第四章 片翼のハーピー、リンダとレイラ④

「見ねー顔だな」


 リンダが、高城たかじょうに詰め寄る。

 

 ジャックは目を逸らした。

 リンダはデッキブラシの柄を揺らし、威嚇していた。

 その先端を見詰めていると、催眠にかけられたみたいに、これから突き回される自分の姿が浮かんできた。

 

 高城は、リンダから柄を顎に突きつけられながらも、動じた様子を見せなかった。委縮してはいけないと思いながらも、ジャックには自分の爪先しか目に入らない。

 その様子をあげつらって、リンダが嗤う。


「てめー、こいつがどんな奴か知ってんのか?」


「こいつとは会ったばかりだ。だがもうお互い、知り尽くしてる…………名前、なんつったっけ」

 

 ジャック、バステッド。

 高城にしか聞こえない大きさで、ジャックは呟きを返す。


 ジンハウス姉妹と同じく、ジャックも、この街では悪い意味で有名人だ。

 ジャックが彼女達の情報を知っているように、リンダとレイラもジャックのことは知っているようだったが、それでも、ジャックは自己紹介を、彼女たちに聞かせたくは無かった。

 この期に及んで、彼女たちの耳に直接自分の声が届かない限り、架空のキャラクターに等しい「噂の人物」のままでいられる気がしていたのだった。


「ジャックは、そんな悪い奴じゃない。それだけは確かだ」


 ジャックと鍋を挟んでいた時と変わらない、緊張感のない雑談口調。

 姉妹はというと、そんな高城を完全に軽んじていた。

 次から次へと、無遠慮な言葉を差し込んでくる。


「でも、腰抜けさ。なあ、お前いつもエルフに絡まれてるやつだろ。ロズに声かける度胸より、殴り返す度胸の方が先なんじゃねーのか」


「あんな女の耳のピアス、二、三個もぎ取って売り飛ばしちゃえばいいのよ。オークは乱暴だけが取り柄だって、言われてるものね」

 

 近くの壁に貼ってあった祭りのビラを、リンダが一枚、はぎ取った。


「祭りには、お前みてーなやつ、お呼びじゃねーよ。賑やかな空気を白けさせるしかできないのを思い知らされるだけさ。恐いだろう? 無理すんな、家で寝てろよ。そっちの方が、まだいい夢が見れる」

 

 ジャックは、唇を引き結んだまま耐えようとした。

 耐えるのは、ジャックにとって難しいことでは無かった。

 空気になるのだ。

 相手が自分じゃなく、空気に独り言を言っているのだと思えば、心を殺すのは、つらくとも容易い。

 そのうち相手の方がどこかに行ってくれる。

 一日中ジャックに構うほど、暇なやつなんていない。

 

 だが、ジンハウス姉妹の言葉を前に、ジャックは無感情でいられなかった。

 彼女たちが口を開くたび、オークに対してこの世界が行ってきた侮蔑の歴史が、耳を千切られるロズの泣き顔が、映像となって、はっきり見えるのだった。

 この心のうねりを前にして、「暴言に暴言で応えるべきではない。相手と同じ低いリングに立つべきでは無い。悪は必ず最後に損をする」などと考えることは不可能だった。

 高城に言われたことや、恥をかいただけに思えたナンパが、ジャックの中で一つの考え方に集束していく。

 

 人間は、感情の塊なんだ。

 

 紙くずにされた祭りのチラシは、広場の石畳の上を、風に吹かれるまま転がっていく。

 でも、僕は水切石だ。

 男を見せるには、色んな方法があるんだ。


「祭りが恐いのは……君たちの方じゃないのか」


 血走れと念じながら、ジャックは眼球の裏に力を込めた。

 高城にブラシを突きつけるリンダに、挑みかかる。


「僕が、乱暴するのが得意かどうかなんてわからない……棍棒どころか、ブラシ振り回して、遊んだこともないからね。だから君らは、現時点で……この街唯一のオークを差し置いて、一番の乱暴者だ。そして……僕と同じくらい、度胸が無い」

 

 目力と引き換えに、足から体温が吸い上げられている気がする。

 自分という存在が、上半身だけ宙に浮いているかのように、不安定だった。

 

 リンダとレイラが眉をひそめる。

 ジャックを見つめるその目は一見、ガンつけているようで、ジャックの聞こえそうで聞こえない音量を、まだるっこしいと思っているだけのようでもあった。


「中途半端だ。喧嘩する相手を選んでる。君たちは、エルフには手を出さないし、塔群の偉い教授の部屋には火をつけられない。ニューアリアから追い出されないように、なんやかんやケチ付けながら、結局罰掃除も受ける。誰かを相手にする時だって、いつも二人がかりだ。そして空を飛んでる相手には、二人でだって向かっていけない」


 明らかに、ジンハウス姉妹の顔色が変わる。

 ジャックの言葉が、彼女たちの逆鱗を踏み石にして駆けていく。


「君達は、人気のない家の窓を叩き割ったり、気の弱そうなやつを遠くから見つけるのだけは得意だ。そうさ、君たちの勇気は自己満足だ。だから、他人にとって無意味なことでも、派手にやりさえすれば、自分を保ってられる。いつもなら相手に困らないかもしれないけど……でも、祭りの間は違う。人気のない場所や、俯いて歩いてるやつがこの街から消えたら、君らの居場所も一緒に消えてしまうんだ。祭りが恐いんだろう? 正直に言えよ! 乱暴者の君らが、暴れて祭りを台無しにしたって話は、聞いたことがないもんな!」


「んだと、てめえ!」

 

 リンダのデッキブラシが、振り回せる範囲で最大の孤を描き、ジャックを殴り倒しにかかる。

 レイラは身体を低くし、刺突の構えだ。例え得物が刃物であっても、表情を見るに、同じ様にしただろう。

 

 ジャックは、リンダのブラシの先端を、目を閉じる前にしっかりと焼きつけた。

 勇気の代償は、高城の顎から切っ先を逸らせただけ。それでよかった。

 

 仕留め損ないや、情けとは無縁の鈍い打撃音が数度、響き渡る―――

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