いところを突かれたって顔した時点で、本当はもう、お前らの負けなんだよ。俺らを叩きのめしたところで、口に戸は立てられない。お前らの面子は完全に、もう俺らの胸三寸にかかってる」


「……時間を頂戴」

 

 レイラが嘆息混じりにリンダの手を引き、ジャック達から離れていく。

 

 ジャックは高城と、時計塔の下に置きっ放しにしていた、黒いケースと鍋の元に戻ってきた。

 

 姉妹は申し出を受けるだろうか。

 

 高城は、ろくでなしの気持ちをよく理解しているようだった。

 つまるところ、他人が自分に怖気づいてくれるのが、唯一のよりどころなのだ。祭りが明けた後、街中の笑いものになっていることに、少なくともリンダは耐えられないだろう。

 ジャックは、好戦的な色をしたジョニーの瞳に、訴えた。


「どうするの、僕、踊りなんて、とても」

 

 ジャックは怯えていた。

 だが、それは今や、ジンハウス姉妹に対する恐怖ではなく、高城の足手まといになることに対してだった。

 そんなジャックに、高城は一言。


「よくやったな」

 

 ジャックは最初、何のことかわからなかった。ただ、高城が遠慮なく笑顔を浮かべるものだから、自分が何かよほどのことを彼にしてあげたのだろうかと思った。

 答えはすぐに出た。

 ジャックが、リンダとレイラに暴言をぶつけて立ち向かったことを言っているのだ。


「お前は今日から、俺の仲間バンドだ」


『ばんど』。

 ジャックは、意味を聞き返さなかった。


「やるのは踊りじゃないから安心しろ。ウィンドミルかませなんて、無茶は言わない。……やるのは、歌だ」


「歌?」


「自信あるのか?」


「…………」


「上出来。鳩の首を食いちぎりに行くぞ」

 

 高城が満足げに頷いた。


「ざけんな!」

 

 少し離れた所で、リンダが叫んでいた。

 チームごとの会話が聞こえないようにと離れたレイラの配慮は、いまや台無しになっていた。


「闇討ちしねーのと引き換えに、言いふらさないよう、あいつらに頼み込む? そう言う問題じゃねーだろ! 売られた喧嘩は買うんだよ。ジンハウスは、ビビったらお終いなんだ!」

 

 こちらには、聞こえていないと思っているらしい。

「勝ちゃいいんだよ!」

 

 あちらも、覚悟が決まったようだった。

 リンダとレイラがそれぞれ、肩をいからせ、すくませ、近づいてくる。


「私らが祭りに出ないのは、こえーからじゃねえ」


「どっちが男装するか揉めてるうちに、祭りが勝手に終わるだけ」

 

 二人はデッキブラシを片腕で器用に回した後、ジャックと高城に向けて突きつけた。


「後悔、させてやる」

 

 声を揃えて、宣告。

 

 高城は、足元の黒いケースに手を伸ばす。


「俺も容赦はしない。二番目に得意なやり方で行かせてもらう」

 

 獣を宥めるようにケースの表面をそっと撫でる。

『今回はお前の出番はおあずけ』と諭すように。

 ダンスの際、放り出されたフランケンが、高城の頭の上に再び飛び乗る。

 高城が笑顔を浮かべて、火蓋を切る。


「ショウ・タイムだ」

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