第三章 トゥルク・ジョー・ネイキッドの流儀④

高城たかじょうと言う異界生まれは、不思議な男だった。


 自分とは真逆の人間だ。

 ジャックは、思慮深さをよりどころに生きてきた人間だが、高城は、深く考えないことをモットーにしているように思える。

 

 ミクシア祭に参加するなんて。いつもなら、そんな突拍子もないアイデアなど、一笑する余裕すらなく退けていただろう。

 

 ジャックは、高城が自分を納得させる理由を述べることを求めなかった。

 

 ジャックはこれまでの人生における、過信を突きつけられた。

 自分はいざとなれば、自分より物事を深く考えない人間の洞察など、反論する度胸は無くとも、取るに足らないと断ずるくらいわけもないはずだと、信じてきた。

 

 だが、違った。


 本で読んだ知識で格好つけるな、世界で一番不幸だと顔に書いてある。

 高城の目は黒真珠のような色をしていた。

 その瞳に映る景色と同じ現実を、ジャックは確かに、垣間見ることが出来た気がしていた。

 

 高城の生きてきた異世界について、ジャックは思いを馳せる。

 きっとこの街とは違い、開け放たれたドアから何もかもがシンプルに入り込んでくるような世界のことを。


「……高城ティキジオが、一緒に行ってくれるの?」


「甘えんな。言ったろ? 俺はこんなクソッタレな世界、とっととおさらばしたいんだよ」

 

 高城は、ジャックの肩に手を回す。


「男と遊びに行ってどうする。もっといい相手と一緒に行くんだ。女のパートナーとな。そうすりゃ、悪い考えも吹っ飛ぶ」

 

 大通りに向かって、高城は肩を組んでない方の手を、大きく広げた。宝島の列島に乗り込む、海賊の笑顔を浮かべていた。


「女の子と? 無理だよ! だってそんな……僕はこの通り……!」


 そんな方法があるんなら、まさに魔法だった。

 でも、高城は異界生まれだ。

 もしかしたら彼のいた世界では、誰でも女の子と付き合えるような、夢のようなやり方があるのかもしれない。

 

 頭の片隅で、とっさに、ロズと過ごす祭りの時間を想像する。

 一方的に信じていたロズに裏切られたという、つい先程の事件が、連鎖的に思い起こされてしまう。

 失意が、妄想を溶いて延ばし、ジャックの頭全体に、負の感情を伝播し始める。

 

 ここが、分水嶺だった。

 

 見返してやりたい、と言う感情が沸き上がってきていることに、ジャックは驚いた。

 ここで高城の提案を断り、別れてしまえば、例えもう一度会いたくなっても、高城は異界生まれとして、ジャックの手の届かないところに行ってしまうに決まっていた。

 高城の登場は、代わり映えしないジャックの人生に、全く新しい変化をもたらしつつあった。

 

 ジャックは重い足取りで、鍋の元へ戻っていく。

 

 高城が、鍋にぶちこもうとした本―――エルヴェリン偉人金言集―――を、ジャックは自分の手で、改めて鍋に放り込んだ。溺れる野菜くずが群がり、表紙を汚していく。

 決別の、儀式だった。


「どうすればいいの?」


 高価な本だった。

 それが、神殿への寄進になるか、悪魔への供物になるのかは、異界生まれのみぞ知る、といったところだろう。

 高城が近づいてきて、ジャックの背を叩いた。

 胸から罪悪感が叩き落とされ、ジャックは少しだけ楽になった。


「どんなダサ男でも、逆転する方法はある。……男を、見せることだ」


「男を、見せる?」


「やり方はたくさんある。高いところから飛び降りたり、教室で教科書燃やしたり……毎朝授業が始まる前に、鍋のスープを一気飲みするのもいいな」


「絶対無理」


「言うと思った。だがまあ、不安がるな。俺の一番得意なやり方を、特別に教えてやる」

 

 高城は、時計塔の日陰から、人ごみの中へと躍り出た。

 その姿が、河川に挑んでいく水切り石のように果敢で華麗なものに、ジャックには思えた。

 石化から回復したフランケンが、高城の足をよじ登り、頭に被さり、お供になる。

 自分の人生に多大な影響を与える何かが始まろうとしている。

 ジャックは、信じて疑わずに、高城の一挙手一投足に集中する。

 高城が、蜘蛛女アラクネのマダムに、おもむろに声をかけた。


「今時間あるか? 俺とあっちで話そうぜ。何か奢るよ……いやいや俺じゃない、あっちに座ってるあいつがさ。……なああんた、そんな綺麗な足はじめてみたぜ。八本足! 今度の祭りで俺達二人と踊ったって、後二人もまだ余裕あるな」

 

 水切石が、弾むことなく水柱を立てた。


 ジャックは、『ぎたー』なるものがエルヴェリンに存在しないことを知った時の高城のように荒れ狂うか、煮える鍋から金言集を取り出し、舌で舐め洗いながら懺悔するかの二択を迫られた。

 

 ジャックは判断を保留にし、真偽を確かめるべく、高城の元に駆けよった。

 マダムから手厳しく袖にされ、去る八本足を見送る哀愁の背中に、ジャックは怒鳴りつけた。


「ちょっと待って! 男を見せるって、まさかナンパ!?」


「冴えてるだろ? 男上げながらパートナーも探せて、一石二鳥。ほら、お前も」


「やれるわけないよ!」

 

 ジャックは荒れ狂った。


「女の子って、そう言うの嫌がるし……いや、これは僕が話しかけるからじゃなくって、誰がやっても……その……ナンパなんて、軽薄な……汚らわしい!」


「嫌がられるもんか! 女どもが、しつこいナンパを振ってやったことを、どんな顔して仲間内で自慢してるか知らないだろ? 俺達が声をかけた分、奴らだって女を上げられるんだ。募金みたいなもんさ! 性の慈善事業だ!」

 

 ジャックの胸元に、憧れという言葉の対義語みたいな汗が湧きでてきた。

 高城が、ジャックの後方を指差す。ジャックは首だけを動かして、そちらに視線をやった。


「おあつらえ向きの女がいる。さっきから俺達のこと、じろじろ見てやがる」


「役場のおばちゃんだよ。たむろしてたから、目をつけられてるだけだ」


「じゃあ、引っかけるついでに追いはらってこい」


「母さんと同い年くらいに見えるけど」


「とにかく一回やれば自信がつくんだよ! いいから黙って、今から俺の教える台詞を、覚えろ。後はあの女のところに走って、噛まずに言うだけ!」

 

 一体何が、高城をそこまで駆り立てるのか。

 高城は、ジャックの肩を両手で固定し、耳元で、ジャックが一生言いそうにない言葉だけで繋ぎ合わせた呪文を、延々と繰り返し始めた。その合間に、「勇気を出せ!」「人生を良くしたくないのか?!」そんな言葉を挟みながら。

 汚い言葉と前向きな言葉は相性がよく、お互いの角を取り、いつまでも聞いていられるような錯覚でもって、ジャックの精神を汚染していった。

 

 これも一興かと、ジャックは思った。

 

 ロズに裏切られ、夢を諦め、今日のジャックはもともと自暴自棄だった。

 だがそれはあくまで、真面目な男の自暴自棄だった。

 夢や幻想の反対に、分相応の『オークらしい暮らし』を据えて、ジャックは擦り切れながらもまだ、一応未来を見てはいたのだ。

 だが、高城の言葉が、自暴自棄の質を変えていく。

 心を殺しながら選ぶ堅実さより、やりきれない感情を、今この場で清算する快楽に、頭の中が飢えていく。

 

 ジャックは、自分の前から道が無くなっていくのを感じていた。

 将来のことも。

 明日もエルフにいじめられるかもしれないことも。

 明日から使われないミシンのことも。

 これから何百回親におはようと言うことになるのかも、いつか自分が悪いことをして牢屋に入ることになるのかどうかも、何一つ、保障の範疇では無くなった。

 

 未来が、極めて前向きな形で途切れたのを、悟る。

 時計の針が連れてくる、膨大な事件の全てが消え失せた気がした。

 あらゆる枷から解き放たれた。


『今』しかなかった。

 

 ここで爆発するしかないのだ。

 転がった岩が壁にぶつかって、砕け散るみたいに。


「ロックンロールだ!」

 

 聞いたことのない言葉だった。それでもジャックには、高城が何を言っているのか、分かった気がした。

 

 肩を離されたジャックは、鼻息荒く、ターゲットに向かって猛進した。

 ぱさついた猫の耳を頭から生やし、その三段腹と比較すれば余りにも細い尻尾を生やした、ケッ小人トシー。何歳から太り始めたのか知らないが、成長期の子ども並みにスーツを買い替える羽目になったのだろうなと失礼な想像の一つもすれば、度胸が湧いてくるというものだった。

 

 ジャックはケットシ―の前で、立ち止まった。


「あの」


「なにか」

 

 体重の桁が違う。

 自分の仁王立ちが、はったりにもなってないことで、ジャックはわずかに尻込みした。

 

 目を閉じる。

 高城に教え込まれた台詞を、頭の中で復唱する。文節の間から、お前ならできるだの、女は穴のついたジャガイモだと思えだのといったセリフが、泡になって湧きあがる。

 ジャガイモってなんだろう。

 後で聞いてみよう。

 目を固く閉じ、勢いよく台詞を解き放った。


「生憎、子持ちは趣味じゃねえ! どうせ、ダセえ下着履いてんだろ? 太ももから腹まで、引き締めて上げる、みっともねえやつ! だがお前は運がいい。毛深い女は嫌いじゃねーし、その耳だけは最高にキュートだ! ホテル代払ってくれるなら、二週間後の深夜が空いてる。何人のガキに吸いつかせたら、そんなだらしない身体になるのか、ベッドの中で俺に教える権利をやろう!」

 

 言えた! 噛まなかった! 一息だ!

 

 我ながら、良く覚えられたものだと、ジャックは感心した。

 ガリ勉が、こんな形で功を奏すとは、人生何が起こるかわからない。

 

 本当に、何が起こるか分からない。


 目を開けると、そこにロズが立っていた。

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